避難者4%の衝撃 “あの日”以来の津波警報 そのとき現場は

大北啓史、梅澤美紀
2022年2月16日 午後4:34 公開

 東日本大震災以来の津波警報

1月16日、午前0時すぎ、日本各地の沿岸に津波注意報が発表された。そして午前3時前、岩手県沿岸では津波警報に切り替わった。前日の夜7時すぎの段階では「多少の潮位の変化があるかもしれないものの被害の心配はない」と発表されていたが…。私たちは危機感を抱き始めていた。対象地域の住民は真冬の、しかも深夜の避難は困難を極めるのではないか。夜が明けて次第に情報が伝わってくる。一定の時間で更新される県の避難者数の発表を見るたびに「避難している人たちが少ないのではないだろうか?」と感じ始めた。

岩手県では東日本大震災の発生以来、およそ11年ぶりの津波警報。

行政や住民はどう行動したのか。冬の深夜という状況下でも避難行動はうまくいったのだろうか。

私たち(入局2年目・盛岡局勤務2年目の記者&ディレクター)は津波注意報解除後に本州で最大の1.1mの津波を観測した久慈市に向かった。

出発前、記者の携帯電話には気がかりなメッセージが届いていた

             (記者に届いたメッセージ)

送り主は、久慈市の町内会で事務局長を務める大石純夫さん。今回の津波警報の避難指示の対象地域に入ってはいなかったが、以前、津波避難訓練など地域の防災活動に取り組む町内会の活動を取材した際にお世話になった方だ。

状況が落ち着いた頃に電話をかけてみると、いつもより力のない大石さんの声が聞こえてきた。

記者:「未明から大変でしたね。皆さんご無事ですか?」

大石純夫さん:「無事です。ただ、こうして災害が起きてみると…何もできませんでしたね。あんなに寒くて暗いなか、地域住民に避難を呼びかけたくてもなかなか…特に高齢者にとっては、むしろ避難するほうが危ないのではないかと」

住民は私たちが想像していたよりも難しい避難行動に迫られたのではないか。現地に到着し、取材を始めた。

後悔しないために 震災を教訓に逃げた人

久慈湾に面し、避難指示の対象となった元木沢地区。

                          (久慈湾に面する元木沢地区)

地区の町内会長である一沢福一さんの自宅を訪ねた。94歳の母と妻と3人で暮らしている。住んでいるのは海から700メートルほどの場所だ。

                (一沢福一さん)

一沢福一さん:「高齢者もいるし、逃げて何もないほうが安心。『あのとき逃げればよかった』と思わないほうがいいかなと。後悔しないほうがいいと思って」

一沢さんは11年前、東日本大震災で目にした光景を鮮明に思い出したという。自宅のすぐそばまで津波が押し寄せ、逃げた高台からは津波が車や船を飲み込んでいく様子を目の当たりにした。

一沢福一さん:「あのときも当初3メートルの予想だった。でも想定を超えてきたから…まずは逃げなければいけないと」

冬・夜間の避難の難しさ 浮き彫りに

一方で、真冬の深夜に避難することの難しさを痛感したという。一沢さんが避難を開始したのは津波警報に切り替わった午前3時ごろ。

当時の気温は0.9度。避難したのは自宅から800メートル離れた高台で市の指定避難場所にもなっている久慈総合運動場。辺りは真っ暗で路面も凍結していて危なく、高齢の母親を連れて徒歩で避難するのは困難だと考え車で避難することにした一沢さん。なんとか避難場所までたどり着いたが、そこは屋外の駐車場。当然、暖房器具などはなく、室内で暖をとる場所もない。

           (避難場所である久慈総合運動場)

車内にとどまりエンジンをかけて親子3人で8時ごろまで過ごした。

               (車内で一夜を明かす)

なぜ、久慈総合運動場への避難を選んだのか。以前は毛布などが保管してある「元木沢地区防災センター」に避難していたが、おととし国が公表した日本海溝の巨大地震による津波の新想定で、センターに通じる道路が浸水エリアに入ったことから市の指定避難場所から除外された。

一方で、津波警報が出ているのに遠く離れた暖房器具などがそろう避難所への移動も危険だと考え一沢さんたちは自宅から一番近い高台の避難場所に向かうしか選択肢がなかったのだ。

一沢さんは、深夜の寒い時間帯に避難したくても躊躇した住民が多かったのではないかと話す。

                (一沢福一さん)

1月に町内会長になったばかりの一沢さん。自主防災組織としても活動する町内会のリーダーとして、早期の避難行動や防寒対策の重要性を地域の住民に呼びかけたいとしている。

“防潮堤を越えることはない”“揺れなかったから…”

私たちは、避難しなかった住民にも話を聞いてまわった。

避難指示の対象地域でとりわけ海に近い場所でも、「避難しなかった」と話す人が驚くほど多かった。その理由を尋ねると、「深夜で暗い中、路面も凍結しているのに避難所には行けない」「寒い中、高齢者を連れて避難するのは不安だった」という声もあるなかで、

