医療用ウイッグというものをご存じでしょうか?病気の治療で髪の毛が抜けてしまう人がかぶるもので、見た目の変化に苦しむ人を助けてくれるのです。こうした人たちの日常を支え、治療中でも変わらずおしゃれを楽しんでもらいたいというウイッグ専門の美容室が長野市にあります。
(久保田桂子)
ウイッグの美容室
「ウイッグは病気を隠すものではなく、その人らしく生きるためのアイテムです」
こう話してくれたのは県内でも珍しいウイッグ専門の美容室を長野市で営む鈴木浩子さんです。椅子と鏡がひとつだけの小さな店内には、壁一面に様々なヘアスタイルのウイッグが並びます。
ウイッグは、かつては種類も限られ、多くが高額でした。しかし、この10年で手ごろな価格で質の良いものがたくさんでき、髪形と同じように好みにカットするだけでなく、結婚式や七五三用にアップやアレンジもできるようになりました。鈴木さんは「病気になっても自分らしい生活を諦めずにおしゃれを楽しんでほしい」と話します。
抗がん剤治療で
鈴木さんの美容室に通っている30代の女性、抗がん剤による治療を受けています。この女性に限らず客が訪れると、鈴木さんは窓のロールカーテンを下ろし、プライバシーに配慮した空間で体調や治療の状況を聞きながらウイッグのカットや手入れをしていきます。
女性「抗がん剤治療の日からちょうど1週間だけど、いつも通り」
鈴木さん「何が1番つらい?」
女性「だるさかな。吐き気はそこまで。この前、風が強い日にちょっとウイッグがふわって」
3人の母親でもある女性はことし2月に3人目の子どもに授乳をしている際に胸の張りを感じ、その後、乳がんと診断されました。現在は3週間に1回通院して抗がん剤の投与を受けています。
抗がん剤治療を始める時の説明でウイッグを用意するよう告げられます。女性は「病気だけでもつらいのに副反応でも苦しまなければならないの」とショックを受けたと言います。そして、抗がん剤治療によって髪の毛が実際に抜けてしまいます。
それでも女性は鈴木さんの美容室で自分に合うウイッグと出会って、少しずつ前向きになっています。この日訪れたのは、以前より髪の毛が抜けてウイッグが少しゆるくなっていたので、髪の抜け具合に応じて頭に合うようにサイズを調整したり、使っているうちに傷んだ毛先を直したりしてもらうためでした。
美容室ではウイッグを心地よく使い続けられるようあらゆるサポートを行っています。訪れる多くの人にとって、この場所は周囲の目を気にせずにウイッグを脱ぎ、リラックスして話せる数少ない場所になっています。
女性「家でね、ヨチヨチの1番下の子が、これ(ウイッグ)を見て『なに?』って顔するの」
鈴木さん「ママのものだってわかっているのかな?かわいいね」
女性「最近友達に会った時にも、『髪切った?染めたじゃん、いいね』って言われて。あ、ばれてないって。それで、これウイッグだよって。ははは!」
鈴木さん「言っちゃうんだ?あはは!」
鈴木さんがウイッグを直す間、店内には明るいおしゃべりと笑いが溢れます。
「私に合うウイッグがあるかな?どうやってつけるのかな?とか不安がありました。でもお店に来たら安心できました。病気で似合わないウイッグをかぶっていたら落ち込むけど、これなら以前の自分とそんなに変わらないし、外出できる。髪のある時の自分のように、子供たちを保育園にお迎えに行ったり、公園に行ったり、今までと変わらない生活を送ることができているのがすごくうれしいです。ウイッグは私の生活には欠かせないものです」(女性)
なぜ専門の美容室?
