役場跡地の温浴施設“ひづめゆ”の挑戦

矢野裕一朗
2022年7月29日 午後9:50 公開

旧役場跡地の“ひづめゆ” まちづくりへの挑戦

皆さん、縁もゆかりもない場所で、今の仕事を投げ打って家族も連れて移住し、新たなビジネスを始める気概と勇気はありますか?私は、福岡県出身で大学までは九州で過ごした自称“生粋の九州男児”。4年前、東日本大震災の被災地の取材がしたいと盛岡放送局に赴任しましたが、縁もゆかりもない岩手県に向かう道中はかなりの不安もありました。

そんな私は、まだまだ甘かったのだと思わせてくれた人に出会いました。7月に紫波町の旧役場庁舎跡地にオープンした「ひづめゆ」の小川翔大 支配人です。埼玉県出身で紫波町に移住した34歳の支配人の挑戦を取材しました。

温浴とサウナがメインの複合施設

高温の石に水をかけて、その蒸気を浴びる東北では珍しい「セルフロウリュ」スタイルのサウナに、午前10時から楽しめる大浴場。

町の野菜を使ったカレーなどを味わえるレストランや、町特産のリンゴを使用した“ホップサイダー”が飲めるサイダリー。お風呂に食に、長時間楽しめてしまいそうな施設が7月7日、紫波町にオープンしました。

(地元の男性)

「しっかりくつろげる空間だったなと思います。

 紫波町にこういうところができて自分としてはうれしい」。

紫波町の旧役場跡地でオープンした複合施設の「ひづめゆ」は、取材した日も午前中からにぎわいを見せていました。支配人の小川翔大さんは、予想を超える客足だと感じています。

(小川さん)

「紫波町民の方々はもちろんですが、町外や県外からも結構たくさんの人に来てもらって

 います。若い人だと高校生も頻繁に来てくれていて、すでに7~8回も来てくれている

 常連さんもいて、非常にありがたく思っています」。

埼玉出身の支配人 なぜ紫波町に?

埼玉県出身の小川さんは、かつては広告代理店に勤め、自治体と一緒にまちづくり事業に関わる仕事をしていました。充実した日々でしたが、次第にもの足りなさも感じていたといいます。

(小川さん)

「広告代理店なので、どうしても広報に特化した関わり方がメインでした。その中で、

 民間企業として、自分たちのお金を使ってまちづくりをトータルでやるためには、

 みずから動いて事業開発しないといけないのだなと気づかされました」。

民間の立場で主体的にまちづくり事業ができないか。そう考えた小川さんは、自治体と企業が連携したまちづくりなどを学べる講座に通い始めます。そこで出会ったのが、講師を務めていた紫波町出身の岡崎正信さんでした。紫波町は、町有地に公共の施設と民間のテナントが入った複合施設「オガール」を中心にしたまちづくりを行い、国の補助金に頼らず民間と連携したその手法は、まちづくりの成功例とも言われています。岡崎さんはこのプロジェクトの中心人物でした。岡崎さんの話に感銘を受けた小川さん。交流を続ける中で、ある日「紫波町で一緒に働いてみないか」と誘われました。

(小川さん)

「ゆくゆくは独立して事業開発することも視野に入れていましたが、岡崎さんが強い覚悟

 を持って挑戦をしたことは知っていたので、移住で迷っているようでは多分ダメだなと

 思いました。それがある意味後押しになりました」。

2019年4月、小川さんは広告代理店を辞めて翌月、家族と一緒に紫波町に移住しました。埼玉県出身で主に働いていたのは関東や九州。岩手県で働き生活していくことに不安がなかったわけではありません。

(小川さん)

「雪国は初めてでしたし、妻には仕事を辞めてもらう形になったので、家族を無理やり

 連れてきた感じはあります。どうしても、家族の経済的な面を含めて不安はなかったと

 いえば嘘になります」。

挑戦を決意 “ひづめゆ”誕生

移住後はまちづくり関連の事業に携わっていた小川さん。移住して1年も経たないうちにある挑戦を決意します。岡崎さんや地元の不動産業者と会社を立ち上げ、紫波町が公募していた役場跡地の活用事業に応募したのです。当時紫波町は、解体された旧役場庁舎の跡地を貸す代わりに、有効活用してもらうための事業を広く募っていました。

小川さんは当時、新たに家族が増えたタイミングだったため、当初は子ども向けの施設を構想していましたが、町の人から話を聞く中で考えが変わったといいます。

(小川さん)

「跡地は紫波町のシンボルがあった場所ですし、地図を見ても町の中心です。当然、

 町民の思い入れも強いので、子ども向けにしてターゲットを偏らせて、それ以外の

 人たちが使用できないようなコンテンツはこの場所にそぐわないのではないかと。

 町民による町民のための施設が前提だと思いました」。

「町民の健康と幸せにつながる施設をつくろう」。たどり着いたアイデアが、温浴施設をメインにした「ひづめゆ」でした。小川さんたちの計画は町の審査を通過し、2年間、準備を進めてきました。

移住から3年。施設の建設が始まって8か月、ついに迎えたオープンの日。テープカットならぬ“手ぬぐいカット”でお祝いしました。

(小川さん)

「自分が“町のため”とか言っても、受け手の人たちの思いがいちばん重要だと思うので、

 オープンしていろいろな人が並んでいるのを見てはじめて、少しは受け入れてもらって

 いるのかなと安心しました」。

これからも続く挑戦

現在、妻と2人の子どもと4人で紫波町に暮らす小川さん。民間の立場で目指す今後のまちづくりは、どのように思い描いているのでしょうか。

(小川さん)

「新型コロナウイルスの感染拡大もあり、これまでの常識が通用しない変化の激しい時代

 を迎えていると思います。そうした中でも、あまり固定観念にとらわれず、必要だと

 自分が直感的に感じたものはガンガン、チャレンジしたいです。いろんな人が笑い合っ

 て、幸せな空間を一緒に作り上げていけたらいいなと思っています。いろんな選択肢を

 町に増やしていけるような人材であり続けたいなと思います」。

取材後記

小川さんに紫波町の印象について聞くと、「人との距離が近く、ドラマのような町」だと答えてくれました。現在住んでいるアパートでは隣の部屋で始まった宴会に呼ばれたり、幼いお子さんの面倒を見てもらったりと、近所の人と親密なお付き合いをしているそうで、「ずっと紫波に住みたい」と話していました。小川さんの挑戦は、実は「ひづめゆ」にとどまりません。「ひづめゆ」オープンの5か月前には紫波町の複合施設・オガールの中に焼肉店をオープンさせています。安定志向が強まっている昨今。小川さんの挑戦には敬服するとともに、「ちょっとまねできないかも」という、やはり弱気な私の本音も。

   取材 矢野裕一朗

   平成30年(2018年)入局

   県政・医療・科学などを主に取材

   岩手生活も5年目

   十八番は「家族になろうよ」