NHKの連続テレビ小説「らんまん」のモデル、植物学者の牧野富太郎博士。
94年の生涯でさまざまな新種を発見したほか、植物を分類したことでも知られ、約1500種類の植物に命名しました。自ら緻密な植物図も描き残し、日本の植物学の礎を築きました。
高知県出身で主に東京を拠点に活動していた牧野博士。
実は兵庫県とも深い関わりがあったことを知っていますか?
県の花になっている「ノジギク」は、牧野博士が発見し名前をつけました。姫路市大塩にあるノジギクの群生地をかつて訪れた際には、日本一の群生地として絶賛したとも言われています。
100年前に芽生えた牧野博士と兵庫とのつながりを神戸放送局の山下剛史カメラマンが取材しました。
兵庫の植物愛好家との交流 きっかけは…
ことしで開園90周年を迎えた神戸市灘区にある六甲高山植物園です。牧野博士が何度も足を運んだ記録が残っています。
春本番を迎えた植物園を訪ねると、三津山咲子学芸員(みつやま・さきこ)が博士ゆかりの花を案内してくれました。
三津山咲子学芸員:
「この小さな花はシハイスミレで牧野富太郎が命名しました。葉っぱをひっくり返したら紫色になっていて、紫の背のスミレでシハイスミレです。こういった小さくて地味な植物も細かく分類していて、(牧野は)すべての植物を愛していました」
六甲高山植物園や隣接するROKKO森の音ミュージアムでは今、牧野博士に関連した特別展が行われています。ゆかりのある書や図鑑のほか、兵庫の植物愛好家と交わした手紙など、あわせて220点余が展示され、博士が兵庫に残した足跡をたどることができます。
手紙のやりとりからは、牧野博士が晩年まで愛好家たちとの交流を続けていたことが分かります。高齢で兵庫になかなか来られなくなってからも、六甲山で見かけた藤の花を送ってほしいとお願いする内容のものもあり、いつも兵庫に思いをはせていたことが読み取れます。
こうした兵庫の植物愛好家との交流はどのようにして生まれたのでしょうか?
今から100年以上前の大正5年、研究に打ち込みすぎた牧野博士は、現在の価値に換算すると約1億円の借金を抱えていました。みずからの植物標本を売り、手放すことも考えるほど困り果てていたといいます。そこに現れたのが神戸の資産家だった池長孟(いけなが・はじめ)でした。
池長は標本を買い取った上で、その標本を博士に寄贈し、保管できる研究所も設立。研究に専念できる環境を作ったのです。
三津山咲子学芸員:
「資産家のお金の使い道は文化発展につながるようなことに使うべきだといった名文を池長孟は残しています。池長が標本を買い取ったことで、牧野富太郎という植物学者の功績がたくさん残されています」
この池長の支援をきっかけに、その後25年にもわたって神戸に通い、研究することになった牧野博士は、県内の植物愛好家とも交流を深めていきます。
六甲高山植物園で植物愛好家を前に講話をしている様子や、昭和12年に氷ノ山に登って愛好家たちと一緒に植物採集をしている博士の映像が残されています。
県内各地に赴き新種の植物を発見したほか、魅力を伝える活動を行い、兵庫の植物学の発展に大きく貢献しました。
三津山咲子学芸員:
「牧野富太郎という植物界の巨人、カリスマが神戸に25年間通ったことで、たくさんの植物好きの人やお弟子さんが育って、いまにつながる植物文化が神戸に発展しました」
牧野博士の人柄を知る人に話を聞くことができました。
丹波篠山市に住む樋口清一さん(ひぐち・きよかず)です。父親が牧野博士と交流を持っていました。ROKKO森の音ミュージアムには、樋口さんの父と牧野博士の交流の様子をうかがい知ることができる、はがきや書が展示されています。
樋口清一さん:
「牧野先生は当時スターだったと思います。大勢のファンがいて、篠山に来られたときも200人以上が集まってきて、山の頂上にみんな上がりきれなかったと言っていました。それぐらい人気のあった人なので、おそらく父もファンの1人だったと思います」
2人が交わしたはがきが今も残っています。父・繁一さん(しげいち)が珍しいランの花である「トケンラン」の自生地を見つけた際、その球根を牧野博士が持ち帰り、芽が出てきたことをうれしそうに伝えています。牧野博士とは50歳ほど年が離れていましたが、繁一さんが見つけた新種の植物に博士が学名をつけることもありました。
(写真左:樋口繁一氏 右:牧野富太郎博士)
樋口清一さん:
「父からすれば大先生だから、畏れ多いと思いながらもおつきあいしたと思うんですけど、気安くつきあっていただいた。多くの人が影響を受けたのではないかと思います。植物に目を向けさせる火付け役だった気がします」
100年後のいま 牧野博士に思いを寄せる
再び脚光を浴びた牧野博士。その足跡を知ってもらおうと県内各地で取り組みが始まっています。神戸市兵庫区にある会下山小公園(えげやましょうこうえん)です。かつて博士の標本を保管していた建物があり、その縁で「牧野公園」とも呼ばれています。
4月上旬、地域の人たちが集まって花を植える活動が行われました。用意されたのはノジギクやコクチナシなど、牧野博士ゆかりの植物。花が咲くころに訪れた人が牧野博士に思いをはせてもらえたらと、集まった家族連れなどが期待を込めながら丁寧に植えていきました。
公園の管理会の会長を務める吉岡伊勇さん(よしおか・よしたけ)は、牧野博士が改めて注目されているなか、ゆかりの地に暮らす住民としての思いを語ってくれました。
吉岡伊勇さん:
「こういう偉大な人物がこの辺にいたことを会下山としては誇りに思っています。牧野博士の偉大な姿を知っていただいて、気楽に博士をしのんでいただき、みなさん楽しく気楽に来られるような公園になったらと思います」
【取材後記】(NHK神戸・山下剛史カメラマン)
会下山小公園で撮影していると、公園が牧野博士のゆかりの地であることを知って訪ねてくる人たちに何度も出会いました。一方で、地元に住んでいながらも、詳しくは知らなかったという方もいました。牧野博士が改めて脚光を浴びる今、地元の良さの再発見にもつながっているように思います。
普段、カメラマンとして季節の花や植物を撮影する機会がたくさんありますが、撮るものは桜や紅葉、ひまわりなど有名なものがほとんどです。
私たちが普段気付かないような、時には雑草?と思ってしまうような植物にも一つ一つ違いがあることを、今回の取材を通して実感することができました。名前を知っているというだけで日々の生活がちょっとだけ豊かになるような気がします。
牧野富太郎博士を知ることを通して、多くの人が植物にさらに関心を持ってもらえればと思います。
ご紹介した六甲高山植物園とROKKO森の音ミュージアムが合同開催している特別展は、8月15日まで開催されています。
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