「遠い国で起きた噴火の影響と言われると、あまり危機感が持てなかった」「予想は3メートル。8メートルある防潮堤を越えることはない」「地震が起きると『津波が来る』と思うが、今回は揺れなかったから実感がなかった」

といった声が複数聞かれた。

それは私たちにとってかなりの衝撃だった。
死者・行方不明者をあわせて岩手県内だけでも5786人にのぼった東日本大震災の発生から、まもなく11年。津波警報や避難指示が出たら「自分は大丈夫」と思わずに、すぐに逃げることの重要性が共有されてきた。それが本当に活かされているのか、忘れてしまったのではないかと思わざるをえなかった。

避難者4.2%の衝撃

実際に、多くの人が避難しなかった実態が明らかになった。岩手県沿岸にある12市町村では津波注意報の発表で相次いで避難指示を発表。県によると対象は計2万2403世帯、4万7306人にのぼった。そのうち、実際に避難した人は最大で1984人。率にして4.2%にとどまる。

市町村別で見てみると、割合の高い順に

久慈市  574/3444人 (16.6%) 
大船渡市 377/3932人 (9.5%)
陸前高田市 79/899人 (8.7%) 
山田町  149/1928人 (7.7%)
岩泉町   62/836人 (7.4%)
洋野町   42/583人 (7.2%)
宮古市  369/7585人 (4.8%)
大槌町   161/11254人 (1.4%)           
野田村       37/2741人 (1.3%)
釜石市   128/12116人 (1.0%)
田野畑村       4/754人 (0.5%)
普代村         2/1234人 (0.1%)

最も割合が高かったのは、1.1mの津波を観測した久慈市。それでも2割を切った。残る11市町村は、1割にも満たない。

行政はどう受け止めたのか

行政も危機感を募らせている。

                                        (久慈市消防防災課 田中淳茂課長)

田中課長:「夜中で、しかも真冬ということもあって、全体的な避難は少し鈍ったのかなと。避難指示を出している地域では全員の方々に避難していただくということを考えると、少なかったと思う。避難所対応に関しても必要な資機材等もいろいろ、ストーブや毛布も必要だと思うので引き続き備蓄も進めたいなと思います」

さらに今回、避難した人の多くは車での避難を選択していた。

田中課長:「基本的には渋滞等も考えられますので、徒歩で避難していただくようお願いしています。ただ今回はみなさん就寝されている時間帯ですし、冬場でもありますので、なかなか徒歩で逃げるのが難しい状況だったのかなと思います」

1月26日の知事会見。達増知事は今回の避難者数をどう受け止めたか尋ねると…

              (1月26日 知事会見)

達増知事:「久慈は避難率が16%など一定の避難してもらった地域もあるが、もっと避難していただくべきだったと考えています。地震による津波と違い、よくわからないからこそ避難する。大したことにならなかったとしても避難しておくのが基本になります。夜間の避難に関する情報の伝え方、防寒対策が必要になるような避難のあり方…こういったテーマで県と市町村とで話し合いの場をもつ予定にしているので、改善を図っていきたい」

 同じような条件で衝撃の想定が…

私たちが危機感を強くした理由の1つは、去年12月に国が公表した衝撃のシミュレーションがあるからだ。

        日本海溝の巨大地震による津波の被害想定(岩手県内)

日本海溝で巨大地震と津波が発生した場合の被害想定。岩手県では冬の深夜に発生し、早期の避難率が低かった場合、震災の2倍近くにあたる1万1千人の死者が出るとの想定が出された。また冬の深夜に発生した場合、津波から逃れても屋外で長時間過ごすなどして低体温症になり、命の危険にさらされるおそれがある人がおよそ1万4000人に達すると想定されている。一方、避難する人の割合が高いと、冬の深夜でも死者は3200人まで減らすことができるとされている。

「冬の深夜」という、条件だけは一致したうえでの今回の避難行動。

専門家は冬の避難への備えを訴える。

       (岩手大学地域防災研究センター 福留邦洋 教授)

福留教授:「真冬でもかなり厳しい環境下でも本当に避難しなければならない。個々での防寒対策のほか、行政も避難場所や避難所で暖をとれるよう準備しておくことが大切」

そのうえで、改めて避難の意識を高めていく必要があると強調する。

福留教授:「厳しい環境のなかでも、避難行動に移すことがいちばん肝心。東日本大震災は、防潮堤などハードの対策だけでは防ぎきれないということを示した災害だった。震災後、防潮堤など新たに整備されてきたが、『ハードが整ったから大丈夫だろう』ということであれば、残念ながら11年前の教訓が必ずしもいかしきれていない」

東日本大震災の発生からまもなく11年となるのを前に発表された津波警報。あの日の教訓は、本当に生かされているのか。「自分たちは大丈夫」と思わずに、避難指示が出たら「まず逃げる」という意識を改めて持つ必要があるのではないでしょうか。今回のような条件で想定されているような巨大地震が起こったとき、自分自身や大切な人の命を守ることができるのか。もう一度、見つめ直してみませんか。

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