シンガーソングライターのスガシカオさん。
「夜空ノムコウ」をSMAPに提供するなど
多くのアーティストの曲も手掛けてきました。
そんなスガシカオさんの人生の分岐点とは?
聞き手は山田朋生アナウンサーです。
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■25年間走り続けてきたスガシカオさん。
節目を迎えた心境を伺うと・・・
スガ:「最初の10年まではあっという間で
その先の15年、10年くらいか、
長かったですね。
すげぇ長かった、もう大変だったですね。」
■そんなスガさんの人生の分岐点は・・・
ス:「スランプになっちゃったんですよ。
いろいろなことがごちゃごちゃ起きすぎて。
全く曲が書けない。
歌詞も何にも書けないんですね。」
■デビュー翌年、
SMAPの「夜空ノムコウ」が
ミリオンセラーになり、
一躍スターダムに躍り出たスガさん。
周囲の期待が高まる中、
34歳の時、突然スランプに陥ります。
ス:「良くも悪くも
『夜空ノムコウ』がすごく影響が大きかったので
自分の武器が全部出ちゃって、
そこから新しいものを
作っていかなきゃならなかったので、
それですごく大変だったのだと思うんだよね。」
■さらに
大切な人たちを立て続けに亡くしたことが
スランプに拍車をかけました。
スガさんは2年もの間、
全く曲が作れなくなり、苦しんだといいます。
ス:「当時、父親が亡くなって、
続けざまに中学生のときから
ずっと一緒にバンドをやっていた友達も
事故で亡くなっちゃって
『亡くなるとき何考えていたんだろう』とか
『あいつ生きてたら
どんな音楽をやっていたんだろう』とか
ずっとそういう世界に
引っ張られ続けちゃって、
何も書けなくなっちゃったんですよ。」
山田:「無理やり曲を作ろうとは?」
ス:「言葉を紡いで、歌詞を一行書いても
『何この歌詞』ってなっちゃうんですよ。
『こんな歌詞、歌詞じゃねーよ』みたいな。
やはり力尽きた感があの時あって、
もうダメかなというところまで
追い詰められていましたね。」
■スガさんは、曲作りに専念するため
周囲とのつながりを断ち切ろうと、
ひとり、山奥の山荘で生活を始めます。
ス:「結構イチかバチか、
自分の機材とギターを持って
1か月、1か月半、もっとか。
ひと夏が終わるくらい山にいたのですけれど、
誰にも会わずに。
仕事は山にいるとできないので
もう全部キャンセルだったし、
それでも曲ができなかったら
そこでアーティストを終わりにしようと。
そういう覚悟で山ごもりをしたんですよね。」
■マネージャーが週に1度様子を見に来るだけの
孤独な日々を過ごす中で、
スガさんに変化が現れました。
ス:「夜中に何の動物かわからないような
鳴き声がしたり、
暗くなるといろいろな恐怖が襲ってきて、
だからめっちゃ早寝早起きになりましたね。」
山:「そういう生活のリズムができると
やはり段々と心も変わってきますよね?」
ス:「そうなんでしょうね。
そういう治癒力があるのだと思います。」
■さらに周りとの連絡を絶ったことで
自分自身を見つめ直すことができたといいます。
ス:「山ごもりに行くと
東京との接点がなくなるじゃないですか。
電話もしてない、誰とも話していない。
それが良かったんですよね。
自分ひとりで自然の中にいるだけになるから
いろいろな意味で浄化されちゃったんだと
思うんですよね。」
■山にこもって2か月、
ある日突然、
次々に曲のアイディアが沸いてきました。
ス:「いきなり『これだ』というものを
つかめるようになった気がすごくしますね。
あまり迷わなくなったんですね。
山ごもりの中で、
何曲も作ってどんどん曲ができ始めたときに
これが作れるんだったらもう大丈夫かなと
すごく思った。
『これで俺も東京帰るぞ』と思ったんですね。」
■スランプを糧として
次々にヒット曲を生み出したスガさん。
この経験が今も
自らの成長の支えになっています。
ス:「『俺はあの苦難を乗り越えたんだ』
みたいなものが結構自信になっていて
自分自身の音楽・考え方・スケールが、
レベルアップしているんですよ。
だからスランプが来ると
『よし、これレベルアップのチャンスだ』と
逆に思えるようになりましたね。
だから(スランプの)前と後ろでは
本当にレベルが全然違う。
乗り越えたあとは全然違う自分になれた。」