“復帰50年の節目に思う”

NHK
2023年1月25日 午後2:38 公開

「2022年」

この年を「特別な年」だと捉えて過ごした人たちはどれくらいいたでしょうか。

27年間のアメリカ統治が終わってから50年となったこの年。

統治下の苦難を知る世代は感慨深い思いがあったかもしれません。

若い世代はふるさとの歩みに向き合った年だったかもしれません。

この両方の世代をつなぐ「貴重な存在」だと私が常々感じている編集者でエッセイストの新城和博さんに、節目の50年を振り返り沖縄の未来について語ってもらいました。

沖縄を問われ見つめた1年

那覇市の出版社で書籍の編集をしている新城さんは、沖縄をさまざまな視点で切り取りエッセーにするなど、書き手としても注目を集めています。

復帰後の沖縄に焦点を当てて書いた本「ぼくの沖縄<復帰後史>プラス」は2021年、県内の書店が最も薦める沖縄本にも選ばれました。

復帰50年の節目は県内外から執筆依頼が相次ぎ、年末の忙しい中、時間を見つけてNHK沖縄放送局に来てくれました。

「私が新城さんにインタビューするのは10年ぶりですよ」と言うと、新城さんは「僕は2023年、還暦を迎えるから、赤いちゃんちゃんこの代わりにこれをはいてきました」と足元を指さしました。

なんと、そこには真っ赤な靴下に包まれた新城さんの足が。本土復帰の頃10歳だった少年は還暦に。新城さんにとって50年の節目はどんな年だったのでしょうか。

「復帰に関しては自分の仕事柄、いろいろ考えてきたし書いてきたこともあるので、聞かれたことには答えようという思いでこの1年だけは頑張ろうかという感じでした。復帰50年というのは50年前のことではなく、50年間のことなので、時間の重なりみたいものを意識しましたね。その時その時間で振り返らないと見えてこないもの。歴史というのはこういう重みなんだなというのを体感しました。沖縄のさまざまなことを質問されて初めて『あっ、こういうことかもしれないな』と思うことがたくさんあったので改めて『復帰って何だろう、復帰からの50年間ってなんだろう』というのを問い直しながら答えた1年でした。再発見するというわけではないのだけれど、復帰10年の時に考えることと、復帰40年の時に考えること、復帰50年の時に考えることでは、同じテーマでも時間が10年たっているから、また違うんですよね、見方が。それが自分の中では、ある意味新鮮な部分でもありました」

節目のたびに痛感/変わらない現実

その一方で、何度、節目を迎えても変わらない現実もあると、新城さんは穏やかな口調で語りました。

「復帰50年の節目の1年間を通して見ると、やはり、沖縄のひと全体は、『祝祭』というか『祝い』という感じではなかったですよね。そのことは着実に覚えておこうという気はしています。復帰の時に、多くの人が望んだのはアメリカ軍基地依存の、基地がある島からの脱却みたいなところがあって、濃淡はあるわけだけど、やっぱり基地は少ないにこしたことはない、もしくは、なくなったほうがいいという感じがあるじゃないですか。なのにその部分が変わらないというのは、うーん・・・と思うところがある。不発弾の処理にいたっては最近、新聞で見たら、あと100年かかると。本土復帰の時に、あと半世紀という言い方をしていたはずなのに、どんどん伸びてくんですよね」

"「鏡」を持つ沖縄。本土は持っているのか"

新城さんは、沖縄の本土復帰を「鏡」に例えて話し始めました。

「毎年5月15日が来て、変わらないことばかりだと思うけれど、そのときは考えざるを得ないじゃないですか。考えることがあるというのは、沖縄にとっては悲しいことかもしれないけど、やはり前を向くために必要なことなのではないかなと。復帰というのは沖縄の人が持っている鏡みたいなもので、絶えず、自画像、自分たちのことをチェックできる。50年前じゃなくて50年間という鏡。だから厚い。ぶ厚い鏡なんです。その厚い鏡を見て沖縄の姿をもう1回問い直す。翻って日本全体を見ると、そういう自分たちをチェックできる鏡というのを持っているのかなと。2022年は非常にそのことを考えました。復帰後40年から50年の間に、他府県、もしくは日本政府と沖縄とは、距離は縮まったかもしれないけど、溝は深まったという言い方を僕はずっとしています。その溝の深さをのぞき込むことができるかどうかですね。足元の溝の深さというのを、お互い感じ取るようになればいいなという気はします」

次世代への思い

他府県の人だけでなく、沖縄の若い世代も復帰についてあまり知りません。一方で、2022年、県内では、沖縄の歴史を学ぶ特設授業が各地で行われました。新城さんは、沖縄の歩みを知ることが未来を切り開く力になると考えています。

「『今の若い者は復帰のことも知らないで』という人もいるでしょうが、生まれる前のことだから、それは当たり前です。でも、代わりに『何だろう』と思う疑問がある。そういうことが1番大切ではないかと感じていて、若い世代の質問のしかたや考え方、ああ、すごいなと思っています。だから逆に知らないというのは可能性だと思うんですよね」

沖縄をどう創る?

秘められた可能性に期待を寄せている新城さん。その可能性を踏まえて、どのような沖縄を創っていくべきかを聞きました。

「古いものをそのまま手つかずに残しておこうというのは、まずあり得ない。いかに新しくするかなんですね。新しくしたうえで、いいものは残っていく。自然環境もそうだと思います。そのまま手つかずで残しておこうと思ったら、やっぱり残らなくて、そのために法制度をちゃんとするなど新しい取り組みをしないと絶対に残らない。絶えず新しい何か。僕なんか新しい沖縄を想像できないですね。想像できない何か、そういう未来が待っているんじゃないですかね」

取材後記

復帰前に生まれた世代が想像できないような未来の沖縄の姿。なんだかわくわくするし、そういう沖縄であってほしい。

新城さんのお話は、若い世代に新たな沖縄を創造してもらうために、いま、大人たちができることを丁寧にやっていきたいという謙虚で実直なことばと、次の50年に向けたエールにあふれていました。

記者 西銘むつみ

1992年入局。沖縄放送局では主に沖縄戦や戦後処理を継続的に取材。3年いた首都圏放送センターでは、当時の環境庁、沖縄開発庁を担当。