去年5月、私は大きな希望と多少の不安も抱えてJR盛岡駅に降り立ちました。
兵庫県出身で大学時代を東京で過ごし、卒業後、NHK盛岡放送局への赴任が決まりました。盛岡に向かうべく私は東京駅から東北新幹線に乗りました。およそ2時間10分後、盛岡駅に到着。鉄道が好きで学生時代は東京の私鉄で駅員のアルバイト経験もあり、何度も新幹線に乗ったことはありましたが、改めて私の社会人としての一歩を運んだ東北新幹線は速いと感じました。盛岡-東京間はおよそ500km。東北新幹線の開業前は盛岡から東京に行くには特急を使っても6時間以上もかかっていました。
ことし6月23日で東北新幹線が盛岡-大宮間で開業して40年。
私はどうしても話を聞きたい方がいました。40年前の開業初日、盛岡駅を発車した東北新幹線の上りの一番列車を運転した岩手出身の元運転士です。
(NHK盛岡放送局記者 粟田大貴)
6月中旬、JR盛岡駅の改札前で私は待ち合わせをしました。
1982年(昭和57年)6月23日、
盛岡駅発の東北新幹線一番列車を運転していた元運転士の小野武司さん81歳です。
私が生まれる15年も前の開業日がどんな日だったのか盛岡駅のホームで教えてもらいました。
40年前とあまり姿を変えていないという盛岡駅。向かったのは11番ホーム。
(小野さん)
「車庫から東北新幹線を移動させて、ここが先頭車両の停止位置。ここに合わせました。
これからいよいよ新幹線の時代が来るのだなという気持ちでいっぱいでしたね」
40年前の記憶は今も深く胸に刻まれていました。
岩手の人たちの夢と希望を乗せた東北新幹線の開業。
一番列車のやまびこ10号の発車を前に盛岡駅では出発式が行われました。
小野さんも当時の国鉄総裁などとともに参加し、ミス東北新幹線の人から花束を受け取りました。
(小野さん)
「報道の人も含めてホームはすごい人でいっぱいでした。国鉄総裁から『きょうはがんばってください』と声をかけられ『はい、ありがとうございます』と返しました。やはり新幹線開業日なのだという気持ちで緊張はしてきました」
式典が進む中、小野さんは運転席に移動し静かに出発の時を待ちました。
(小野さん)
「お客さんが乗っていることはやはり安全に運ばないとならないし
定時に運転をしなければいけないし、そういうプレッシャーはあったと思います。
心構えはふだんどおりというか、いつもどおりで仙台まで頑張ろうという気持ちで
待っていました」
そして午前7時15分、小野さんが運転する東北新幹線の一番列車やまびこ10号は盛岡駅を発車しました。
(小野さん)
「静かにスーッと出る感じでした。それでだんだん速度が上がっていき
われわれのころは時速200キロ、210キロで走っていました」
多くの岩手の人たちが歴史の新たな1ページを沿線から見守り、
その姿は運転する小野さんにも見えていたということです。
(小野さん)
「当時は沿線にいる人がけっこう見えましたね。旗を振ってくれる人もいましたからね。新幹線を待ってくれていた人たちが祝ってくれているのだという気持ちで運転した」
二戸市で生まれ、高校卒業後に当時の国鉄に就職し東京の中央線をはじめ県内の北上線や釜石線などで運転士をしていた小野さん。
転機となったのは開業の2年前でした。
東北新幹線の運転士候補1期生に選ばれて東京などでの研修が始まりました。
(小野さん)
「新幹線という新しい鉄道を運転できるのだなと。
どちらかというと真新しいものに飛びつくほうだったかもしれません、若いころは。
まさかこういう一番列車の運転士になるとは、その時は全然、思っていなかった」
雪国を走る東北新幹線では雪の中での走行試験などを繰り返しました。
実際に運転してみるとスピードの速さと車両の性能の高さに驚いたということです。
(小野さん)
「在来線であればせいぜい時速100キロくらいで新幹線は倍だからね。
確かに速いなと思いました。電柱なんか飛んでいくような感じでした。
運転台も高くて見晴らしがよく、運転席も当時からすれば今まで運転してきた列車と全然違いましたね。
また、全く揺れないのです。誰かが運転台にタバコを立てたのですが運転していても倒れなかった。本当に大した車両だなと思いました。衝撃も少なくてスムーズに走ると思った」
1年あまり試運転を繰り返し、開業の2日前、一番列車運転の大役は上司から告げられたということです。
(小野さん)
「『一番列車の運転を『どうだ』と言われて『わかりました。やってみますと』
報道の人に写真を撮られたりして、そういうのがあまり得意ではなかったので緊張しました。大変なことになったなとは思いました」
東北新幹線の開業日には盛岡駅のほかにも県内では北上駅と一ノ関駅が新幹線停車駅としてデビューします。小野さんが担当した運転区間は盛岡-仙台間。
いつも以上に慎重な運転を心がけ一番列車を仙台駅まで定刻どおり1時間16分かけて走らせました。
(小野さん)
「試運転や雪での試験も含めて乗っているのは鉄道関係者だけでしたからね。お客さんを乗せて運転した最初の日でしたから。もう運転だけに神経を使いました。
各駅ともすごい人でしたね。仙台に着いたら、やはりホッとしましたね。安心して大宮に向かう運転士にバトンタッチをしました」
東北新幹線は盛岡―大宮開業の3年後、1985年(昭和60年)に大宮-上野間が開業し1991年(平成3年)には上野-東京間が開業しました。ビジネス客やスキー客の増加で2階建て車両も登場し、大量輸送時代を支え多くの人の人生を運びました。
小野さんは、その後も15年近く東北新幹線の運転を続けました。
引退したのは1997年(平成9年)3月。
航空機との競争で新幹線が高速化へと向かい、今も現役で走行している最高時速275キロのE2系が導入されたときでした。
(小野さん)
「大宮から上野、東京へと東北新幹線が延伸していき10年以上、新幹線の運転士をしたが楽しかった。大きい事故には遭わなかったことはいまも誇り。そういう運転士時代を終われたのはやはり幸せだったのかな」
現在、東北新幹線の最高時速は開業時より100キロ以上速い320キロにまで上がり
盛岡-東京間の所要時間は2時間10分に。開業当時は盛岡-上野間が乗り換えも含めて約4時間かかりました。この40年で高速化は大きく進んでいます。
小野さんが主に運転していたのは丸い鼻に緑のラインの200系。
現在のE5系を見て思うことは?
(小野さん)
「車両を見るとますます新しくなっていて、すばらしいなと。こういう車両も運転してみたかったなという気持ちになりますね」
JRは北海道新幹線が札幌に延伸する8年後の2030年度を目指して
さらなる高速化にも取り組んでいます。
今も進化を続ける東北新幹線への小野さんの思いを聞きました。
(小野さん)
「われわれの時代とはもう雲泥の差です。
今度また新しい速い新幹線が走るみたいですので
次世代新幹線のALFA-Xは時速360キロでしたか。
それにも乗ってみたいと思います。
スピードが上がっても安全運転ですね。日本は地震が多く3月に地震で脱線したが
災害に対する強さも備えていかないといけないのではないか」
NHK盛岡局
記者 粟田大貴
令和3年(2021年)入局
警察・司法・鉄道・スポーツなどを取材
学生時代は小田急線新宿駅で
駅員のアルバイト経験も。
帰省の際に新幹線を乗り継ぎ
盛岡―東京―姫路に挑戦したいです。