突如、始まったロシアによる軍事侵攻。その直後、開催されたのが北京パラリンピックでした。現地で取材していた私は、ウクライナから来た記者に選手たちの様子を尋ねました。彼は「母国が戦禍にあるなかで、皆、スポーツを続けることに迷いを抱えている」と答えました。その言葉通り、メダルを獲得したときでさえ、ウクライナの代表選手たちに笑顔は見られませんでした。その姿が私の心には、強く残りました。
5月、サッカー・ウクライナ代表への取材が、NHKクルーに許可されました。ウクライナ代表は、欧州予選グループ2位でプレーオフに進出。6月に延期されたトーナメントで2勝すれば、16年ぶり2回目の本戦出場が決まることになっていました。私たちは、ワールドカップ出場権をかけた1ヶ月間を見つめたいと考えました。
選手たちの胸中 背負う必要ない “罪悪感”
ともに取材にあたってくれたのは、ウクライナ人のオリガ・ホメンコさんでした。ロシアによる攻撃が激しくなるなか、オリガさんはオーストリアのウィーンに避難することを余儀なくされていました。一方、ウクライナの代表選手たちもプレーオフに臨むため、スロベニアで合宿することを命じられました。
離れた国外から母国を思う。同じ境遇にあるオリガさんに代表選手たちは複雑な胸のうちを明かしてくれました。「サッカーをしている間にも亡くなっている人がいる」「自分だけが安全な地でサッカーをしていていいのか」-。本来なら背負う必要のない罪悪感でした。サッカーをすることの意味を考える代表選手たちの姿は、北京パラリンピックで笑みを消した選手たちと重なりました。そして、その葛藤は国外に避難しているウクライナの人々が抱える共通のものにも思えました。
戦禍 スポーツにできることは
ただ、無観客開催だったパラリンピックと異なり、彼らは応援してくれる人々と接する機会に恵まれました。国外に避難した人々が、練習場やスタジアムに駆けつけてくれたのです。ワールドカップ予選を戦い抜いたウクライナ代表。彼らが探し求めた戦うことの意味、そして、この物語がどんな結末を迎えるのか。ぜひ、ご覧いただければと願っています。戦禍のなか、きっとスポーツにもできることがある、そう感じてもらえたら幸いです。
ディレクター/齋藤章 廣瀬隼人 取材/オリガ・ホメンコ