シーズン3 第2回 直球の時代から カーブの70年代へ

プロデューサー 丸山俊一
2023年3月10日 午後4:47 公開

日本編第1回、いかがでしたでしょうか?
60年代の日本。急激な成長、繁栄による豊かさと、そこから零れ落ちる思いと…。
松岡正剛さん、加賀まり子さんの証言、そして海外の研究者のみなさんからの眼差し。
大きな物語からはみ出していく、人々個々の中にある感受性の数々。

さて第2回、70年代は、言わば、時代の曲がり角。
安保闘争に始まり大学闘争で終わった60年代は、時に「闘争の時代」などとも語られますが、70年代はある意味、カーブの時代とでも表現できるでしょうか。直球に対するカーブ、変化球の時代です。直線的な戦いから、人々が屈折を抱え、社会に停滞感が広がっていった時代と、ひとまずは表現できるでしょう。
社会に発せられた掛け声も、「モーレツからビューティフルへ」というコピーが象徴するように、ストレートから変化球も交えたメッセージへと変わっていきます。若者たちも、黙々と受験勉強に励む姿が印象的な、少し鬱屈を抱えた、「しらけ世代」などと形容されるような状況に。
しかしそれは必ずしも、暗い時代を意味しません、むしろ、サブカルチャー的には豊穣の時代とも言えるのかもしれません。ある意味、憂鬱な現実から多様な問題意識を育んだ人々が思い思いのスタイルで表現に昇華させた、言わば、想像力による転換を試み始めた時代として捉え直す時、そこにサブカルチャー精神が躍動し始めます。

そんな時代に生まれた作品、たとえば、73年の『仁義なき戦い』。そこに投影されていた問題とは?

任侠から “ポスト道徳”の「仁義なき戦い」の時代へ

戦後、広島で実際に起きたヤクザの争いを描いた『仁義なき戦い』。手持ちカメラによる、激しい暴力描写は、60年代に人気を博した任侠映画とは、まったく異なる作風のものでした。監督はアクションを得意としていた深作欣二。深作監督には明確な狙いがありました。

「任侠映画の基本構造であった親分子分の関係を軸にした義理人情の世界への反発のようなものが僕の中にあったんです。 「『仁義なき戦い』の場合には、実際に原作の手記を書かれた美能幸三さんのうらみ、つらみが、親分を徹底的に素っ裸にして見せよう、という形で沸騰しているわけですよ。」
(深作欣二「キネマ旬報 1975年上旬号」)

原作は、広島抗争の中心人物だった元ヤクザの美能幸三が網走刑務所収監中に書いた手記が元になった、「仁義なき戦い(死闘編)美能幸三の手記より」(飯干晃一著)。任侠映画で描かれてきたような義理人情だけではないヤクザ世界の親分子分のリアルな関係を描き出し、以後、実録路線が流行るきっかけとなりました。親分も絶対的存在として描かれません。そこにあるのは、まさに「仁義なき」、それぞれの保身のための騙し合い。

「初期の東映やくざ映画は男同士の義理堅い結びつきの上に成り立っていましたが、現実の世界ではもはや不可能となったのです。そのことは『仁義なき戦い』のタイトルがすべてを物語っていると思います。仁義を道徳(モラル)と訳すとするなら、ポスト道徳の時代に突入していることになりますから。」
と語るのは、映画研究者にしてロンドン大学名誉教授のイゾルデ・スタンディッシュさん。
「60年代には高倉健や鶴田浩二スタイルの任侠やくざ映画がありましたが、彼らの死は常に英雄的な言葉で記号化される彼らは悲劇のヒーローなのです。しかし『仁義なき戦い』で死は、もはや英雄的なものとして記号化されません。哀しくて悲劇的です。」

「戦後民主主義なるもの、その戦争が終わった後にできた仕組み、その国、組織みたいなものを否定する。要するに信じる者はもはや存在していない。親分もでたらめだし…。」
今度は、フランスの映画研究者、横浜国立大学准教授のファビアン・カルパントラさんの分析です。

さて、英仏の日本映画研究者たちが見た、70年代の日本社会とは?
『仁義なき戦い』が日本社会の縮図となる時、当時の日本のサラリーマンたちが『仁義なき戦い』に託していた想いとは?
続きは、ぜひ本編を。

 


 

シーズン3 日本 逆説の60-90s 第2回
3/11(土)午後11:30~翌1:00 BSプレミアム

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