名前を変えたら飛躍するなんていうことがある。
例えば、プロ野球で言うとイチローさん。登録名を本名の鈴木一朗から「イチロー」に変更すると、その年はあれよあれよとヒットを積み重ね、日本プロ野球初の1シーズン200本安打の偉業を成し遂げた。その後の活躍はご存じの通り。
そんな改名の効果を狙ったのか、長野県警がある事件の名称を変えて被害防止に取り組んでいる。はたしてその事件とは。その新名称とは。
(斉藤光峻・大谷紘毅)
2億6894万円。長野県で去年(令和3年)1年間に起きた特殊詐欺事件の被害額だ。おととしより2700万円余り減ったものの、件数は155件と30件も増えている。さらにことしは去年を上回るペースで件数も被害額も増えているというのだ。
では、特殊詐欺と聞いてどんな手口を思い浮かべるだろうか。街の人に聞いてみると。
「ちょっと難しい。特殊にどんなものが含まれているのか分かりにくい」。
「特殊詐欺と言われてもおおまかにしか分からない。『こういう詐欺だ』と教えてほしい」。
やはり具体的にイメージができない人が多いようだ。
県警担当のキャップをつとめる斉藤(平成29年入局)も記者になったばかりのころ、デスクに渡された紙にあった「特殊詐欺」の文字を見て頭が真っ白になった。そして、泊まり勤務の際に、先輩記者から特殊詐欺のあれこれを朝4時までレクチャーを受けたのだった。その時の斉藤の感想は次のようなものだった。
「これが正式名称とは難しいよ」
特殊詐欺といってもその手口はさまざまだ。
▼親族を名乗り「お金が必要だ」などと言って現金をだまし取る「オレオレ詐欺」、▼警察官などをかたって「口座が悪用されキャッシュカードの交換が必要だ」などと持ちかけて暗証番号とともにカードをだまし取る「預貯金詐欺」などがある。
警視庁のHPで確認すると、その手口は10個に分類されているのだ。
深刻な調査結果がある。
長野県警が去年特殊詐欺被害に遭った155人を対象にアンケートを行った(113人が回答)。▼「自分はだまされないと考えていた」と回答した人は8割近い90人、▼自身が被害に遭った「オレオレ詐欺」など手口に関する具体的な知識を「知っていた」とした人が半数近い50人もいたのだ。
こうした事態に立ち上がった人たちがいる。
長野県警に特殊詐欺防止のために平成27(2015)年3月に設置された「特殊詐欺抑止対策室」だ。被害状況をまとめ、その手口を細かく分析している。そのかいあってか、長野県警の特殊詐欺の阻止率(阻止件数と認知件数を足した数で阻止件数を割ることで出る割合)は全国ベスト3に入っているのだ。
“スペシャリスト”たちが考え出したことそれは、名前を変えることだった。
ことし1月に長野県内の各警察署や県警察本部の各課に募集をかけた。ただ単に名前を募集するだけでなく、その名前にした理由や背景を明記するよう求めたのだ。
それでも、予想をはるかに上回る1000件近い案が寄せられたのだった。
最終選考を前に“異例”の出来事が起こる。
公安委員会のヒアリングを経るなどして残った14の案に対して、長野県警は記者クラブに対して「意見を聞かせてほしい」と持ちかけてきたのだ。
長野県警は発表事項についてマスコミに相談してくることは、ほぼない。
“本気度”を感じた記者クラブ側もこれに応じ、さまざまな意見を出した。
「名前は長くならないほうがいいのではないか」
「deなど横文字は使わないほうがいい」
長野県警としてはまたしても珍しく、「持ち帰って再度検討したい」と記者クラブ側の意見を参考にするという姿勢を示したのだった。
そして3月中旬、新名称を決める最終選考が開かれ、警察官ら7人が集まった。
対策室の水井武史室長が去年発生した155件の手口を次のように分析した。
「去年発生した特殊詐欺155件のうち、犯人グループからの仕掛けやそれに対する対応で97.3%は電話を使っている。全く電話を使うことなく被害に遭ったのはわずか2.6%という状況だ」
最終選考で最も重視されたのは、“なるべく短い言葉で注意する点が伝わること”。
議論は熱を帯びた。
「『もしもし詐欺』は親しみやすさはあるが、具体的な内容が伝わらない」
「電話で何かアクションを起こすという点を気をつけないといけない」
「金に気をつけるというところが大事だと思う」
「ワードとして“電話”は外せない。それに加えて気をつけないといけない点を」
決まった特殊詐欺の新名称ー“電話でお金詐欺”。
新たな名称について水井室長は次のように述べた。
「だまされないと思っている人、思っていない人、すべて含めて電話が来たら詐欺かもしれないと思ってもらえるようなことがこもった具体的な名称にした。シンプルでわかりやすいので、1件でも特殊詐欺の被害防止につなげられたらというふうに思っている」
長野県警のように特殊詐欺という名称を使っていない都道府県警は9つある。
平成25(2013)年、警視庁は犯罪の実態にあったものにしようと特殊詐欺を“お母さん助けて詐欺”とした。しかし、「実際の抑止効果は限定的だった」との批判的な意見もあった。
名称変更がどの程度効果的なのかはこれからだ。そもそも長野県警は名称変更だけで、特殊詐欺被害の防止が飛躍的に進むとも考えていないだろう。
ことし2月からは、特殊詐欺被害が相次いだ地域の上空に県警のヘリコプターを飛ばして、注意を呼びかけるアナウンスを行っている。さらに県警は被害に遭うことが多い高齢者に響くような防止策を打ち出している。
名称を変えたあとも、特殊詐欺(電話でお金詐欺)で被害に遭ったという発表は後を絶たない。やりきれなさも感じることは多いが、「名称変更は“電話でお金詐欺”を撲滅する出発点」、こう受け止めて被害防止に向けた取材を続けていく。
長野放送局 記者 斉藤光峻
2017年入局。現在は警察・司法キャップ。軽井沢町で起きたスキーツアーバス事故の取材を一貫して続けている。
長野放送局 記者 大谷紘毅
2021年入局。警察・司法を担当。最近関心がある分野は交通関係。