俳優たちの顔や姿を、作品の世界観に合わせて変えていく特殊メイク。
HerbertThePervert by KOJI
画像提供:Koji Ohmura
この特殊メイクで、いま、岩手から遠く離れたハリウッドで活躍する人がいます。
® 2022 Marc Bryan-Brown
大村公二さん(41)。
盛岡で生まれ育ち、高校卒業後、アルバイトで貯めた資金で単身渡米。
これまでに、『インディージョーンズ』や『インセプション』『バイオハザード』『大統領の執事の涙』など、数多くの有名作品に携わってきました。
盛岡を発っておよそ20年。
大村さんの、細部にまでこだわりリアルさを生み出す腕前は高く評価され、去年12月、アメリカの優れたテレビ番組などに贈られる「エミー賞」を受賞しました。
いまや、ハリウッドを代表する特殊メークアップアーティストの1人となった大村さん。
現在拠点を置くロサンゼルスとつなぎ、話を聞きました。
(聞き手・NHK盛岡 菅谷鈴夏)
---エミー賞受賞おめでとうございます!
ありがとうございます。まず、受賞するって予想してなかったんで。取っちゃった、みたいな感じだったんですけど、本当にうれしくて。すぐに家族に連絡して。壇上に登ったときはもう涙出ちゃって。両親は本当に喜んでましたね。親孝行できたかなっていう感じですね。やっぱりみんなに支えてもらってたので。結果が出ないとやっぱり認めてもらえないので、何とか合わる顔ができたかなという。
---今回の受賞した『ザ・クエスト エヴァレルムの勇者たち』の特殊メイク。どんなところが評価されたのでしょうか?
審査員に直接は評価を聞くことはできないんですが。この作品、『ロード・オブ・ザ・リング』の制作陣で作ったんですよ。で、『ロード・オブ・ザ・リング』の世界を、現実世界に持ってきて子どもたちが参加するという内容のドラマでした。出演する子どもたちが、私たちがメイクしたキャラクターを見てその世界に入り込むというもの。信じ切れるようなファンタジーのものを作るっていう、とにかくリアリティーを追求したのがよかったのかなと、振り返って思います。
® 2022 Marc Bryan-Brown
盛岡を出る時、「大きな賞を取って見せる」みたいな、みんなに豪語してアメリカに来たんで。それで失敗してその顔で日本に帰ったら恥ずかしいっていう感覚がまずあったんですね。 それでやっと取れて、人に合わせる顔ができたという感覚。賞が全てではないですし、最後でもないと思っていますけど。
2017年に独立し、現在は自宅にアトリエを構えています。
この場所で、ハリウッド俳優たちの顔は、大村さんの手でさまざまな造形に変わっていきます。
ずらりと並ぶのは、アトリエに来た名立たる有名俳優たちの顔型。
大村さん:「ミラ・ジョヴォヴィッチさんに、これが、アン・ハサウェイさん。あとは、ロッキーのときのシルヴェスター・スタローンさんとか。」
こちらの何も塗られていない頭の形をしたシリコン。
大村さんが色を塗ると…
大村さん:「偽物が本物に見えるように、皮膚の中にものが見えるような色の塗り方をします。血管とかもものすごく細かく。」
夢の始まり
---どうして特殊メイクの道に進もうと思ったのでしょうか。
盛岡市には映画館通りってありますよね。大通っていうところに。小さなころから結構映画が大好きで。とにかくたくさん観に行った記憶があるんです。結構マイナーな映画も上映してくれる映画館もあって、どんどん映画に詳しくなってのめり込んでいきました。そこで、小学生のとき誕生日に両親と観た『ジュラシックパーク』をみて、衝撃を受けたんです。なんてすばらしいものがスクリーンに出てるんだろうと思って調べたら、特殊メイクチームの人が恐竜を作ってたって知って。できないものが実際に作れるっていうものが、マジシャンみたいだなって。
小学生の頃の大村さん
---そこから本格的に目指したのは?
