今日のゲストは田中みな実さん!
2019年に俳優としてデビューし、
ドラマや映画、15作品以上に出演するなど
キャリアを積んでいます。
3月13日に、初の主演ドラマ
「悪女について」が放送される田中さん。
その人生の分岐点に迫ります。
聞き手は片山智彦アナウンサーです。
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■ドラマ「悪女について」は、
無一文の貧しさから言葉巧みに男たちを翻弄し、
欲しいものは必ず手に入れ、
瞬く間に資産家になりあがった
“富小路 公子”
そのスキャンダラスな人生を描いています。
田中:「『私何の役ですか?』と聞いたら
『(主役の)富小路公子です』と言われて
『えっ!できます?私に』
と思ったのですけれど、
もう決まっていましたね。」
■主役を演じることが決まるや否や
徹底的に役作りに励みました。
田:「まずは年表を作りました。
その人物が生まれてから
41歳で転落死するまでを、
すべてをノートに書いて、
原作から読み取る部分は書き加え、
そのときの心情とか状況、
なぜそうなったのか、
なぜこう思うに至ったのか
ということを細かく書き込んでいったら、
ノート半分全部真っ黒になるぐらいまで。」
■俳優業に打ち込む田中さん。
その人生の分岐点とは。
田:「今の仕事を鑑みると
2014年に(テレビ)局を退社して
フリーランスになったことが
すべての始まりといえるかなと思います。」
■入社から5年あまり経った
27歳の時に会社を辞め、
フリーアナウンサーになる決断をしました。
田:「いつになったら
チャンスが巡ってくるのだろう。
会社員だとずっと待っているだけになっちゃう。
だったら自発的に行動して
自分で(仕事を)取りに行きたいなと
思ったんです。」
片山:「その分岐点の先に広がっていた風景は
どうでした?」
田:「厳しいものでしたね。
アナウンサーの仕事をしたいと思って
フリーになったんですけれど
『そりゃ仕事ないよね』と思いました。
求められるのはタレントさんの立ち位置で、
みんな大体フリーになったら
1周はできるんですよ。
問題は2周目にいけるかどうか。
残っている方々と芸人さんは、
本当に身を削ってエピソードを生み出して
笑いを生み出しているけれども、
私には生み出せる能力はないし、
かといって過去も切り売りしまくったし
もう何もないという状態に
きっと数年後になるだろうな。」
■バラエティ番組で
タレントとして活躍することに
限界を感じていた田中さん。
フリーランスの自由な立場で
俳優に打って出ることも考えますが、
ある迷いがありました。
田:「『あなたが今俳優になったところで』
と色眼鏡で見られていることも感じていますし、
だから私は
人並み以上にいい仕事をしなければ
俳優業で認めてもらえないんですよね。
いろいろと“たられば”で考えましたけれど
あるときから
自分の決断は、自分で肯定してあげないと
誰もそれを正解とも不正解とも言えないわけで、
だから自分で自分をいちばん肯定してあげよう
と決めたんです。」
■俳優になることを決断した時から
周囲の批判も受け入れて
演技に打ち込むようになりました。
田:「(演技を)見て
『泣けてすごい』と評価をする人もいれば
『田中みな実の演技 うそくさくて嫌いだわ』
と言われたりもするし、
人の評価はもうこの際どうでもよくって
自分が見て、
多分私は自分を厳しい目で見ていると思うから
変なことにはならないだろうな
とは思っています。うん。」
片:「改めて人生の分岐点を振り返ってみて、
あのタイミングはどう思っていますか?」
田:「だんだんね、40代50代になって
自分の得意分野で生きていくことに
なるじゃないですか、普通に生きていたら。
それが、そうもいかない環境に身を置いたことが
かえって心地いいです。
例えば今フリーになっていたら、
きっと俳優業に進んでいないと思うし、
こうやってライフワークになりそうな
一生かかっても分からなさそうな
仕事と出会えたことが奇跡だと思っているので、
あのときフリーになってよかったなと
思っています。」