「ほうろく灸」を試してみた

NHK
2023年5月25日 午後7:44 公開

頭頂に「ドスン、ドスン」とたたきつけるような鈍い痛み。

しかし、それは不思議と、心地よさに変わり、半日以上持続した。

齢44にしてもなお、新たな発見がある。

新緑まぶしい寺でのひとときを、忘れない。

(彦根支局・藤本雅也)

5月21日、日曜日の朝。

私は、滋賀県と京都府にまたがる岩間山にある岩間寺に出かけた。寺が年に2回、5月と10月に行っている「ほうろく灸」の取材だった。

寺の客殿には、「ほうろく」という素焼きの皿が机に所狭しと並んでいた。私は、この取材に行く前から「自分もやってみる!」と決めていた。

昼の放送に向けた原稿を書き終え、心おきなく客殿の小さな椅子に腰を下ろした。

「ほうろく灸」は、午前9時ごろからお昼頃まで、ある程度、まとまった人数が集まると何度も行われていて、私が着席して待っていると10人ほどがそろい、「ほうろく」に「もぐさ」が盛られて、火がつけられた。

「あらかじめ、頭にハンカチを置いてもかまいません。火の付いたもぐさが落ちないよう前のめりにならないように、皿を両手で支えてください」と教えてもらう。

私は、ハンカチを置かず、直で体験することにした。

「ほうろく」の端を持ち、「百会(ひゃくえ)」というツボがある頭頂のへこんでいる部分に、皿の1番深いところを当てる。

ほどなく、僧侶のお経が始まり、私は静かに目を閉じた。

『ふむ。「ほうろく」の厚さは3センチほどか。まだ、ひんやりと冷たいな。どれくらいで熱くなるのか』。

集中できないのはいつもの悪い癖だ。

なかなか熱くならない。

『弘法大師・空海が広めたとされるこの「ほうろく灸」。自律神経を整えつつ、煩悩も取り払うとされているのだっけ』。

うっすら目を開けると、私の前の人たちの頭から煙が上がっている・・・。

『もくもくとあがっている煙は、もしかしたら煩悩なのかもしれない・・・』

一度そう思ってしまうと、そのことが頭から離れなくなってしまった。

5分ほどたっても熱くならない。

『当てる場所が違うのかな?』

「ほうろく」をずらしたりしてみる。

しかし、あまり変わらない。

『このまま熱くならないで終わるのかな?』

と思った矢先・・・。

熱さと同時に「ドスン、ドスン」という鈍い痛みが小刻みに頭頂を襲った。

頭に押し当てていた「ほうろく」を、反射的に浮かす。

『いや、それでは意味がない。我慢だ! いや・・・熱くて無理だ!』

これまで繰り返してきた”自分との対話(ひとりごと)”をしている場合ではなくなり、うっすらと聞こえていたお経も耳に入らなくなった。

後から、振り返ってみて気付いたことだが、このときの私は、たった1つのことだけに神経を集中させていた。

「自律神経を整え、煩悩を取り払うために、熱さに耐える!耐えるんだ!」と。

そう、私の意識は、”今、この瞬間”に向けられていたのだ。

そして、いつの間にか、もぐさは燃え尽き、「ほうろく」は回収された。

頭頂を触ると、ほんのりと温かい。気のせいか、鼻の通りが良くなり、体の芯がぽかぽかとし、目の疲れもとれたように感じた。(※個人の感想です)

時間にして、わずか10分ほどの出来事だった。

帰り際に、お経を唱え続けた僧侶は、私にこう語った。

「このせわしない世の中。ふだんと異なる環境に身を置く時間をとることが大切です。

心のゆとりがうまれますよ」。

客殿を出ると、感覚が研ぎ澄まされたのか、空気がより涼しく感じられ、

鳥のさえずりも、より鮮明に聞こえ、新緑も鮮やかさを増しているようだった。

私は、また、せわしない日常に戻っています。

ですが、あの日、熱さとともに感じた、「意識をいまここに集中させる」という感覚はいまでも思い出すことができています。

日々、いろいろやることがあり、思い通りに行かないことも多いですが、慌てたり、不安になったりせず、意識を集中させて、一つ一つ、今できることに全力で取り組むこと。そうすると、自然と「心のゆとり」も生まれてくるような気がしています。それでも忘れてしまいそうなときには、またお灸を据えてもらいに行きたいと思います。