外はサクサクで中はジューシー、子どもから大人まで多くの長野県民に親しまれ、“信州のソウルフード”とも称されることがある鶏肉料理、山賊焼き。
そんな山賊焼きについて、飯山市の男性から「山賊焼きはどうして揚げているのに山賊“焼き”なのか」という「身近な疑問」がNHK長野放送局に寄せられました。
そもそもなぜこの料理が“山賊焼き”という特徴的な名前で呼ばれるようになったのでしょうか。調べることにしました。
(大谷紘毅)
山賊焼きとは?
山賊焼きとは鶏の一枚肉をニンニクなどのタレに漬け込みカタクリ粉をまぶして揚げた料理で、松本大学などの試算では平成27年の推定市場規模は年間250万食にも上るとされています。この250万食というのが何に匹敵するのかと言うと…申し訳ありません、調べきれませんでした。
街の声は
取り扱う店が多い松本市内で山賊焼きを食べている人たちに名前の由来について聞いてみました。
食べている人も料理の名前の由来についてよく分からないようです。
PR応援団長は?
そこで、名前の由来を探るため、松本市で山賊焼きを地元の名物にしようとPR活動をしている松本山賊焼応援団の志賀丈師団長に聞くと、「諸説があり今のところはっきりしたことが分からないですが」と前置きした上で、手がかりとなりそうな話をしてくれました。
志賀丈師さん
「塩尻市の居酒屋『元祖山賊』が元祖という話がある。そこから松本市の食堂『河昌』が山賊焼きを松本市へ持ってきて広めたのではないかと聞いている」
塩尻市の「元祖山賊」と松本市の「河昌」、この2つが名前の由来をたどる鍵となりそうです。
“元祖”を訪ねる
まず、元祖とされる塩尻市の「元祖山賊」を訪ねました。訪ねてみてまず驚いたことは、「元祖 山賊焼」の石碑があることでした。
3代目オーナーの髙見直孝さんによると、山賊焼きは祖父で創業者の安治郎さんが中国に出兵していた帰還兵の話をヒントに70年ほど前に完成させたものだといいます。中国の料理がヒントになって作られた可能性もあるというのです。
髙見さんに名前の由来を尋ねると次のように返ってきました。
髙見直孝さん
「料理自体の見た目がワイルドだったのと、おいっ子が名前を決める過程で『いいんじゃない。おじいちゃんの見た目も山賊みたいな感じだし』と言ったらしい。一番は誰も付けない名前を付けたかったのと1度聞いたら忘れられない名前にしたかったからだと思う」
髙見安治郎さん
なんと!初代の安治郎さんの顔が山賊に似ていることが由来の1つだったとは…。写真からは確かにワイルドな感じがうかがえます。
ではなぜ“揚げている”のに“焼き”なのか。髙見さんによると、初代の妻、つまり髙見さんの祖母が「おもしろいと思った遊び心だったのではないか」というような話が伝わっているとのことです。
ここでの結論は、料理と初代の見た目などから“山賊”と命名した可能性が高いというものでした。
“焼き”の謎を求めて
“焼き”となった理由を調べるため、今度は応援団長が教えてくれた松本市の「河昌」に向かいました。
店の2代目オーナー、川上勇二さんによると、山賊焼きを提供し始めたのは約60年前で、先代の市川昌三さんが塩尻市で食べた山賊焼きに感動し、松本市に持ち込んで売り始めたのがきっかけだったとのことです。
市川昌三さん
では、なぜ山賊“焼き”と呼んでいるのか。
川上勇二さん
「山賊焼きができた当時は油が本当に貴重で、少ない油をフライパンにたらして今で言う揚げ焼きをして作っていたらしい。その後、油が入ってくるようになってからは揚げるようになったが、名前だけは山賊“揚げ”ではなく山賊“焼き”で残ったみたいだ」
一方で、この山賊焼きを取材していると、次のような説を聞きました。
「山賊が物を『取り上げる』様子と『鶏を揚げる』をかけている?」
この説を広めたのが「河昌」だという噂もあり、川上さんに尋ねてみると。
「うちのおやじ(先代)が言いだしたのが山の山賊。昔、旅人から物を取り上げていた山賊に、ゴロ合わせで山賊が旅人から物を『取り上げる』と『鶏を揚げる』をかけて山賊としたと聞いた。でも、本当の話をすれば、塩尻の『元祖山賊』の初代が『おまえは山賊みたいな顔だな』と言われたというので、山賊にしようとなったと聞いている」(川上勇二さん)
おもしろい説でしたが、残念ながらこれが由来となったとは言えないようです。
疑問、お答えします
今回の結論です。
▼山賊焼きの発祥とされる塩尻市の「元祖山賊」の初代の見た目や料理のワイルドさから“山賊”
▼提供当初は油が貴重で揚げ焼きしていた店が多かったことから“揚げ”ではなく“焼き”
松本市VS塩尻市 元祖をめぐる論争
取材を進めていると、山賊焼きをめぐって松本市と塩尻市で論争が起きていたことがわかりました。
山賊焼きは提供当初から今のように誰もが知る有名な料理だったわけではありません。松本市で地元の名物を作ろうという中で目をつけられたのが山賊焼きでした。店舗関係者が15年ほど前からテレビ出演などさまざまなPR活動を行い、次第に定着していったということです。
ただ、定着していく中で元祖とされる店のある塩尻市とPRに熱心だった松本市で山賊焼きをめぐる論争が起きていたのです。
この論争の経緯に詳しい松本大学の白戸洋教授に当時のことを説明してもらいました。
「山賊焼きを扱う店の数を松本市と塩尻市で比較すると、当然人口の多い松本市の方が多い。だから発信力も強くてマスコミなども『松本山賊焼き』という形で取り上げることが多かった。塩尻市としてあまり面白くなくて市議会の中で議員から質問が出るほどだった」
このままではよくないと考えた白戸教授らが仲介役となって、塩尻市と松本市の双方の関係者を招いた話し合いの場が設けられたのでした。山賊焼きの元祖や名前の由来についてはっきりさせようとしたのです。
話し合いの場で、松本市の「河昌」の先代が塩尻市の「元祖山賊」の3代目オーナーに「今まで店をやってこられたのは『元祖山賊』さんのおかげです。ありがとう」と述べ、一礼したそうです。
こうして塩尻市と松本市は山賊焼きで白戸教授曰く、「歴史的和解」をし、今では両市の関係者が一緒になってイベントを行うなど、山賊焼きで手を取り合っているということです。
【取材後記】
放送後、塩尻市の観光課長から投稿が寄せられました。
課長によると、元祖をめぐって塩尻市と松本市が論争していた10数年前に、両市の飲食店組合などが山賊焼きの基本的な呼び方を塩尻市で『山賊焼』、松本市で『山賊焼き』と決めて呼び分けるようになったということです。
今は厳格な呼び分けはされていないとのことですが、当時は送りがなをめぐっても“対立”していたことがわかります。それだけ山賊焼きをめぐって双方は譲ることができなかったのでしょう。
今回の取材でそれぞれの山賊焼きを食べましたが、塩尻市の山賊焼きはニンニクがきいています。一方、松本市のものはニンニク控えめのショウガベースであっさりとした味わいです。いずれもとてもおいしかったです。
長野放送局記者 大谷紘毅