大河ドラマでお馴染みの生田斗真さん。
今月下旬に公開される銭湯を舞台にした
映画『湯道』では主演を務めています。
笑って泣けるお風呂エンタメです。
作中で熱演を見せる生田さんの
人生の分岐点は?
聞き手は佐藤俊吉アナウンサーです。
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佐藤:「個人的に思ったのは、
最近の生田さん裸が多いなと。
今回も見事な体でしたけれど。」
生田:「そうなんですよね。
大河ドラマの
『いだてん〜東京オリムピック噺〜』でも
天狗倶楽部という裸踊りをする
やからたちのリーダーを演じましたけど、
基本裸でしたし、『湯道』もそうですよね。
なんか裸になることが多いですね。
衣装とか髪型、メイクもそうなんですけど
役を作るうえで助けになるんですよね。
そういうものが剥がされると
自分の体の中で、心の中で、
役を作っていかなきゃいけないという気持ちに
させてくれますし、
心も裸にされているような気持ちで
やっていますかね。」
■そんな生田さんの人生の分岐点は・・・
生:「小学4年生の時に
祖父が亡くなったんですけれども、
それが僕の人生の分岐点かなと思います。」
■少年時代、東京近郊で
両親や弟と暮らしていた生田さん。
北海道にいる祖父の元へ遊びに行くのが、
何よりの楽しみでした。
生:「よくいろいろな所に
連れて行ってくれたんですよ。
釣りとかも好きだったので。
うちの母親は
『危ないから連れて行かないで』
って言うんだけど、
『いや、男たるものは
釣りぐらいできなきゃダメだ』と。
山に入って川にたどり着いて、
『良いか。ひょっとしたら
ここは熊が出るかもしれないから、
何かあればこれを使え』
と爆竹を渡されて。
『えー!!
今熊が来たらどうしよう・・・
この爆竹で・・・』
そんなやんちゃというか冒険家。
そういう時間が楽しかった記憶がありますね。」
■ところが小学4年の時、
突然祖父が倒れ、帰らぬ人に。
原因は心筋梗塞。
死に目にもあえない別れでした。
生:「そのとき初めて
“人は死ぬんだ”っていうことを知って。
大好きだったおじいちゃんが死んだんだと聞いて、
真っ白になるというか、
いろいろなものがガラガラと崩れ落ちるというか
経験したことのない感覚になったのは
すごく覚えていますね。
でもふとした時に
祖父から言われてた言葉とかを思い出して・・・」
■生前、祖父から3つの教えを
生田さんは常々言い聞かされてきました。
生:「僕、弟がいるのですけれど、
まず『弟を大事にしなさい』。
『お父さんお母さんを大事にしなさい』。
『女の子をいじめるな』。
祖父は北海道に基本いるので
しょっちゅう会える感じではなくて、
でも電話がかかってくるんですよね。
電話口で毎回同じことを言われ続けていて。
急にパッといなくなっちゃったので
この3つの教えだけが
残り続けているんですよね。」
■祖父が亡くなった翌年 芸能界入り。
12才の時には朝ドラにも出演しました。
それから四半世紀もの間、
祖父の言葉を胸に
第一線で走り続けてきた生田さん。
30代になった頃から
家族に対する考え方に
ある変化が生まれました。
生:「若い頃は隣の人と比べるし
“もっと売れたい”“ああいう仕事したい”とか
その気持ちが今ないわけではないけれど。
でもそれ以上に
もっと大事な使命が自分にあると思っていて。
30代を迎えて
自分の命、自分の人生を
自分以外の誰かのために使いたいと
本気で思い始めて。
その上で
自分のいちばん身近にいる人たちを大事に、
身近な人たちを幸せにできない人間は
もっと外にいる人たちに
幸せを提供することできない。」
■作品を通して
多くの人に幸せを届けるためには、
まずは家族を大切にすること。
祖父の言葉を
より深く理解するようになったと言います。
佐:「おじいちゃんは、今の生田さんを見て
なんて言ってくれますかね?」
生:「どうですかね。
厳しいことを言いつつ
孫には甘く、優しい人だったので。
きっと今となっては
喜んでくれているだろうなとか。
事あるごとに祖父のことを
思い出していくのだろうなと思います。」