「砂浜には兵士の死体の他は何もなく、眼鏡を捜してはい回る従軍牧師がいるだけだった」、これはノルマンディー上陸作戦で兵士として戦った作家サリンジャーの未発表作品の一節。この作戦には15万の兵員が投入され、初めて戦場を経験する者も数多くいた。船の扉が開いた瞬間、ドイツ軍の銃弾が襲う。身を守る物などない中、兵士たちは恐怖を押さえつけ陸地に向け飛び出していく。連合軍を勝利に導いた名もなき人々の犠牲の記録。
タイタニック号の沈没、ドイツの飛行船ヒンデンブルク号の爆発、583人の犠牲者を出し、航空機史上最悪の事故と呼ばれる「テネリフェの悲劇」、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故。未知への挑戦を続ける中で、巨大事故が何度も引き起こされてきた。そして人間は同じ過ちを繰り返さないために原因を究明し、安全を目指す闘いを続けてきた。私たちは巨大事故の悲劇とどのように向き合い、乗り越えようとしてきたのか。
アメリカなど11か国が裁判官と検察官を務めた東京裁判は、日本の戦争指導者の責任を追及する様子を世界に発信するため、照明など撮影に万全の体制を整えた法廷で行われた。被告人25人のうち7人に極刑が言い渡された。傍聴していた作家・川端康成は、「劇的な人間の生と死との分れ目を私は眼前に見て、深く打たれるものがあった」と記している。東条英機、広田弘毅など戦争指導者が裁かれた東京裁判の2年6か月をたどる。
ロシアではソ連時代以来、暗殺と粛清が繰り返されてきた。レーニンは秘密警察によって反対勢力を処刑、凄惨な弾圧で革命を成功へ導いた。スターリンは政敵をスパイに仕立て次々と処刑、粛清の嵐は一般国民にも及び2千万の命が奪われた。そしてソ連崩壊後も、政権の不正を告発する人物などが不審な死を遂げている。その度に政権の関与が疑われるが、真相はわからない。恐怖による統治が続いてきたロシア百年の記録である。
数千年前、国を失い、世界各地に離散したユダヤ人は、絶えず迫害を受けてきた。19世紀末ロシアでの集団虐殺・ポグロム。ナチスによるホロコーストでは、世界のユダヤ人の3分の1にあたる600万の命が奪われた。1948年のイスラエル建国は、ユダヤ人の悲願だった。その後イスラエルは、アラブ諸国との戦争に勝利を重ね、今や世界有数の軍事大国となった。なぜイスラエルは戦い続けるのか、ユダヤ人苦難の歴史から読み解く。
アメリカ大統領直轄の情報機関「CIA」は、戦後のアメリカ外交を陰で支えてきた。世界の民主化支援という大義の下、極秘に他国へ工作員を派遣、秘密工作を仕掛けてきた。戦後まもないイランでは、巧みな世論操作で政権を転覆させ、莫大な石油利権をアメリカにもたらした。冷戦の時代、ソ連の衛星国ハンガリーでは、ラジオを使って反体制運動をあおった。南米チリでは、社会主義政権を親米政権に転換させたクーデターに関与した。
アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」を指揮した天才科学者オッペンハイマーの生涯を描く。ニューヨークのユダヤ人家庭に生まれ、ハーバード大学を飛び級しながら首席で卒業、「原爆の父」と呼ばれるオッペンハイマーは、アメリカ国内で「戦争を終わらせた英雄」と称えられたが、自分自身は深い罪の意識に苦しんでいた。戦後は、一転してアメリカの水爆開発に異議を唱える。そして赤狩りの対象となり、公職から追放された。
ヴォルフ・ビーアマンという東ドイツの詩人がいる。政府を批判し、国外追放された人物である。1989年、東ドイツ市民が自由と民主化を求めて立ち上がった時、ビーアマンはその象徴となった。彼には娘がいる。国民的大ヒット曲「カラーフィルムを忘れたのね」で知られるミュージシャンのニナ・ハーゲン。ふたりはベルリンの壁崩壊に大きな役割を果たした。1968年と1989年。ふたつの激動の年をつなぐ勇気の連鎖の物語。
世界で初めて大規模な油田が発見されたのは、19世紀半ば、アメリカ五大湖近くだった。以来石油は、石炭に代わる新たな動力源として爆発的に需要が増加、石油なしには世界は動かなくなった。それゆえ石油は、争いの種となった。日本があの戦争を始め敗れたのも、戦後欧米とアラブ諸国との間に激しい対立が生まれたのも、その原因は石油だった。その一滴は血の一滴とも称される、「燃える黒い水・石油」をめぐる争いの物語である。
世界大学ランキングでアジア最高位の清華大学は、親米派人材を育成するというアメリカの目論見によって清朝末期に設立された。清華大学から渡米し、ロケット開発の第一人者となったのが天才科学者・銭学森。しかし銭はアメリカで赤狩りによって逮捕され、国外追放された。中国帰国後は初の核ミサイル開発を実現する。清華大学は多くの政治家も輩出している。そのひとりが習近平である。ふたりの人生を通して描く米中激動の百年。