7月10日に投開票が行われた参議院選挙。
自民党が単独で改選過半数の63議席を獲得し「大勝」したが、長野県では「優勢」との見方もあった自民党の新人候補が終盤に女性問題などが週刊誌で報道され失速。立憲民主党の現職が議席を死守した。
情勢はめまぐるしく変化し、誰もが「読みづらい」と口にした選挙で何が勝敗を決したのか。証言とデータから読み解いてみる。
(西澤文香)
「現職はダメかもしれない」
そんな声が聞こえ始めたのは、公示から数日経ったころだった。
定員1の長野選挙区には、立憲民主党の現職・杉尾秀哉氏や、自民党の新人・松山三四六氏、日本維新の会の新人・手塚大輔氏ら6人が立候補。
現職の杉尾氏は国会質疑の常連で、その論客ぶりは報道などを通じ広く知られている。
私たちは当初、立憲民主党に勢いがあった前回・6年前の参院選よりは票差が詰まるものの、野党共闘が実現していることもあり、杉尾氏が当選するのではないかと見立てていた。
一方、長野選挙区が1人区となってからは勝利がない自民党。議席奪取を狙って擁立したのがローカルタレントで抜群の知名度を誇る松山氏だった。
ラジオパーソナリティを長年つとめてきただけあって話はうまい。ただ、政治経験のなさや“芸能人”ならではのゴシップを理由に「邪魔もしないが応援もしない」「候補者にして本当にいいのか」などの声も聞かれ、自民党や支援団体は一枚岩ではなかった。
ところが、選挙戦の火ぶたが切られると、松山氏側にかなりの「熱」が感じられた。
街頭演説には、イメージカラーである黄色のTシャツにうちわ姿の“ファン”たちが押し寄せ、ライブさながらの盛り上がりを見せた。演説も抽象的ながら、信州のすばらしさと前向きな未来を語る内容で勢いが感じられた。SNSも積極的に活用していた。
杉尾氏は、地道に選挙戦を展開していたが、陣営には焦りが見え、さまざまな立場の人から頻繁に電話がかかってくるようになった。
「NHKは情勢、どう見てるの?」
「期日前投票の出口調査とか世論調査の結果はどうなってる?」
そして、彼らは最後に必ず「厳しい。でも、やれることをやるしかない」と言って電話を切るのだった。
陣営の関係者によると、杉尾氏は選挙戦が進むにつれ、徐々に元気をなくしていったという。
「身体的な疲労もあっただろうが『負けるかもしれない』という不安が大きかったのではないか」
せっかちな性格で、みずからテキパキとスタッフに指示を出すような杉尾氏の変化は、陣営側に不安を与えていた。
松山氏の勢い 期日前出口調査でも
選挙情勢をつかむため、NHKは、期日前投票を済ませた人たちに投票先などを聞く「期日前出口調査」を行っている。
今回の参院選では、県内の10市で8日間実施したが、その結果をみると、前半、杉尾氏は松山氏に大きく先行を許していた。
自民党や公明党は組織が強い上に、期日前投票を積極的に呼びかけているため、特に選挙戦前半は先行するのが常だが、6年前の参院選と比べても、杉尾氏の“負けっぷり”は際立っていた。
7月6日までの調査で、松山氏は自民党支持層の約8割、公明党支持層の約9割をしっかりと固め、無党派層からも4割弱の支持を得ていた。
一方の杉尾氏は、立憲民主党支持層の約9割、共産党と社民党の支持層の8割ほどを固めたものの、肝心の無党派層の支持は4割あまりにとどまり、松山氏と拮抗していた。
一般に、野党候補が自公の候補を上回るには、無党派層の支持で大差をつける必要がある。杉尾氏の再選には明らかに「黄信号」がともっていた。
松山氏の“自滅”
状況が一変したのは、投票日まであと3日に迫った7月7日だった。
週刊文春と週刊新潮が松山氏の10年前の女性問題や金銭トラブルを報じたのだ。
