シーズン3 日本編スタートにあたって

プロデューサー 丸山俊一
2023年2月28日 午後6:35 公開

~ニッポンの「サブカルチャー」 その可能性の中心~

「無責任男」が闊歩した60年代

「俺はこの世で一番。無責任と言われた男。
 ガキの頃から調子よく、楽して儲けるスタイル♪」
一世を風靡(ふうび)したC調のメロディ。
「無責任男」が闊歩した60年代のニッポンに待っていたのは?

植木等さんのなんとも言えない軽やかな歌声から始まるシーズン3。
舞台は「サブカル」大国、ニッポンへ。
60年代から90年代まで、4回にわたり、時代の「曲がり角」、空気の変化をつかまえる旅に出ます。

欲望が生む社会の変化…時代は変わり、果たして、「この国のかたち」も変わったか?
「プリミティズムなんです。日本のサブカルの根本は。これはわずかな日本の問い方であるようでいて、ついに中心点にまで達する何かだったと思うんですよ。」
松岡正剛さんがニッポンのサブカルチャーの本質、不思議な立ち位置を語れば、
「みんながみんな上を向いてるんじゃないのっていうくらい下を向いている人探すの難しいかなっていう…。何かこうみんなで浮足立ってたよね。」
60年代、華麗なるデビューを果たした加賀まりこさんが、時代の空気の実感を語る。

60年代を迎えた日本。敗戦の焼け跡から、驚くべきスピードでの復興と語られる時代。
人々の心、社会の空気はどんなものだったのだろうか?

夢の「インスタント時代」の幕開け

60年代前夜、59年4月に行われた、ご成婚パレード。「民間から初めてのお妃様」「恋愛結婚」という言葉が並んだ報道は、人々に新時代の到来を予感させた。
翌5月には、64年の東京オリンピック開催も決定。突貫工事で、東京の大改造も始まる。
60年代前半、経済成長率でも群を抜き、欧米諸国の多くが5%前後の中、日本は10%近くを記録。すでに56年度の経済白書で「もはや戦後ではない」と謳われ、流行語となっていた日本。本格的な経済成長へと走り始めていた。
時代の気分は、街角に現れる。
デパートでの女性たちのお目当てはインスタント食品。お湯を注ぐだけの即席ラーメン、インスタントコーヒーなど、「夢の新商品」が続々登場。世は「インスタント時代」に。
ちまたでは通称「ダッコちゃん人形」が大流行。銀座のデパート店員が、腕につけたまま昼ご飯を食べに出かけたところから噂となり、突然、火がついたのだとか。60年の初夏から夏にかけ、半年で売り上げは240万個。かつてのフラフープ以上の爆発的な大流行となった。

安保闘争の中で…ニッポンのサブカルチャーの特殊性

そんな のどかな風景が社会現象となった年の5月、あるニュースが報じられている。
「国会は19日、と新しい安保条約の衆議院通過をめぐって、ついに最悪の事態におちいり、終日混乱を続けました」ニュースが報じた。
戦後間もなくサンフランシスコ講和条約とともに結ばれた日米安全保障条約。日本は基地を提供するも、対するアメリカには防衛義務が規定されていなかった。
東西冷戦、そして経済成長を背景に、アメリカとの関係をより緊密に強化しようとする政府与党。
一方、野党は、改訂の批准に反対。アメリカの影響力からの離脱を主張する。
そこへ多くの学生や労働者たちが参加し、「安保闘争」へと発展する。
そして迎えた5月20日、新条約の成立を急ぐ政府与党は、強行採決。これを機に反対運動は激化。安保条約の単なる賛否を越えた、民主主義のあり方を問う議論へ発展する。
アメリカとの関係をめぐり、到来した「政治の季節」。
揺れる日本を、そのまま映画の舞台にした男がいた…。

