終わりが見えない、ウクライナへのロシアの軍事侵攻。
「支援がなかなか次のフェーズに進まない」 「ロシアの核兵器使用もゼロとは言えなくなってきた」
侵攻から来月で1年になります。
戦禍にさらされている人々の状況や求められている支援など、支援機関や専門家へのインタビューを詳しく伝えます。
(盛岡放送局記者 髙橋広行)
2023年1月18日「おばんですいわて」で放送
命に関わる厳しい寒さ あたたかなまなざしを
「UNHCRの公式支援窓口」国連UNHCR協会 広報・渉外担当 島田祐子さん
-いまどのような支援が行われているか?
「いま、ウクライナも周辺国も、日常的に氷点下10度近くになるなど、非常に寒さが厳しくなっています。ロシアの攻撃によって、電力などのインフラが破壊されている地域も多いので、差し迫っているのは、防寒支援。保温性の高い毛布、防水シート、寝袋、衣類、燃料といった防寒用品の配布を急ピッチで進めています」
「ウクライナ国内の避難民は600万人以上とされ、寒さが厳しくなる前の11月の段階では、UNHCRの何らかの支援を受けた人は、そのうちの半数でした。支援はUNHCR以外の国際機関やNGOなどさまざまな組織が行っているとはいえ、とても物資がいきわたっている状況ではありません。まだまだ足りない、寒さだけ見ても命に関わる状況が続いています。去年2月下旬の侵攻当初も寒さが指摘されていましたが、春に向かう時期でもあったので、インフラの破壊と合わせて、より深刻な状況です」
-日本からの寄付が現金として避難民に渡されていると聞く。
「柔軟な支援につなげるために、直接現金を支給する対応はいまも引き続き行っています。戦況が落ち着いた地域では、避難していた人が戻り、家屋を再建する動きも出ています。そのための資材の提供、直るまでの避難所の運営も続いています。さらに諸外国や民間企業の協力を得たうえで、病院、療養所、学校、避難所として使われている場所などに発電機を届ける援助もしています」
―そのほか、侵攻当初と比べ支援ニーズはどう変化しているか?
「心身に傷を負った方の心理的ケア・カウンセリングがあげられます。空襲のサイレンが鳴る度にフラッシュバックが起きたり、反射的に体がすくんで強いストレスがかかるということが世代を問わず、報告されています。症状や気持ちを言語化できない人、子どもや障害のある人には特別なケアも必要です。それから、避難先の地域に溶け込むためのサポートも、現地のNGOなどと協力しながら行っています」
子どもたちだけで避難のケースも
「これはあまり報道されませんし、ウクライナに限ったことではありませんが、ユニセフと共同して、バラバラになってしまった家族の再会にも力を入れています。UNHCRでは、侵攻の初期から、避難民の方から詳細なヒアリングを行い、家族構成や特別なニーズの有無をはじめ、生体認証もできるデータベース化を進めています。
今回は、子どもたち、未成年者だけで避難しているケースも多くあります。このため、家族が急に別の場所に避難して所在がわからなくなっている時に、周辺国の国境付近など38か所に設置した『ブルードット』と呼ばれる支援センター等で、データベースの情報を検索・照合します。移動手段のサポート・情報提供も行いながら、現地NGOの協力も得て、家族の再会につなげています。こういったところにも、日本のみなさんからの寄付金が活用されています」
UNHCR職員も被害者に
―支援する側の体制はどうなっている?
「去年2月の侵攻以前にUNHCRはウクライナ国内に6か所の事務所、約100名の職員を配置していました。侵攻の長期化を受けて支援体制の強化を進め、いまは国内拠点は10か所、職員も約300人に増強しています。戦闘の激しい東部のルハンシクやドネツクにも拠点を維持しています。
職員の中には、家族を失ったり、自宅が破壊されたりした当事者という人も少なくありません。キーウやリヴィウといった都市部でも日常的に空襲のサイレンが鳴っています。爆撃を避けるために地下に事務所を移し、1日数時間しかインターネットがつながらないような環境で、支援業務を続けているのが実情です」
次のフェーズに進めない
―戦況の変化もあって支援が多層化、複雑化している?
「そのとおりです。通常の難民支援のフローであれば、紛争なり、政治的な迫害の後に、国民・民族の大規模な移動があり、だけれども移動しきれれば、何とか安全は確保されている。そして、そこで、次の生活や仕事の再建などにフェーズに移っていきます。
ところが、今回のウクライナの場合は、戦況が刻々と変わるなかで、国外に避難する人もいれば、国内で避難民となっている人もおられる。状況によっては故郷に戻る人もいる。しかし、故郷に戻れたとしても家は破壊され、インフラも生きていない。
UNHCRの報告では、昨年2月以降にウクライナから国外へ避難した人は累計で1700万人、このうち900万人は、行き来しているケースも含めて、国内に戻ったとみられているんです。そして、いま、こうしたすべての人たちに支援が必要ということが、今回のすごく特徴的なことです。インターネットもつながらないところも少なくなく、物流網が断たれ、支援の継続ができない、次のフェーズに進みづらいことが、支援を難しくしています」
―日本からの寄付や関心は変わっていない?
