「琉球料理」と「沖縄料理」
「沖縄料理」といえば沖縄そば、ゴーヤーチャンプルー、ポーク玉子…いくつもの料理の名前がすらすら挙げられるくらい。大きな町では沖縄料理を扱う居酒屋も少なくない。では、「琉球料理」はどうだろうか。え、沖縄料理と何か違うの?と思う人もいるだろう。
琉球料理は、琉球王国時代に中国の使節団や薩摩藩の役人をもてなすため出された宮廷料理のことをいう。下準備など作り方1つ1つにこだわり抜いた料理人の丁寧な仕事が施された繊細な料理が、美しい琉球漆器などに盛り付けられて提供される。「沖縄料理」とルーツは同じなのだが、どこか敷居の高い、よそ向きな感じがする料理なのだ。
例えば、「なかみの吸いもの」。「なかみ」というのは豚の胃と腸のことで、沖縄では一般的に「なかみ汁」という汁物がハレの日に食べられる。しかし琉球料理となるとその洗練の度合いが違う。
「なかみ」を鰹節と肉のダシで煮込むシンプルな料理だが、伝統的な作り方では、その臭みをとることに料理人は相当な手間と時間をかける。現代では臭みとりの手間を省くために、あらかじめ下処理されたなかみを使うことも多くなっているというが、手間をかけて作りこむと油が一切浮いていない、透き通った吸いものができるという。
豚の肩ロースと三枚肉を煮込んで作る「らふてぇ」はどうか。琉球料理では肉の下処理の段階で、豚肉の筋の部分を少しも残さないように丁寧に取り除く。こうすることで味がしっかりとしみ込み、食感も良くなるのだそうだ。下処理された豚肉は弱火で約3時間、じっくりと煮込んだあと、ひと晩寝かせる。そして醤油や泡盛、砂糖の調味料を加えて、煮込むことさらに半日以上で完成だ。
とにかく手間や時間を惜しまない。それゆえに、この世界の門をたたく料理人は少ないとされる。
すりこぎの長さは語る
こうした琉球料理は沖縄でも食べられるお店が少なくなってきたという。そんな店のひとつが創業60年以上続く「美榮」だ。那覇市中心部のビル街にあって、その古い建物のたたずまいは歴史を感じさせる。沖縄がまだアメリカ統治下だった1958年に古波藏登美さんが開店した。
いま、店の調理場に立つのは古波藏徳子さんだ。登美さんは義理の父親の妹にあたる。20代の頃からこの店で働き、登美さんの手書きのレシピに書かれた調理法を変えることなく料理を提供してきた。
食材の下準備や調理にかける多くの手間と長い時間を省くことはない。
「琉球料理は下ごしらえがだいぶん大変な料理。そういう下ごしらえにしても手を抜かずちゃんとやるという。それがやっぱりいただく時にすぐわかる料理だと思う」(古波藏徳子さん)
店で取材中、印象的なことがあった。「みぬだる(豚肉に黒ごまのペーストを塗って蒸したもの)」を作っていたときのことだ。すり鉢とすりこぎを使って、手作業で大量の黒ごまを丁寧にすりつぶしていく。フードプロセッサーを使えば作業の効率化も可能だが、手作業ですりつぶすほうが、ごまの香りを引き立たせられないという。その時間、実に1時間半。
ふいに徳子さんが真新しいすりこぎを手に取った。
「買ったときがこっち。使っているとこんなに短くなる」
たしかにすりこぎの長さは全然違う。1cmや2cmという差ではない。使い込んだすりこぎは10cm以上、短くなっていた。
「木の味もするかも」と笑う徳子さんには琉球料理を担う誇りとこだわりがにじんでいた。
作りたいけど作れない
6年前に沖縄県が開いた会議の報告書がある。表紙には「沖縄の食文化継承に向けた地域円卓会議」、その1行下に「伝統的な琉球料理の継承の場(老舗店)がなくなることで、我々は何を失うのか」と続く。会議には琉球料理の料理人のほか、行政や企業、市民も参加し、業界の現状や苦悩が赤裸々に報告された。
「ほかの料理の2倍手間がかかり、料理人は作りたいけどつくれない」
「需要がなくなり、店舗の撤退、廃業が増えている。店の後継者もいない」
「若い人で琉球料理を習いたい人が少ない」
「料理人がレシピを教えない。そのため、レシピが勝手にアレンジされ本物の琉球料理がなくなってしまう」
報告書からは業界の強い危機感が伝わる。
この頃、徳子さんもまた店を続けることが難しい状況に直面していた。夫が体調を崩し、店に専念することが難しくなったのだった。
どうしたら代々受け継いできた「美榮」の味を途切れさせず、後世に残していけるのか。その答えが、店の経営を沖縄文化の保存に取り組む「沖縄美ら島財団」に譲ることだった。
財団にとっても、料理店の経営を担うことは異例の判断だった。以来、財団は調理の工程を動画などの記録に残し、資料化に取り組んでいる。
「保存していかないと食文化というのは変わっていってしまいますし、消滅する可能性もある。しっかりと学術的に残していくことが重要で、そうすることによって後世まで残っていくんです」(沖縄美ら島財団総合研究センター長 西銘宜孝さん)
食文化を守るということ
おととし、徳子さんの味を継ぐ後継者が見つかった。料理長を徳子さんから引き継いだのは日本料理店で働くなどしてきた平川浩司さん。琉球料理の経験こそなかったが、その丁寧な仕事ぶりは徳子さんを納得させるのに十分だった。
「お客さんに喜んでもらうことがいちばん私は大事かなと思う。そのためにも、料理がぶれてはいけないという思いもありますし、そのためにも女将さんからも常に言われているように、丁寧に手を抜かないように、きちんとした仕事を今後も続けていくということを心がけていきたい」(平川浩司さん)
新たな料理長として、美榮で受け継がれてきた、伝統的な作り方を忠実に守って料理をつくる平川さん。まだ作り方のわからない料理もある。この日は、琉球料理の中のお茶受けの菓子の作り方を徳子さんが教えていた。まず徳子さんが作って見せたあと、平川さんが作ってみる。地道なプロセスだ。
沖縄の文化は「チャンプルー=ごちゃまぜ」だといわれる。その言葉のとおり、いま沖縄で食べられている料理にはアメリカ統治下の影響が色濃く反映されている。チャンプルー料理などに欠かせない「ポーク缶」や「コンビーフハッシュ」もそうだし、タコライスはおなかを空かせた米兵のためにシェルではなくライスを使ったとされる。
こうした変化のなかで、伝統料理は強く意識しなければ守っていけないものになりつつある。その思いが詰まった現場を、今回の取材で垣間見たように感じた。
記者 阿部良二
2009年入局。北海道や名古屋の放送局を経て、おととし沖縄局に赴任。県政担当を経て、去年から遊軍として、経済や自衛隊などを取材。