「これは全体に言えることで、欧米のサブカルチャーとやっぱり日本は違うと思うんです。 まず、戦勝国であったと、彼らは。そのフランスだとかアメリカだとかすぐ作り上げていくものと敗戦国になった日本にはメインカルチャーがないわけですね。連合国によって潰されているわけです。 それに対するサブカルチャーということにするのか、メインカルチャーがなくされたんだから、カルチャーそのものを作ろうとするのが、結果、サブカルに見えるというあたりが難しいんですが。そのときにもう一つ回答を用意し始めたのが大島渚たちだったと思うんですね。」(松岡正剛さん)

「サブカルチャーとは逸脱」宮沢章夫さんが遺した言葉

さて、この続きは本編で…。
それにしても、なかなか、この日本編は難しくて面白いスリリングなものになると思います。もともと時代の空気が主人公というある意味荒唐無稽な試みですが、さらに、ご覧になる方皆さんそれぞれの感じ方、人の数だけある時代論となるはずなのですから。それぞれの人生の軌跡と大きな歴史の物語が交わる時に、どんな風景が見えてくるのか?そしてその時、「メイン」でも「カウンター」でもない、「サブ」カルチャーという、名づけ難い感受性の重要性が浮上してくるのだと思います。
戦後アメリカから、一気に様々な「文化」「商品」「社会風俗」が、「社会制度」「生活様式」が流入した日本にあっては、「メイン」と「カウンター」のような明確な構図が見いだしにくいと言えると思います。松岡さんが指摘された通りです。
宮沢章夫さんと「ニッポン戦後サブカルチャー史」をやっていた頃も、この難しさ、そしてだからこその面白さについて、考えていました。さらに言えば、2000年代に「英語でしゃべらナイト」という番組で、スタジオに響くアメリカ出身のお笑い芸人パックンの流暢な日本語のギャグを毎週聴きながらずっと考え続けていたこと、とも言えます。

「メイン」も「カウンター」も戦後いっぺんに入って来た国は、もともと一直線上でベクトルが相まみえるように対峙する文化ではなく、「主体」無きままにいつの間にか「こと」が成っていく風土を持っています。欧米の「カウンター」も受容の段階で変形され、ファッションや社会風俗などとなって人口に膾炙する複雑さがあるのです。
当時、「サブカルチャーとは逸脱」と定義にした宮沢さんの思いの背後にも、この日本の抱える重層性の問題が見え隠れしているように感じていました。

ジャンルではなく 方法としてのサブカルチャーの可能性

今回の「世界サブカルチャー史」と、2014年からお送りした「ニッポン戦後サブカルチャー史」との間に、直接の関連性はありません。しかし、本当に残念なことに2022年秋に急逝された宮沢さんが口にした「逸脱」の精神から生まれた感覚は随所に生きていると思います。
本来の意味や目的から外れ、決められた範囲からいつの間にかはみ出していく精神の運動、そこに息づいているものがすべてサブカルチャーであるとしたら。ある意味、「メイン」でも「カウンター」でもない、ニッポン的「サブカルチャー」の可能性を逆手にとって、映画、マンガ、アニメ、怪獣などの特撮物、雑誌など様々な流行、現象を扱いながらも、ジャンルに収まりきらない、どこか胸騒ぎをかきたてるようなものに可能性を見出す精神です。メインではない「その他」、こぼれ落ちる何者か、ズレ、ノイズ…、そうしたものを名付けられないままに抱えながら、少しものの見方のフレームをズラしてみることで、あるスパンの中で、その時代の、社会の空気を考えてみようとすること…、その行為自体が、もはやサブカルチャー的であると捉えてみたら、というわけです。
そこに対象ではなく、方法としてのサブカルチャーの可能性が生まれます。

各回のディレクターたち、それぞれの新鮮な目で見出される「時代の映り込み」を、皆さんそれぞれの目でご覧いただき、味わっていただき、ご判断ください。
サブカルチャーという逸脱の精神から見えてくる、戦後ニッポンのもう一つの軌跡。
皆さんご自身のサブカルチャー論を組み立てるヒントになれば幸いです。
映像は、誰のものでもなく、見る方によって、常に開かれた可能性を持っているはずなのですから。

 


 

ニッポン戦後サブカルチャー史

 

シーズン3 日本 逆説の60-90s 第1回 
3/4(土)午後11:30~翌1:00 BSプレミアム

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