懐かしの名作人形劇がよみがえる!
(7)壇ノ浦。劣勢の源氏軍だったが、潮流が逆転、攻めに転じる。二位の尼は孫の安徳帝を抱いて海に身を投げようとしていた。 (8)平家一門は壇ノ浦に滅び、三種の神器のうち宝剣が海の底に。都に戻った義経は平時忠の娘・夕花をめとる。これを知った頼朝は激怒。ついに兄から追われる身となった義経は陸奥の藤原氏のもとに落ちのびてゆくが…。
(5)援軍を失った平家方は、知盛のいる長門の彦島へ。やっと義経の陣に到着した軍監・梶原景時は、義経が勝手に屋島を攻めたことをののしり、二人は鋭く対立する。 (6)長門の彦島をめざす平家の船団を率いるのは、清盛の三男・宗盛だが、人望がなく、批判がくすぶる。そんな中、母・二位の尼が出生の秘密を口にしてしまう。そして源氏の大船団がついに壇ノ浦に姿を見せた。
(3)嵐の海を渡り、義経たちは阿波の勝浦へ到着、屋島をめざす。そして義経軍の急襲を受けた平家軍は相手が小勢であることを見破れず海上へ撤退を決める。混乱の中、安徳帝、建礼門院、二位の尼の前に現れたのは…。 (4)海上に逃れた平家方に援軍が向かっているという吉報が届く。義経軍を引き付けておこうと、舟上の扇の的を射られる武者はいるかと源氏方をあおる。受けて立ったのは那須与一だった。
(1)ついに源頼朝は、義経に「屋島に陣取る平家を討て」との命令を下す。源氏には組織された水軍がないため、義経は紀州で勢力を誇る熊野水軍の一党・鵜殿隼人助(うどのはやとのすけ)に助力を求める。 (2)源義経は四国・屋島への船出の時をうかがっていた頃、屋島の平家陣営では、時忠が和議を勧めていた。平家方の動きを察知して、義経はわずか5隻の船・150名で阿波に渡ることを決断。嵐の海へ出陣する。
(11)後白河法皇は義経に、検非違使(けびいし)の官職を与える。頼朝は、義経の妻として、河越重頼の娘・百合野(ゆりの)を送ることを決め、さらに平家追討の総大将の地位を義経でなく範頼に与えることにする。 (12)源範頼軍が平家追討にするが、兵糧不足に陥り、頼朝は心ならずも義経を追討の大将軍に任じる。義経は頼朝の憎しみには気づかず、出陣してゆく。一方、奈良に送られた平重衡の運命は…。
鎌倉で幽閉された平重衡(しげひら)の本心を探るため、源頼朝は白拍子の千手(せんじゅ)を重衡に近づけてもてなす。ひかれあう二人。一方で頼朝は、わが子・大姫と恋仲になった木曽義仲の子・義高の命を断つことに決める。大姫は義高に知らせるが…。鎌倉に奈良東大寺と興福寺の僧が来て、重衡の身柄を引き渡すよう頼朝に強硬に迫る。さらに頼朝は、一ノ谷の合戦での義経の戦功を無視、兄弟の仲に影がさす。▽1994年放送
(8)一ノ谷の合戦は源氏の一方的な勝利で終わろうとしていた。海岸にいた敦盛は、源氏方の熊谷直実に呼び止められる。相手が我が子と同じ年頃の若者と知った直実は命を助けようとするが…。 (9)三種の神器奪還を目指す後白河法皇は、捕らえられた平重衡(しげひら)を利用しようとするが、平家一門の罪業を一身に背負うと覚悟して鎌倉に送られる。
(6)後白河法皇の密使が平家の陣に着いた。内容に疑いの声が出たものの和議を受け入れることに。早朝、眼下の平家の陣はまだ眠っていた。そして、ついに逆落としが始まる。 (7)一ノ谷の合戦は義経の鵯越(ひよどりごえ)の奇襲によって幕を開ける。帝と三種の神器を乗せた御座船では、上陸しようとする平宗盛を母・二位ノ尼がとどめる。そして御座船は屋島へ。平家は総崩れとなる。
一ノ谷に仮御所を築いて反撃体制を整える平家軍。後白河法皇は平家に和議の密使を差し向けることに。表向きは平家を油断させ、源氏の作戦を助けるという名目だったが、義経は、法皇は三種の神器さえ取り戻せば源氏のことなど構わないのではないかと疑う。安徳天皇と神器を乗せているはずの御座船を押さえるため義経が選択したのは、一ノ谷を背後から急襲して中央突破する鵯越(ひよどりごえ)の逆落としだった。▽1994年放送
(3)屋島の平家と都の源氏のにらみ合いが続く中、平敦盛は恋人に会うため都へ。平家の大船団が出陣。屋島に戻った敦盛は、自分が父・経盛(つねもり)から勘当されたと知らされ、自害しようとするが、兄・経正(つねまさ)は…。 (4)酒宴の席で義経は白拍子に戻った静と再会し、一緒に過ごした昔を懐かしむ。その頃、後白河法皇は、三種の神器を無事に奪還するため、平家に偽りの和議を申し入れようと画策していた…。