#16 「心が震える」陸上・新谷仁美

NHK
2021年6月20日 午後1:37 公開

取材するアスリートがあまり調子のよくない時、制作者は2つのタイプに分かれる。

「面白くなってきた」とまでは言わないが、物語が動き出すことを期待するタイプ。 あるいはアスリートの状態を自分のことのように受け止め、苦しんでしまうタイプ。

人として、どちらが誠実かは言うまでもない。私は前者であり、取材ディレクターは後者であった。

新谷仁美の心と、何かがシンクロした。

新谷の表情、言葉、そして走り。すべてが圧倒的だ。

「やっぱり私自身が100かゼロしかないと思っているから、ゼロの姿を見せちゃダメだって思っていて。それはやっぱり、私自身が商品として価値が無くなるっていう恐怖があって、やっぱり結果出してこそなんぼだし」

「世間が求めているアスリート像、新谷仁美っていうものを普段から作り出そうとしているからこそ、絶対弱いところは見せちゃいけない。なんならロボットのように、壊れない新谷仁美を演じなきゃいけないっていうのは常々ある」

発言はその表情のようにコロコロと変わり、その全てが切実。嵐のような熱情。それが言葉になり、走りとなり、怒りとなり、涙になる。

「私、失敗するのが怖いから多分こういう性格になっちゃった気がする。スポンサーだったり所属先とかに対しては、多分私みたいな選手はごまんといるから、多分、結果出なかったら、1回結果出なくてもポイされるわっていう覚悟ではいるから。だから失敗絶対だめだ、当たり前のように勝たなきゃいけないんだって思っちゃうから。だから失敗してもいいよとか言ってくれますけど、いや、だめです。失敗したら本当に本当に職失っちゃう」

新谷と関わる人はきっと、その波動を全身に浴びることになる。その嵐に弾き飛ばされない人は特別な人。そして新谷は、その特別な人を見極めることができる。

この人なら、大丈夫だ。 この人なら、私の全てをぶつけても大丈夫だと。

それがきっとコーチの横田さんであり、ディレクターでもあった。

新谷が悩みに落ちていくとき、ディレクターも一緒に暗い穴に落ち込んでいるように見えた。取材や番組の行く末を心配しているようで、もっと深いものに巻き込まれていくようで心配した。

でも、どうすることもできない。

潜水士のように深い海に潜るのがディレクターならば、 何かをつかんで水面に顔を出してくれることを待つだけ。

心はきっと、振動や周波数のようなもの。

音楽が空気の振動であるように、人の言葉が空気の振動であるように、きっと心も何かの振動であり、周波数だ。

心が震えるとき、心と心が震えるとき、ふたつの心は、ひとつのように共振する。

頭が理解する前に鳥肌が立つ。心臓を鷲掴みにされる。あまりに圧倒的な振動を発するものを前に、言葉や論理はどちらかと言うと防波堤だ。

それは特別な経験。何度とない。少し怖くて、でも引き込まれるような感覚。辛かった過去も、誰かと響き合うためのものだったように思える。誰にでもきっと、心当たりはあるはず。

柔らかく傷つきやすく敏感な魂のとき、だからこそできること。

最後のロケから帰ってきたとき、ディレクターは憑き物が落ちたような表情をしていた。日焼けした腕を笑いながら、新谷さんが少し前向きになっていたと、嬉しそうに語った。

ナレーションはディレクター自身がすべきだと思い、そう提案した。

読みが下手でもいい。その不完全な声が、どこか遠くの不完全な心と、また共鳴するはずだと感じた。

私の心が震えたように、あなたの心も震えるといい。

   

【スポーツ×ヒューマン編集長   前田達也】

1971年生 サンデースポーツや土曜スポーツタイム、「ミラクルボディ(走り高跳び)」などの取材・制作に携わる。芋焼酎と音楽を好む。制作しながら橘いずみの「失格」を聴いていた。