「去年5月くらいまでは、過去20年で例を見ないスピード・規模で日本からの寄付が集まりましたが、それ以降は、落ち着いてしまったのが事実です。しかし、11月から全世界に対して『防寒支援』のキャンペーンを打ったところ、日本からの寄付が再び増えている状況があり、大変有り難く感じています。時間の経過によって国際社会の関心が薄れてしまうことが最大の課題です。ニュースを見る目が慣れてしまっていないでしょうか。爆撃の映像や破壊されたまちの裏に、私たちと変わらない人々、その暮らしがあることを思い出し続けて欲しいと感じています」
現金支援が有効
―私たちにどのような支援ができるか?
「物流網が分断されていることもあり、物資の寄付を届けるのは、現地への発送や管理も含めて、寄付者・寄付企業の責任で行っていただいているのが現実です。個人レベルで物資を届けるのは大変難しい状況が続いていますので、やはり現地での柔軟性もふまえると、現金で支援をいただくのが一番だと考えています」
-現地からの報告で印象に残っていることは?
「去年3月と少し前になりますが、戦闘の激しい東部から西部の町リヴィウに電車を乗り継いで避難してきた70代の夫婦から、UNHCRの日本人職員が聞いた話です。
この夫婦は、隣の家が破壊されるギリギリまで避難しなかったそうなんですが、理由を訪ねると、『来年が結婚50周年という記念の年だったので、住み慣れた街で、大好きな我が家でどうしても過ごしたかった』ということでした。いま一番望むことは何ですかと聞くと『50周年の年には、ふるさとがどんな悲惨な状況になっていたとしても、自宅に戻り、自宅を直して、そこでお祝いをしたい』と話されていたそうです。
ウクライナの方の故郷を思う気持ちを象徴するようなエピソードだと感じています。どうか引き続き、あたたかなまなざしを向けていただければと思います」
核兵器使用ゼロとは言えず いまが停戦合意のとき
国際政治・安全保障が専門 早稲田大学 山本武彦 名誉教授
「新年早々、アメリカとドイツが相次いで供与する武器のレベルを引き上げると報じられた。これまで送っていた『装甲兵員輸送車』より、火力があり装甲も厚い『歩兵戦闘車』だ。NATO諸国の関与が強まったという意味で、戦局は第2ステージに入ったと言える。
これまで核兵器は、プーチン大統領の脅しでしかなかったが、使用する可能性がゼロとは言えなくなってきた。いま、もっとも緊迫した状況にある。双方が冷静さをどれだけ維持できるかが今後のポイントになる」
「時間が経てば経つほど、戦局を打開しようと、NATO諸国の関与は強まらざるを得ない。そうするとロシアを刺激することになり、停戦合意は難しくなる。つまり、常にいまこの瞬間が停戦合意のベストなタイミングだ。いまのところ停戦するには、双方の妥協案として、東部からロシア軍が撤退しつつも、何らかの政治的な影響力は残す、というシナリオしか描けないが、見通しは大変厳しい」
春まで戦局は変わらず? “血債”ふくれ停戦困難
ロシアと東アジアの関係に詳しい 岩手大学 麻田雅文 准教授
「欧米各国からの支援が積み上がり、ウクライナに有利な戦況だが、新たに供与されるという武器は、ウクライナは熟練するまですぐには実戦では使えない。一方でロシアは戦争資源は枯渇気味だ。ロシアでは徴兵された兵士は、戦地に派遣しないよう定められており、今回もそうしないとプーチン大統領は公言していて、民間軍事会社を頼っている。その民間軍事会社のもとで、刑事罰の対象者を戦地に動員するロシア帝国時代の伝統が復活しているほど。このため春ごろまで戦局は大きく変わらず、いまのような戦闘が続いてしまう可能性もある」
「プーチン政権は当初、『特別軍事作戦』という言葉を使って軽い印象を与えていたが、戦闘の長期化と犠牲の多さから、いまはこの戦争と心中する覚悟で、浮沈がかかっている。即時停戦の主導権はロシア側にある。しかし、戦闘での犠牲は、血が流されたという意味で“血債”(けっさい)と呼ばれるが、ロシアの血債は増え続けており、国内を納得させられる戦果があがらない限り、ロシアから停戦できないだろう」
●取材後記
戦争は一度始めたら、なかなかやめられない。
ウクライナ情勢を知れば知るほど、この歴史の教訓を、まざまざと見せつけられている思いです。
私はウクライナの現地に行った訳ではありませんし、紛争地での取材の経験もありません。ですが、侵攻当初の去年3月、支援機関や専門家のインタビューの全文をWEB記事にしたところ、予想以上の読者からの反響がありました。誰もが、関心ともどかしさを感じていると受け止めました。
支援機関や国際組織の人たちは、口をそろえて「私たちが最も恐れるのは、社会の関心の低下」だといいます。岩手にいながら、盛岡にいながらも、関心を喚起できる発信ができればと思います。
NHK盛岡放送局 記者 髙橋 広行
埼玉県川越市出身。2006年NHK入局。
広島局、社会部、成田支局を経て2019年から盛岡局。8歳と5歳の父親。