秋田を代表するふるさとの味「いぶりがっこ」。この大根を煙でいぶったのち、漬けた漬物は、秋田の雪深い冬の保存食として、数百年前に作られたのが始まりだと言われ、秋田県民の食卓には欠かせません。ところが、この「いぶりがっこ」。食品衛生に関する法律が変わったことをきっかけに、販売が続けられるかどうか、作り手たちは今、岐路に立たされています。ふるさとの味、そして漬物文化をどう守り続けていくのか取材しました。
(秋田放送局 横手支局記者 横山祐)
秋田の漬物文化「いぶりがっこ」とは
秋田弁で、「いぶす」は「えぶす」。「大根」は「でごん」。「漬物」は「がっこ」。「えぶしたでごん」の漬物「いぶりがっこ」は、常備食や保存食として、秋田の食卓で親しまれてきました。
豪雪地帯で日照時間が短い秋田。気温もすぐに氷点下となるため、屋外に大根を干すことができないことから、囲炉裏の煙を利用して干す独自の文化が定着し、「いぶりがっこ」が生み出されました。
「いぶりがっこ」は、年間250万本以上が食べられていると言われています。特に人気なのが、「道の駅」で売られている「いぶりがっこ」です。多くは、農家が農作業の合間のなりわいに作っているもので、作り手の名前がそれぞれ掲げられて販売されているのが特徴です。
秋田県横手市の道の駅「道の駅さんない」では、常時30人ほどの作り手のものが並べられ、年間3万本が売られています。
いろいろな作り手の「いぶりがっこ」を食べ比べしながら、自分好みの味を探す人、すでに決まったお気に入りの作り手のものを目当てに買い求める人でにぎわっています。
いぶりがっこ作りは生きがい
秋田県横手市の高橋キヨ子さん(73)も、横手市内の道の駅で「いぶりがっこ」を販売している農家の1人です。高橋さんは「いぶりがっこ」作り50年のベテランです。嫁いでからすぐに高橋家の味、姑(しゅうとめ)の漬け方を見よう見まねで覚えていきました。塩を入れすぎてしょっぱかったり、いぶる時の火加減が強すぎたりして何度も失敗を重ねながら、50年かけて今の味を作り上げたのです。
高橋さんの「いぶりがっこ」作りは、毎年11月から始まります。収穫した大根を丁寧に洗い、小屋につるして「ナラ」などの広葉樹の煙でいぶします。4日間、火を絶やさぬよう、小屋の温度を一定に保たなければ、くん製作業は24時間態勢です。この作業で大根の水分を飛ばします。
その後、いぶった大根を砂糖や米ぬか、塩など、高橋さんの独自のレシピで混ぜたぬか床に40日以上つけ込んで熟成を待ちます。50年かけて作り上げてきた高橋さんの「いぶりがっこ」は、パリパリとした歯ごたえと優しい甘みが特徴です。
手間暇かかり、できあがるまでは簡単ではありませんが、高橋さんにとって「いぶりがっこ」作りは生きがいだと話してくれました。
高橋キヨ子さん
「50年も作り続けてきた『いぶりがっこ』は私の宝物です。食べた人においしいと言われると、また調子に乗って作ってしまうんです。もう年だから来年は作るのをどうしようかなって話すと、やめないでって言ってくれる人がたくさんいるんです。作り手それぞれの味があって、本当におもしろい。生きがいです」
いぶりがっこの危機
去年6月に、改正された食品衛生法が施行されたことで、「いぶりがっこ」は危機に直面しています。販売するためには、2年後をめどに保健所の営業許可が必要になったのです。
平成24年に、北海道の食品会社が製造した浅漬けが原因で、160人あまりの集団食中毒が発生し、4歳の女の子やお年寄り8人が亡くなった事故がきっかけでした。
このままでは、高橋さんも2年後には販売ができなくなります。
先日、高橋さんは作業場で、横手市役所の職員から許可制度について説明を受けました。高橋さんが営業許可を取得するためには、「いぶりがっこ」作りの作業場の大きな改修工事が必要です。
例えば、洗い場の蛇口。手が触れなくても水を止めることができる自動センサー式か、レバー式に変えなければなりません。また、衛生面から壁を水で洗い流せる素材に張り替えなければいけない場合もあり、そうした改修費用には100万円以上かかる恐れもあるということです。
高橋さんは73歳という年齢を考えると、もう「いぶりがっこ」作りを諦めようか悩んでいるという胸の内を話してくれました。
高橋キヨ子さん
「100万円、200万円と大金を掛けて整備しても、73歳だから元も取れないだろうし、後継者もいない。生きがいだから続けたいと思っても、そう簡単なことではない。諦めるしかないのかなと思うとさみしい。『いぶりがっこ』の味は一軒一軒違うから、今まで50年間かけて作った味をなくしたくないなって思いますよね。やめちゃうのはいたましいですよね」
およそ4割が”継続できない”
「横手市いぶりがっこ活性化協議会」の佐藤健一会長は、「『いぶりがっこ』の作り手は70代以上とほとんどが高齢で、法改正をきっかけに製造をやめる人が増えるのは間違いない。生産量も減る」と、危機感を募らせています。
秋田県は去年9月、漬物文化を守るために生産者300人を対象に、今後の意向調査を行いました。その結果、「許可を取るために、大金をかけて施設を整えるのは難しい」とか、「後継者もいないので、この機会に『いぶりがっこ』作りはやめる」など、およそ4割の人が継続できないと考えていることがわかりました。
秋田のふるさとの味、漬物文化を守るためにはどうすればいいのか。自治体では、共同作業場の提供や、作業場の整備にかかる費用を補助するなどの対策に乗り出しています。しかし、作り手たちからは、「現実的ではない対策だ」という声も多く聞こえてきます。
「いぶりがっこ」は、長い年月をかけて自分の味を確立させ、大切に作られてきました。家庭ごとに大根の種類や、漬けるぬか床に入れる砂糖や塩の量など、レシピが違います。
できあがった「いぶりがっこ」が、姑(しゅうとめ)から教わった味ではなかったため、できあがったものを嫁がこっそり捨てたという逸話も残るほど、家庭の味を代々守ってきたと言われています。このため、共同の作業場では、その家その家の味が出せないのです。
秋田県や横手市などの自治体の担当者は、「法改正ではまだ2年の猶予はあるので、なんとか作り手に寄り添った支援策を考え、秋田の食文化、漬物文化を守っていきたい」としています。
本当に必要な支援とは
私が秋田に赴任して初めて「いぶりがっこ」を食べたとき、変わった食べ物だなと思いました。しかし、スモーキーな香りと、パリパリとした歯ごたえ、そしてほんのり感じる甘さに、今ではすっかりとりこです。今回の「いぶりがっこ」の危機は、法改正がきっかけとなっていますが、高齢化が進む秋田県では、遅かれ早かれ、この味がなくなってしまうのではと感じています。雪国ならではの豊かな食文化を守っていくためにも、今後も取材を続け、本当に必要な支援が何なのか、伝え続けたいと考えています。
横山祐
2020年入局。
秋田放送局で警察取材を担当後、
横手支局で、農業や秋田の祭事や文化、歴史などを取材。