ファッション×沖縄の歴史
沖縄市のショッピングセンターでこの春、ちょっと変わった企画展が開催されました。企画展と言っても見た印象はおしゃれなアパレルショップです。でもよく見ると、陳列されたTシャツにプリントされているのは本土復帰前の沖縄にまつわるモノや風景ばかり。バッグもアメリカ軍の払い下げ品から作られたものです。当時、実際に使われていた品々や説明があわせて展示されています。
展示会のテーマは「アメリカ統治下からいまに続く沖縄」。ファッションを入り口に、若い世代や県外の人々にアメリカ統治の歴史を知ってほしいという狙いです。
会場を訪れた人たちもTシャツにプリントされた写真に関心を示していました。
「B円の写真がプリントされてるTシャツとかも見させていただいたんですけど、実際にそのB円はどういうふうに使われていたのか。ちょっと興味深い、面白いなっていうふうに思います」
「写真がプリントされたTシャツが占領統治下の沖縄と直接結び付いてたんで面白くて印象に残りました。かっこいいとかおしゃれをフックに入ってくのはすごくいいんじゃないかな」
平和のメッセージ込めたブランド
企画展の開催を提案したのは、県内のアパレルメーカーに勤める奥間康司さんです。今回展示されたバッグや洋服を「MADE IN OCCUPIED JAPAN」(占領下の日本製)というブランド名で展開しています。終戦後、1947年から1952年まで日本からの輸出品に義務づけられていた表記を、そのままブランド名にしました。そのコンセプトについて、次のように話します。
「アメリカに統治された負の過去を、平和のメッセージとして、ファッションのフィルターを通して発信しようっていうコンセプトでやっています。ただモノを作るだけではなく、軍の放出品の生地をリメークして作ったり、ミリタリーを軸にしたアイテムを作ったりして、ただのファッションブランドじゃなくて、どれもとても意味があるストーリーがあるブランドにしたいと思ってこういう企画を立てています」
アメリカ統治の過去を平和のメッセージとして発信するとは、どういうことなのでしょうか。
再認識した“沖縄”
奥間さんは18才で沖縄を離れ、東京でアパレル関係の専門学校を卒業した後、そのまま12年間、東京で仕事をしていました。
その後、転職したのが、いま勤める沖縄のアパレルメーカー。宜野湾市にある事務所は、普天間基地のすぐ近くです。ここで仕事をしながら、奥間さんは沖縄が本土とは違う歴史をたどってきたことを再認識したといいます。
「車で走っていても当たり前のように目の前にYナンバーが走っていたり、毎日のように 上を飛行機が通ったり。騒音被害って耳にはしてたけど、実際自分が毎日体験すると、こんなにもすごいんだとか、帰ってきて毎日のように過ごす上で感じたことがいっぱいありました。北谷の町や沖縄市とか、そういうアメリカっぽい文化とか町並みも、元をたどれば戦争に負けてアメリカ統治下になってというところがルーツだと思うので。久々に帰ってきて住んだときにやっぱり他の県とは違う特殊な空間っていうのは過去にあったアメリカ時代っていうところから来てるんだろうなって感じました」
奥間さんは、自身の両親や祖父母などに復帰前の話を聞くうちに、アメリカ統治下の沖縄のことを知らない世代にも伝えていきたいと思うようになりました。そうした思いが、今回の企画展の提案へとつながっていきました。
アメリカ統治下の沖縄をTシャツに
企画展で展示された品々は、奥間さんがアメリカ統治下の歴史を学んでいった過程そのものです。
アメリカ兵が国に帰るときになじみのバーの壁に貼っていったドルチップ。戦後、一時的に通貨として使われていたB円。復帰前の沖縄でアメリカ軍の関係者の車につけられていた黄色のナンバープレートなど。
復帰前、本土に行くのに必要だったパスポートにあたる書類を見せながら、奥間さんは話します。
「例えばこのパスポートはうちの実家の親父から借りてきたんですけど、当時どこ行ったのかとか話が聞けたので。そういうのはずっと一緒に住んでてはじめてきいた話だったのでこの辺とかは思い入れがありますね。中学生ぐらいの時、大阪万博行く時に初めてパスポート持って、検疫書持って、県外に出たときのパスポートみたいです」
「ベストソーダも当時、僕ら知らなくて、親父たちがドル・セント握りしめて買ってたようなものなので、そういう当時の話を聞きましたね。『いっせんまちやー』の由来は知ってるかみたいな。1セント持って駄菓子屋に買い物行ったから『いっせんまちやー』っていうんだぞとか、そういう意外と知らなかったような、当たり前に使ったんですけど話をきいてて面白かったですね」
企画展に向けてもう一つ取り組んだのが、アメリカ統治下や本土復帰後の当時の写真をTシャツのデザインにすることでした。そのために訪ねたのが、琉球新報の元写真記者、國吉和夫さん。復帰前からこれまで、國吉さんが撮影してきた写真は、アメリカ統治下の沖縄や当時の人々の思いを象徴するものばかりでした。
奥間さんが特に印象的だったのが、読谷村で行われたアメリカ軍のパラシュート訓練の様子を撮影した写真です。
近くにある公園の「めんそーれ」と書かれている看板の上にパラシュートで降下しているアメリカ兵が写っています。國吉さんはこの写真を撮るため、何時間もねばったといいます。
「これは相当な皮肉になるだろうなと思った。めんそーれっていうのは子どもたちとかそこにレクリエーションで来た地元の人に対してはそうだけど。米軍は招かれざる客だから、我々からすれば」(國吉さん)
アメリカ統治下を経験した沖縄の人々がアメリカ軍や基地に抱いていた思いを、皮肉を込めて表現した写真。Tシャツをきっかけに当時の沖縄の人々の思いを感じてほしいと、奥間さんはプリントする写真を選んでいきました。
復帰を知らない世代からさらに若い世代へ
ファッションを通じて平和のメッセージを発信したいという奥間さん。若い人に歴史を知ってほしいという思いの裏には、沖縄戦や、アメリカ統治下を知る人が年々少なくなり、語り継がれなくなっていくことへの焦りがあります。
「僕よりも上の世代の方々は、多分、こういう若者が何やってるんだって賛否両論があると思う。それでもあえて僕よりも下の世代がこういうことを学んで、自分たちの、例えば子どもができたりとかそういう時に、沖縄でこういうことがあったっていうのはやっぱり事実として伝えていかなきゃいけないかなと思います」
「僕らは戦争のときも知らないし、戦後のアメリカ時代のことも知らなくて、知ってる、それを体験してるというのは僕のお父さんお母さんとおじいちゃんおばあちゃんの世代でどんどんみんな年取ってきてそういう方々が亡くなられたりとかで、リアルな声が聞ける機会がどんどん減ってくっていうことがちょっと一番もったいないなっていうか、それをその歴史をどんどんつなぐために、今、戦争とか戦後を知らない僕の世代に伝えていきたい」
アメリカ統治下の沖縄の歴史を知るきっかけにと作られたTシャツやバッグ。どのような入り口からでも沖縄の歴史に関心を持ち、どのようにして今の沖縄があるのかを知ることが大切だと奥間さんは話していました。当時のことを知らない世代につないでいくために、どうすれば関心を持ってもらえるか考えていくことが大事だと感じました。
カメラマン 市川可奈子
2019年入局。大阪放送局を経て2021年11月から沖縄放送局。