松山氏は、立候補する直前にも別の女性問題を週刊誌に取り上げられたが、本人は否定。その後、家族の絆をアピールするかのように、妻や息子と共に県内を駆け回っていたが、選挙戦終盤での新たなゴシップ報道を境に松山氏の勢いはみるみるうちになくなっていった。
私たちは週刊誌報道の翌日、その影響を探るため緊急の街頭調査を行い、有権者の声に耳を傾けた。
「女性の敵だ。女性1人を守れない人が国民を守れるのか不思議」
「浮気する男はだめ。信用できないし、政治家になってほしくない」
「期日前投票で松山氏に入れたが、こうした情報を知っていたら投票しなかった」
やはりと言うべきか、女性を中心に否定的な反応が目立った。
期日前投票の出口調査でも、7日に杉尾氏が初めて逆転。8日、9日と杉尾氏がリードする状況が続いた。
特に目を引いたのは、自民党支持層の「松山離れ」だった。もともと8割ほどあった支持率は、7日を境に6割あまりに落ち込んだ。
松山氏の「自滅」といえる状況だった。
そして迎えた投票日。
杉尾氏は43万3154票を獲得し2回目の当選を果たした。
次点の松山氏との票差は約5万7000票。得票率にすると6ポイント差で、どちらかと言うと「接戦」の部類だった。
6年前よりも票差は1万7000票ほど詰まっており、週刊誌報道がなければ、勝敗がひっくり返ってもおかしくない結果だった。
松山氏は、落選が確実になった後の会見で「そのときの私は不誠実だった。本当に調子に乗っていた。しょうも無い人間だった」と険しい表情で語った。
長野市での大勝
77の市町村別に結果を見ると、市部と郡部で傾向の違いが見られた。
県内の19市では、杉尾氏の14勝5敗。一方、58町村では、松山氏の32勝26敗だった。
両陣営に話を聞くと、高齢者の多い郡部では週刊誌の影響はあまりなかったものの、都市部では影響が大きかったという見方で一致していた。
杉尾氏が上回った市のなかでも、群を抜いて差がついたのは長野市だ。
松山氏との票差は実に2万6000票あまり。全県の票差・約5万7000票の実に半数近くを稼ぎ出したことになる。得票率も49.3%と、19市の中でトップだった。
前回・6年前の長野市を振り返ると、杉尾氏は自民党候補に2000票あまりしか差をつけられなかった。今回は何が起こっていたのだろうか?
両候補者の陣営だけではなく、経済や医療、労働団体などにも話を聞いたが、杉尾陣営が特別な活動をした形跡は見られなかった。
そこで注目したいのが有権者の「投票時期」だ。
投票1週間前(7月3日)時点で、長野市で期日前投票を済ませた人は有権者の3.74%。77市町村の中でも最も低く、松本市(7.26%)や上田市(9.80%)に比べても「出足の鈍さ」が目立っていた。
しかし最終的な投票率は55%と、松本市や上田市とほとんど変わらず、長野市では終盤以降に投票した人の割合がほかよりも高かったと考えられる。この投票行動の遅さが、終盤の週刊誌報道が大きく響く一因になったと言えそうだ。
また、選挙関係者がそろって口にしたのは、長野市が松山氏の「ホームタウン」であることの影響だ。日常的に松山氏の言動を見聞きする人が多いだけに、週刊誌報道がより話題になりやすかったのではないかという。
双方に残る課題
今回、立憲民主党は長野選挙区で辛くも議席を守った。
しかし党勢の低下は明らかで、無党派層頼みの選挙戦略には限界がある。「自力」の強化が待ったなしと言える。
一方の自民党も、知名度だけに頼った候補者選考は危険性をはらみ、政治家への適性を慎重に見極めなければならないことを身をもって感じたことだろう。
各党の目は、3年後に訪れる次の参院選、さらにその前にあるかもしれない衆院の解散総選挙に向いている。今回露呈した課題にいかに向き合っていくかが、次の戦いの勝敗を分ける1つのポイントになる。
長野放送局記者 西澤文香
民放を経て2019年入局。参議院選挙では事務局を担当。