「コロナ禍で仕事を失った日系ブラジル人とその支援者たちをディレクターが一人で追っています。ただでさえ取材が難しかった時期に、『コロナ切り』の厳しい現実をしっかりとカメラに収めています」
このドキュメンタリーがヤバい!12月29日放送
目撃!にっぽん 「泣き寝入りはしない〜密着“コロナ切り”との闘い〜」
[この番組は12月29日(火)総合 午後1時5分から放送「このドキュメンタリーがヤバい!2020」で紹介する番組です] 新型コロナ感染拡大の中、解雇や雇い止めなどで失職した人は2万人を超えた。現場で何が起きているのか。相談が殺到するある労働組合に密着した3か月間の記録(6月放送)。 取材を始めたのは今年4月。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、三重県の労働組合には解雇や雇い止めにあった人が殺到。相談数は700件を超えた。所持金わずか数百円となり3日間何も食べていない派遣社員。アパートの退去を迫られている日系人女性…。しかし、彼らを支えようと計画した「派遣村」にはある壁が…。そして助けを求めに行った行政の窓口では…。命と生きる尊厳をどう守っていくのか。
番組スタッフから
担当ディレクターより
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 制作のきっかけは、新型コロナの感染が徐々に拡大しはじめ、医療現場の切迫が報じられていた3月、以前取材でお世話になった、労働組合「ユニオンみえ」から、「すでに“コロナ切り”が始まっている」と聞きつけたことです。「雇用の現場では、何が起きているのか?“今”を記録したい」という思いに駆られ、デジカメ1台を持って現場に向かいました。 そんな中、「どうしたら面白く“見せられる”か?」「どうロケを“仕掛ければいいか”?」ということに引っ張られず、(考える余裕もなく笑)、「なぜこんなことに?」という“疑問”や、理不尽な現実への“怒り”に毎日向き合い、デジカメを回し続けたことが、“こだわり”になったと思います。 社会的に立場の弱い方々に光を当てたいと思い、NHKに入りましたが、これまでは、「論」を先に考えて、企画を提案していました。現場では、「仕事を失った」「家を追い出される」と、切迫した人たちが、会社や行政の窓口に助けを求めても見放されていく“瞬間”を目の当たりにして、身体感覚として、「おかしい」と刻まれていきました。それが、カメラを回す原動力でした。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 派遣会社から解雇され、生活が窮地に追いやられる中尾カオリさんが、解雇の撤回を求めて、組合と共に会社に交渉を求めに行くシーンです。 <理由> 取材中、「生活が逼迫する中、会社とそこまで闘わなくても、行政の支援で生活をつなぎ、また仕事を探すのも一つの手ではないか」と思ったことがありました。その考えを「ユニオンみえ」の神部さんに伝えると、はっきりと言われました。「泣き寝入りすることは簡単。でも、どこかでクサビは打たなければ、同じことがずっと繰り返されていく」。この言葉を聞いて、私は、“コロナ切り”を受けた人たちを「被害者」としてではなく、“生きる権利”を求めて立ち上がる人たち、としても伝えたいと思うようになりました。 いまなお、コロナによる解雇・雇い止めの数は増え続ける中、理不尽な扱いを受けても、諦めたり、耐え忍んでいる人たちに、「声を上げていいんだ」と思えるきかっけになれば、うれしいです。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 組合にほぼ毎日通わせていただき、取材先との「距離」が近かった一方で、「俯瞰」した目線を持つことがなかなか難しく、取材者として、そのバランスに悩みました。とりわけ、企業側の取材をするときは、「組合の密着」であることを相手が知った瞬間に、顔色を変えられてしまい、何度も取材拒否にあいました。“100面相”でうまく交渉したり、距離感を保てる人もいると思いますが、私にはそのスキルはまだありません・・・。とにかく「体当たり」精神で、正直に、気持ちや考えを、話し続けましたが、もっと会社側の取材にも迫りたかった・・というのが苦労した点です。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 「目撃にっぽん」で放送する前、NHKスペシャルの「雇用崩壊」をテーマにした番組の中でも、一部の内容を伝えていました。その時は尺も短く、中尾カオリさんの状況について「解雇されて生活が苦しい」ことについて、ツイッター上で「なんで外国人?私たちも大変なのに」という批判の声がやや強い印象がありました。一方、「目撃にっぽん」では、彼女の家族が、日本の社会で生活していることを丁寧に描けたことで、「外国人」としてではなく「ひとりの母親」として、共感される声の方が多かったのです。ツイッターの声が“全て”ではないですが、同じ現実を伝えていても、「切り取り方」や「伝え方」によって、番組を見てくださる方々の受け取る印象がここまで変わるのか、と制作者として考えさせられました。 (番組ディレクター 中村幸代)