デビュー30周年を迎えた
「冬の歌姫」広瀬香美さん。
最新曲では、
広瀬さんの仮面をつけたダンサーが踊る
摩訶不思議な映像が話題になっています。
そんな広瀬さんの人生の分岐点とは…?
聞き手は、礒野佑子アナウンサーです。
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礒野:「新曲聴かせていただきました。」
広瀬:「ありがとうございます!」
磯:「もう1人の広瀬さん(仮面)に
見られながら…あれは、どういうアイデアで?」
広:「この時代、なかなか挑戦しづらい、
臆病になっている(という部分が)、
誰もがあると思うんです。
なので私の『挑戦しているでしょう?』
というこの楽曲を聴いていただき、
あれ(仮面)をみんながかぶって、
いつもよりも違う自分に
羽ばたいていただくという。」
■そんな広瀬さんの人生の分岐点は…
広:「デビュー10周年目に、初めての
全国コンサートをさせていただいたんですね。
私の大きな分岐点だったと思います。」
■デビュー2年目、
自ら作詞作曲した
「ロマンスの神様」が大ヒット。
しかし、その裏で、
広瀬さんは人知れず悩んでいました。
広:「私は小さいときから作曲家になりたくて、
7歳ぐらいから作曲を始めてという
年月がずっとありましたので、その自信と、
作曲家以外なんなの?
作曲家でしょ、私?という。」
■そんな広瀬さんが、
歌手としてデビューすることになったのは、
本人にとっても予想外のことでした。
学生時代広瀬さんは、
作曲家になる夢を叶えようと、
作詞作曲し、歌も自ら吹き込んだデモテープを、
レコード会社に送りました。
すると、その歌声が評価され
歌手としてデビューすることに。
しかし、広瀬さんには戸惑いが…
広:「本当に人見知りで、泣き虫で、
お話ができなくて、なので(幼少期は)
いつも教室のドアの隅に座っていまして。
だから、来ても来なくても成り立つみたいな、
そういう感じの全然目立たない子でした。」
■人前に出るのは大の苦手。
それなのに広瀬さんは、
テレビに引っ張りだこになっていきます。
広:「テレビもカメラも敵!もう敵!
胃が痛くて、胃薬を飲んでいて。」
磯:「歌手と呼ばれることに対して、
どんな思いをお持ちだったのですか?」
広:「『歌手と紹介しないでください』と、
レコード会社の皆さんにも
お伝えしていて、名刺、肩書きも
『音楽家・広瀬香美』
という風に紹介してくださるように
お願いはしていたので。」
■そしてデビューから10年。
広瀬さんはある決断をします。
それは…歌手引退。
歌手を辞めるけじめとして、
最初で最後のコンサートツアーを
開催することにしました。
これが思いがけず、
人生の分岐点になったのです。
広:「コンサートのあと、
『何がよかったですか?』とか。」
磯:「ありますね。」
広:「アンケートに
『広瀬香美のどこが好きですか?
作曲、詞、歌声、パフォーマンス』
という項目があって、
90%以上が歌声だったんですよ。」
磯:「へぇーすごい支持率ですね。」
広:「すごい支持率です。
そして私がいちばん自信のあった作曲が、
いちばん下だったの。」
■アンケート結果は、
広瀬さんにとって思いもよらないものでした。
広:「世の中の人たちが
それを求めてくださっているのだなと。
それをやはり数日考えて、
『よっしゃ!歌の練習しよう』と、
そこからすごく
歌の練習をするようになりました。
自分の中で堂々と
(歌手と)言える自分になろうと思って。」
磯:「あのアンケートを目にしたとき、
生き方が変わったわけですね。」
広:「そうです。あのときの内気な私は、
この人生を想像していなかっただろうし、
人生って、自分の意思だけじゃない。
想定外の出来事で構成されるのだなと。
本当に感謝ですし、
広瀬香美の歌を聴いて
『頑張ろう』と思う方が1人でもいるかぎり
歌い続けていこうと、
その人生を全うしようと、
揺るぎなく思っています。」