The Crossroad さだまさしさん

NHK
2023年1月6日 午後5:57 公開

朝ドラ「舞いあがれ!」で温かく語りかける声!
さだまさしさんです。
デビューから50年を迎えた
さださんの人生の分岐点とは?
聞き手は上野速人アナウンサーです。

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上野:「お仕事の幅を広げていらっしゃる
さださんですけれども、
“人生の分岐点”ということで。」

さだ:「最初のヒット曲が出たときが
やはり一番大きいのではないかと思ったり、
グレープを解散してソロになったときは、
ひとつの大きな分岐点だったのですけれど、
それでも、これに勝る衝撃はなかったというのは
やはり東日本大震災。
自分の人生そのものを少し変えた気がします。」

■当時、さださんは、
その後の生き方について迷っていたといいます。

さだ:「還暦になって歌っているのは
ちょっとしつこいかなと思って。
ここが引き時かな、なんて思っていたんです。
57、8歳のころですね。
まず、音楽から離れて
自分のやりたいことを探そうか、とか。
そんな中で(震災後)たまたま
「今夜も生でさだまさし」のスタッフが
 『“頑張れ”と思っているヤツが
いっぱいいると示すために特番をやろう』
と言ってくれて。」

■震災からひと月足らず、
さださんは東京のスタジオから生放送で
被災地へエールを送りました。
この放送を見て、連絡してきたのが
笑福亭鶴瓶さんでした。

さだ:「『(被災地に)行くんや!
一緒に行こうや!』と言われて。
『分かった!行く』と。」

■そして5月、
さださんは鶴瓶さんの番組で
宮城県の石巻市に向かいました。

さだ:「現場に入ったときのあの絵は
生涯忘れないと思いますね。
石巻の町なかのにおいと、
それから
路地で車と船が抱き合って
押し込まれている映像だとか、
大きなガソリンスタンドの奥に
民家が3軒押し込められている、
粉々になってですけれど。
あの映像を見たときに
『何ができるのだろう?』と
もうなんかドキドキしちゃって
頭の中が混乱していて。
鶴瓶ちゃんと一緒に
洞源院っていう避難所へ行ったんですね。」

■2人が訪れた高台のお寺には、
たくさんの人が身を寄せ合っていました。

さだ:「僕と同年配の男性がね、
僕の手、もう本当に血が出るほどギューッと
握りしめてね、ボロボロと泣くんですよ。
『家やられた。
おふくろ持っていかれた。
妻は車に乗ったまま行方不明。
早く会いたいけど、
見つけてやりたいけど、
会えない。
孫も全部持っていかれた』。
この人の痛みがね…
分かるわけないですよね。
財産をなくし家族を亡くした人たちが
肩寄せ合っているところで、
どの面下げて歌なんか歌えるんだ、
という恐怖心のほうが
僕は勝っていたんですね。」

■それでも、さださんは
自分の気持ちを表そうと
歌うことに決めました。

さだ:「『頑張れ、頑張れ』と
子どもたちはね、
もう楽しそうに手をたたいて、
笑いながら『頑張れ~』と
一緒に歌っているのですけれど、
大人たちはみんな、
おいおい泣いているんですよね。
こんな現場、僕は立ち会ったことがない。
拍手の音がね、
本当に胸に響いたんですよ。
『ああ、こうして喜んでくれる人がいる。
このときのために有名になったんだな。
だったら行かないでどうすんだ』と。」

■その後も、さださんは、
東北をはじめ全国の被災地をまわり、
30回以上、歌声を届けてきました。
今年はグレープとしてデビューしてから50年。
アルバムづくりに奮闘しています。
歌への思いを新たに、
活動を続ける、さだまさしさんです。

上野:「今、歌というものは
どういうふうに思っていますか?」

さだ:「やはり心を入れ替えたんですよね(笑)
東日本大震災でね。
このつたない歌い手が
みんなが苦しんでいるときの応援団として
旗を振ることができるほど、
有名にしていただいた。
このご恩をどう返すかというと
本当に、いい歌を作りたい、
いい歌を書きたいと
今でもずっと思いますね。」