長野県高森町。南アルプスを臨む、人口1万3000人ほどの小さな町が、県内で初めて、ロシアの軍事侵攻を受けるウクライナから9人の避難民を受け入れました。そのきっかけとなったのは、町内に住む男性がウクライナとの間で育んできた”空手の絆”でした。祖国に両親を残したまま避難してきた10代のきょうだいも、町と空手に支えられながら、日本で新たな一歩を踏み出しています。(長野放送局 記者 篠田祐樹)
“空手”の絆
すべてはこの人から始まりました。空手団体「禅道会」の師範、小沢隆さん。
禅道会は世界各地に支部があり、ウクライナにも1万人ほどの門下生がいます。2019年にはヨーロッパ大会の舞台となり、小沢さんも招かれました。
小沢さんは大会にあわせて実施した空手セミナーで、ウクライナの各都市をまわって子どもたちに空手を教えました。
小沢さん
「『初めてウクライナに来て、この国がとても好きになりました』とあいさつしたら、ごう音のような拍手が響き渡って。この人たちはこんなに国のことを愛しているんだと思いました」
小沢さんが大会を通じて交流を深めたのが、ウクライナ支部のトップ、イゴール・ユカチュクさんです。
小沢さん
「大会のときは毎日イゴールさんたちとウォッカを飲んで、ウクライナでの空手の未来について夜が明けるまで語っていました」
人一倍熱心に練習に取り組み、現地の門下生をまとめていたユカチュクさん。
その生活を一変させたのが、ことし2月に始まった、ロシアによる軍事侵攻でした。
ユカチュクさんは祖国を守るため、兵士として最前線で戦うことを決めました。
ユカチュクさん
「ウクライナ禅道会はヨーロッパで一番大きな支部でしたが、現在、活動は全部止まっています。空手道場は避難者の寝場所やボランティアセンターとなり、地下にある道場はミサイルから身を守るシェルターとして使われています」
小沢さんは現地の状況を心配し、SNSを通じてユカチュクさんと連絡を取り続けました。戦地を撮影した生々しい写真を見てことばを失う小沢さんに、ユカチュクさんは1つの願いを伝えました。
「ウクライナの門下生の家族を安全な日本に避難させたい」
小沢さんはすぐに高森町に働きかけました。ビザの申請、避難民の住む場所の確保、通訳の手配などが急ピッチで進みました。そして現地のほかの門下生を通じて、避難の希望者を募った結果、3歳から44歳の女性と子ども、4世帯9人の受け入れが決まりました。
小沢さん
「特別なことをしたつもりはありません。縁があった人が困っている。それをなんとかしたいと思いました。自分が空手を教えた子どもたちが、がれきの下敷きになってしまうのは耐えがたいことです。人間は病気や事故で命を失うことはありますが、戦争はもともと大勢の人を殺すことを目的にしています。そういうことは21世紀にあってはならないことです」
ユカチュクさんは、取材に対し、避難民の受け入れが決まったことへ感謝の気持ちを示したあと、空手家ならではの日本語で締めくくりました。
ユカチュクさん
「日本と日本人にとても感謝しています。寄せられた支援金もしっかりと使わせてもらっています。戦争が終われば禅道会の活動を活発にさせたいです。ありがとう」
「押忍」
受け入れ実現
空手の絆で実現した避難民の受け入れ。9人は4月30日に日本に到着しました。
ウクライナ中西部の都市、ヴィーンヌィツァで暮らしていた、カテリーナ・クズニェツォバさん(19)と弟のヴィタリ君です。両親をウクライナに残し、きょうだい2人だけで避難してきました。
カテリーナさんたちが、ウクライナを出発する直前に撮った家族写真です。
ウクライナでは現在、18歳から60歳の男性の出国が制限されているため、父親は国外に出られず、母親も一緒に残ることを決めました。
両親は喫茶店を営んでいましたが、軍事侵攻後、父親は前線に服や食料を届けるボランティア活動に取り組み、母親は兵士のためにパンなどの食料を用意しているといいます。
カテリーナさんたちは当初、両親と一緒に暮らし続けようと考えていましたが、かえって両親の負担になると思い、安全な日本に避難することを決断しました。
両親の喫茶店で手伝いをしていたというカテリーナさんは、将来、料理の道に進もうと考え、ウクライナの学校で世界各国の料理を学んでいましたが、軍事侵攻によって中断を余儀なくされました。
カテリーナさん
「自分たちの夢を突然止められてしまって複雑な気持ちです。私だけでなく多くの人が仕事や家を失ってしまったことを思うとつらいです」
10歳のヴィタリ君は住み慣れた故郷を離れ、さみしさを感じています。
ヴィタリ君
「うちに帰りたいです。友達も両親もいるから」
祖国を離れた避難民を元気づけようと、小沢さんは、空手の稽古に9人を招きました。ウクライナで空手をやっていたヴィタリ君も、初心者のカテリーナさんも、小沢さんや地元で空手を習う子どもたちと1時間半にわたって汗を流しました。
ヴィタリ君
「ウクライナと比べて細かい動作などが違いましたが、おもしろかったです」
カテリーナさん
「楽しかったです。感動しました」
カテリーナさんとヴィタリ君は、ウクライナに残る母親とビデオ通話で毎日やりとりをしています。
母親
「ハロー、子どもたち」
カテリーナさん
「元気でやってる?」
母親
「一日はどんな感じ?」
ヴィタリ君
「きのうはキャンプにいったんだ」
カテリーナさん
「そっちは落ち着いてる?」
母親
「ここは落ち着いてるけどウクライナ全体ではあまり」
カテリーナさん
「サイレンは頻繁に鳴ってるの?」
母親
「サイレンはあるね。きょうは兵士たちに支援物資を運んだの」
通話の最後、カテリーナさんとヴィタリ君は、互いの指をあわせて1つのハートをつくり、画面の向こうの母親に見せました
母親
「愛してるよ。早く抱きしめたい。頑張ってね」
本格的な生活へ
高森町に来てちょうど2週間。カテリーナさんたちは宿泊施設を退去して、町営住宅で生活を始めました。町が住宅の使用料を免除して、家電なども用意しました。ようやく始まった日本での本格的な生活に、2人が笑顔をみせる場面も次第に増えてきました。
再び家族が1つになることを夢見ながら、日本で新たな一歩を踏み出した2人。最後に、日本でやりたいことを聞いてみました。
ヴィタリ君
「言葉がまだわからないので心配ですが、日本では空手を続けていきたいです」
カテリーナさん
「料理の仕事が日本で出来ればと思っています。両親が経営している喫茶店を手伝い始めたときから(料理の仕事を)やりたいと思っていて、もし機会があれば、いつか自分の店を持ちたいなと思います」
(取材後記)
高森町がウクライナからの避難民を受け入れると最初に聞いたとき、本当に実現できるのだろうかと少し疑問に思いました。しかし、小沢さんとウクライナの空手を通じた絆や、町の人が一丸となって準備に取り組む姿を見るうちに、コミュニケーションなどの課題はあるものの、受け入れはきっと実現するだろうと思い直しました。カテリーナさんとヴィタリ君の人生は、軍事侵攻によって思いもよらない方向に変わってしまいました。最初の会見のとき、2人は不安げな表情でずっと手をつないでいましたが、日がたつにつれて笑顔を見せてくれるようになりました。小沢さんや高森町のサポートで心の平穏を取り戻し、1日でも早く再び家族が祖国で抱き合える日が来ることを願ってやみません。
(長野放送局記者 篠田祐樹)
2020年入局。警察・司法担当を経て現在は飯田支局。