特殊メイクという存在を知ってからも、いろんな仕事に就きたいなと考える時期はあって。高校生の頃、カリスマ美容師が流行っていて。自分も美容師になろうかなと思って専門学校の見学に行ったら、そこに特殊メイク学科があったんです。そこにある作品を見て、やっぱり映画が好きだし、小学生に感じた衝撃を思い出して、特殊メイクの道に進もうと。当然ハリウッドへの憧れはあって、ハリウッドで特殊メイクアップアーティストになるというのは、最初から思ってました。
でもやっぱり、当時盛岡市の高校でそんな夢を持っている人はいなかったし、まず特殊メイクって何?ってみんなに言われて。メイクは女性のする仕事じゃないの?とか。しかも、自分はアメリカに行きたいって言っていたので、英語使えないのにアメリカに行くのか?みたいな。ちょっと周りは半信半疑だったんですかね。でもまあ負けず嫌いなんで。そんな言われたらやるしかないと思って。高校卒業後は、盛岡市内の飲食店でアルバイトをして渡米資金を貯めて頑張りました。最初は反対されたけど、なんだかんだ最後の方は本当にみんなに応援してもらえましたね。
いざハリウッドへ 心の支えは故郷の風景
---いざアメリカへ行って、そこからハリウッドへはどんな道のりが?
まずはロサンゼルス近郊の大学に通って、特殊メイクの勉強をしました。そこの先生がたまたまハリウッドで働いていた人で。その先生に頼み込んで、ハリウッドの工房で働かせてもらいました。無給でしたけど。大学卒業してからは、つてを使って、特殊メイクでアカデミー賞を受賞したマシュー・マングルさんの工房で働かせてもらうことになりました。
---その中でつらかったこと、あったと思います
いっぱいありましたね。やっぱり言葉が通じないとか。技術も全然かなわないし。日本人とアメリカ人の感覚の違いも引け目に感じてしまって。アメリカ人の方がいいって言われることも結構あったんですよね。でも、それを言い訳にして負けたらここにいる意味がない。日本人であるからいいって思われるようにして頑張らないと。アメリカで成功するってみんなに言って来てるんだから、負けて日本に帰ったら他の人に合わす顔もない。それを技術で乗り越えないとっていう努力をしなきゃいけないと思ってからは毎日3時間くらいしか寝ないで練習して技術を高めて。
つらい時にいつも思い出すのは、ふるさと・盛岡の風景なんです。岩山展望台から見下ろした雪の風景や、田舎の農場のにおい。それと、アメリカへ行くため盛岡駅を出たときの新幹線が閉じる瞬間。ドアが閉じる瞬間を見て、成功するまでもうここには戻らないで頑張ろうって決めたんですよ。つらい時はやっぱり帰りたいってに思うけど帰っちゃいけない。歯を食いしばって頑張る。心を奮い立たせてくれる風景ですね。
---そこから「大きな賞を獲る」という夢を叶えるまでは。
つらいことは多くて、ビザも中々とれなかったり、折れそうな瞬間もたくさんありました。でも、日本にいる頃から大切にしているのは、なによりも「楽しむ」こと。大変な生活スタイルの仕事なので、楽しんでやれるようにならないと面白くない。 そうしないと観客も楽しんでくれない。 メイクのスタッフたちがイライラしているときとかは、ほとんど冗談とかを言って笑わせてあげてますね。やっぱり俳優さんにも楽しいので。そんな感じでいるから、俳優さん達も僕には休憩時間とか日常会話をしてくれるような方が多くて。要は、安心してくれるんだろうなって思いますね。結構仕事休憩の時は1人で集中していたい人が多いけど、自分のところによく来てくれて一緒にごはん食べるとか終わったあとどっか行く?とか言ってくれたり。
写真:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 クリストファー・ロイドさんと
あとは、技術的にも細かい部分まで目がいくねと言われるようになって。仕上げの速さも大切にしながら、細部までこだわる。そうしたスキルも評価してくれるようになって。それからは結構信頼されるようになって、仕事も人づてや指名で結構くるようになりました。去年まで1年半くらいは休みがないっていう状態でしたね。
---大村さんの今の夢はなんですか?
夢は全部かないましたんで。次の夢はこれを続ける。
東北で震災があった時あたりから強く思ってずっと言っているのは、地元の人に見てもらって喜ばれるような作品を作りたいっていうこと。震災を知ったのはこちらからだったので、何もできないみたいな。帰って手伝いに行きたくても、とても帰れるような状況には見えなくて。そうなるとこっちで何かで、今回のエミー賞でも何でも、成功してみんなに勇気を与えられる。盛岡出身で、世界的に見たら誰も知らないような町から、新しい世界に飛び立ってここまでできるんだぞっていう。勇気を与えられるような仕事ができたらと思っていますね。皆さんに見てもらって自分も頑張りたいなとか思っていただければ嬉しい限りです。