鈴木さんが医療用ウイッグを専門に扱う美容室を長野市にオープンしたのは平成30年のことです。
鈴木さんは専門学校を卒業後、夢だった美容師になりましたが、カラーリング剤によるアレルギーが原因で仕事を続けることができなくなりました。それでも、髪に関わる仕事がしたいと思い、ウイッグの販売店で働き始めました。その時に、がんの治療で髪が抜けて見た目の変化に悩む人たちと出会いました。
「『抗がん剤を始めることになってしまった』というお客様が年々増えて来たんです。販売店だと、どうしても売ることがメイン。抗がん剤治療で髪が抜けても治療が終われば生えてくる、そうした変化に対してどうしたらいいのか困っていても、どこに相談していいかも分からない人をたくさん見てきました。そうした人たちの気持ちになかなか寄り添うことができないと、私も日々もんもんと考えていました」(鈴木さん)
そこで鈴木さんが考えたのは、病気や治療で髪を失った人たちに時間をかけて寄り添える場所を作るというものでした。鈴木さんの美容室には抗がん剤治療の人だけでなく、脱毛症などの病気で髪に悩みのある人も利用しています。
「髪型がきまっていると一日気分がいいんです。それはウイッグだろうと自分の髪だろうと一緒だと思います」
ウイッグは相棒
長野市に住むせい子さんは鈴木さんの美容室に支えられたといいます。
子どもも自立し、夫と2人暮らしのせい子さんは、去年の5月、乳がんと診断されました。抗がん剤の副作用は人によって異なりますが、せい子さんは激しいだるさや吐き気、下痢などの症状に苦しみました。そんな中、最初の抗がん剤投与から10日ほど過ぎると髪の毛が抜け始めました。最初ハラハラと落ちるだけだったものが、数日後には髪をとかすのが怖くなるほどに抜ける毛の量が増え、風呂場で髪を洗おうと手を入れた時にごっそりと髪が落ちました。そのときは大泣きしてしまいました。
「体に出る症状も大変ですが、目で見て分かる症状はすごく堪えるんです。ああ、こんなになるってことかと。治療を始めてまだ日も経っていない中で、自分も病気に対しての受け入れができていない。外からの人の目にも耐えられる自信もありませんでした」
ウイッグの知識もなく、「どこで買えばいいのかわからない」、「値段はいくらするのだろう?」、様々な不安を抱えながら訪れたのが、病院のがん相談支援センターで教えてもらった鈴木さんの美容室でした。
治療や髪のことなど、さまざまな不安を聞いてもらいながら鈴木さんと一緒に選んだのは、気持ちが上向きになるような明るい色のウイッグでした。自分に似合うようにきれいにカットされたウイッグをかぶった時、少し不安が解消されたと言います。
今も抗がん剤による治療は続いていますが、体調がいい時は“相棒”のウイッグをつけて食事に出かけるなどしています。
「鈴木さんから、『多分髪の毛がなくなってしまうけど、それならそれで対処する方法はあるから』と言われて安心しました。話を聞いてもらって相談することで、自分だけでなく同じ思いしている人がいて、頑張っていることを知れたことも心強かったです。ウイッグは“相棒”と鈴木さんもよく言いますが、まさにそうです。ウイッグに助けてもらったという感じです」
行政の支援も
鈴木さんやウイッグを利用する人が注目している制度があります。
がんの治療と就労の両方を支援するため、医療用ウイッグの購入にあたって助成金や補助金を出している自治体が増えているのです。残念ながら長野県内には該当する制度はありませんが、お隣の岐阜県では県をはじめ30以上の市町村で助成金制度が設けられています。例えば、岐阜県は購入費用の半分(上限額は1万円)を助成しています。
今後も支える
鈴木さんはウイッグを通じて髪の毛で悩む人たちのサポートを続けていくことにしています。
「髪を失ってしまうショックは大きくて計り知れないが、私はずっと寄り添っていきたいです。治療で髪がなくなっても、ここでは普通の美容室と同じように過ごしてほしい。気持ちをリフレッシュさせて、前向きに1日を過ごしてもらえる、そんなよりどころを目指しています」
【取材後記】
以前は病院のがんセンターで勤務し、抗がん剤治療で通院する患者さんがウイッグを褒められて嬉しそうに笑う姿が印象に残っていました。それが取材のきっかけでした。いつも笑い声が絶えない鈴木さんの美容室に出会い、治療中の日常や笑顔を支える仕事の大切さについて知ることができました。その一方で、夫に家でもウイッグをかぶってほしいとお願いされた女性や、「坊主の子もいるんだから脱毛くらい我慢しろ」と言われて傷づいた男の子がいることなども知りました。病気の痛みと比べ、脱毛など見た目の変化に対する悩みはどうしてもささいな問題だと軽視されがちですが、そうではないことを鈴木さんの美容室を取材することで改めて実感しました。
映像制作 久保田桂子