20年余りで撮りだめした写真は約1万枚。
写真には長野県と新潟県を結ぶJR大糸線の車両や沿線の風景などが収められています。
この写真を撮影したのは沿線ではない長野市に住む82歳の男性です。
鉄道開業150年目の節目の年に大糸線が「赤字路線」となっていることが鉄道会社によって公表され、そのあり方を含めた議論が始まっています。
男性は当然、鉄路での存続を願っていますが、それは思いだけではありませんでした。
(谷古宇建仁)
大糸線に魅せられて
長野市に住む、猿谷宣弘さん。
20年余りにわたってJR大糸線の車両や風景の撮影を続け、82歳となった今も毎月のように沿線ではない長野市から通っています。
「自然の中を1両だけの車両が走るということが、せわしない世の中とは別な世界に入ったような落ち着いた気持ちにしてくれます。なんとも言えないですね」
20年余りで1万枚
自宅には、これまでに撮影してきた約1万枚分の写真やフィルムが保管されています。
猿谷さんは大学卒業後、約40年間にわたって高校教諭として英語を教え、20年余り前に退職しました。
退職後、趣味で現在の塩尻市から日本海がある新潟県の糸魚川市まで続くかつての“塩の道”、千国街道を歩き始めました。山あいの古道を歩くなかで徐々に魅せられていったのが、場所によって塩の道と併走していた大糸線でした。
「天気や季節によって違う表情を見せる大糸線を写真に収めたい」と思うようになり、沿線に通っては歩き、絵になる風景を見つけて撮影を続けてきました。
「大糸線の沿線にいるとはっきりとした四季を感じ取ることができて、全国でも珍しい路線だと思います。春の桜や芽吹きと山の残雪、夏の緑が滴る木々、秋の紅葉。それになんと言っても冬が一番すばらしいです。豪雪地帯であるが故に、冬の景色のすごさとか美しさとか素晴らしさとか、それを肌で感じられます。ここほど写真にしたらいい場所はないと思いますね。特に鉄道写真としては最高です」
見つめてきた地域の変化
猿谷さんは撮影を通して地域の歴史を知りたくなり、地元の人たちにも話を聞いてきました。こうしたこともあって、沿線の地域にも愛着を抱くようになりました。
その一方で、年々利用客が減少していく厳しい現実も目の当たりにし、かつてターミナルの駅だった小谷村の中土駅については次のような感想を述べました。
「あそこはかつてはにぎわった街で、人がいっぱい住んでいた場所でした。けれども、行くたびに人の気配がなくなっていくんですよね。寂しい感じです」
鉄道開業節目の年に衝撃
鉄道開業150年のことし2月、衝撃が走ります。
長野県の南小谷から新潟県の糸魚川の区間を運行するJR西日本が、利用客の減少を受け、路線のあり方を検討すると表明したのです。その後、会社がこの区間の状況を公表したところ、1kmあたり1日に平均何人を運んだかを示す「輸送密度」が令和2年度は50人、ピークの平成4年度のなんと20分の1以下に落ち込んでいたのです。しかも、令和2年度までの過去3年間の平均の収支は赤字で、その額は6億1000万円に上っていました。
高校で英語を教えていた猿谷さんは、鉄道がなくなってしまうと子どもたちの高校への通学が困難になるだろうと考えました。そうなると、子どもの教育環境を考えてその親世代も沿線に住まなくなり、「いずれ地域から人がいなくなってしまうのではないか」と危機感を強めました。
「来るものが来たなと思いました。何しろ乗る人が常日頃から少なく、いつか廃止の提案が鉄道会社からあるのではという不安はありました。こんなに素晴らしいところを走る鉄道がなくなるのは非常に残念で、存続する方法はないかと考えました」
活性化策を提案
猿谷さんは行動に移します。以下の7項目を大糸線の活性化策としてまとめたのです。
1.大糸線の存続と活性化のためにJR西日本と地域の自治体は協力する
2.観光客を呼び寄せるために一部の駅の構内を芝生化し、桜の木を植え、公園にする
3.JR西日本は駅構内の敷地を自治体に無料で貸し、自治体が公園化の作業をする
4.JR西日本は糸魚川駅と南小谷駅間に1日1往復トロッコ列車を走らせる
5.利用者のいない駅を廃止する
6.除雪車の運行時間をネットに公開する
7.糸魚川市、小谷村、新潟県、長野県は、財政援助をする
「四季折々の美しい風景を観光資源として生かすべきだ」
そしてこの活性化策を小谷村と糸魚川市、それにJR西日本に提案したのです。
提案を受け取った小谷村の職員の中川園子さんは、猿谷さんの熱意から大糸線の魅力に気づかされたと話します。
「沿線に住んでいて大糸線は当たり前の風景だったが、提案書を見ると残していかないといけないものだなと感じました」
写真展でその魅力を
小谷村ではことし8月、猿谷さんがこれまで撮影した大糸線の写真展が開かれました。 その魅力を多くの人に知ってもらうためだったこの写真展は東京や大阪など県外からも訪れるなど好評で、期間は当初の1か月から2か月に延長されました。
“残してほしい”
どうにか大糸線を残してほしいー大糸線に魅せられた猿谷さんの強い願いです。
「多くの人に大糸線には本当に素晴らしい景色があるということを気づいてほしいです。そうしたことが徐々に広まっていって、さらに多くの人たちが大糸線を訪れてくれればいいと思います。この路線がなくならないでずっと存続し、後世の人たちもこの景色を楽しむことができるということになればいいと願っています」
【取材後記】
大糸線のあり方が話題になったとき、突然の話に驚く一方で、前任地の四国でも存続が議論される路線があり、「人口減少による利用減が続く中で廃線となる路線があってもしかたがない」と漠然と思うこともありました。しかし、沿線では鉄路を頼りに生活をする人がいて、また、鉄路の魅力にとりつかれて生きがいにしている人もいます。そんなことを気づかされた取材でした。岐路を迎えた地方鉄道の今後のあり方について、取材を続けていきます。
長野放送局記者 谷古宇建仁
2016年入局。高知局を経て、2021年から長野・松本支局に所属。