去年5月。コロナ禍で鬱屈とした気分を晴らすニュースが飛び込んできました。「元稀勢の里 荒磯親方 地元茨城で独立」。茨城県で絶大な人気を誇る稀勢の里が地元で相撲部屋を開く、県民にとって最大のニュースです。水戸局でディレクターをしている私も、すぐに飛びつきました。しかし、取材の前に立ちはだかったのが、コロナでした。独立初日の8月1日。親方の会見はリモートとなり、稽古の様子のロケも許されず。親方取材は、なんとも歯がゆいスタートとなりました。
取材は茨の道 親方の胸を借りた “ぶつかり稽古”
現役中は寡黙な印象だった稀勢の里。引退後は打って変わり、軽快で分かりやすい実況解説で再び人気となりました。勝負の第一線から退いた今こそ密着したい。私は思い切ってドキュメンタリー番組への協力をお願いしました。番組制作は承諾してもらったものの、そこで取材の窓口の方に言われたのは「密着は厳しい。撮れるものだけで作ってください」という言葉。というのも、勝負の世界は情報戦。いかに自分の情報を漏らさず、相手の情報を集めるかが結果を左右します。稽古だけでなく、食事やミーティングも大切な情報です。親方は、弟子たちに少しでも不利になることはしたくないと考えていました。
それでも、どうにかして親方の奮闘ぶりを伝えたい。私は撮影ができないときでも、稽古場に通うことにしました。そうこうするうち、「いつもストーカーのようにいる奴がいるぞ」と、親方は私を認識してくれるように。やがて「くまざわっ」と、名前を呼んでもらえるようになり、「今度、新しい弟子が入ってくるんだ」と話もしてくれるようになりました。そして、取材が難しいところも、スタッフにカメラを託して、映像を撮ってもらえることになったのです。「あなたを取材させてください!」、自分の思いを行動にして全力で伝える。私にとっては、親方の胸を借りた “ぶつかり稽古”でした。
部屋独立から1年間の取材の中で、私が見たのは相撲に真正面から向き合い、とことん相撲を愛する親方の姿でした。厳しい稽古の中でも、親方は弟子たちに的確なアドバイスとやる気を起こさせる言葉をかけていました。そして稽古する弟子たちを見つめる親方の目は、弟子の成長を楽しんでいるようでした。取材の中で親方は稽古のあり方に対して「昔のように押さえつけるだけの稽古はできない」と話していました。今の時代に合った弟子の育成とは何か、親方は模索しています。2面土俵も、映像を使った指導も、親方が相撲を愛し、今なお強さの探求を続けているからこそのアイデアなのだと思いました。そして、この二所ノ関親方にしかできない理想の相撲部屋を、いつの日か目にすることができると信じています。
相撲部屋の師匠として激動の1年を終えた二所ノ関親方。大相撲の行く末をその肩に背負いながら、どんな未来を切り開いていくのでしょうか? 元横綱稀勢の里・二所ノ関親方。相撲人生、第二章の幕開けをご覧ください。
ディレクター 熊澤彬人(NHK水戸)