“ある器具”でウクライナ人の避難支援

NHK
2022年11月9日 午前9:53 公開

ロシアの軍事侵攻が続く中、国連のまとめでは、ウクライナから国外に避難した人はのべ1200万人以上に上っています。一方、避難したくても避難できない人たちがいます。

車いすの利用者や高齢者など自力で避難することが難しい人たちです。こうした人たちを1人でも多く救いたいと、長野県南部の箕輪町の男性が、“ある器具”を使った支援に乗り出しています。(長野放送局 記者 篠田祐樹)

ウクライナの隣国ポーランドへ

支援に乗り出したのは、箕輪町で福祉用品の製造と販売を手がける中村正善さんです。ことし9月には、ウクライナの隣国ポーランドにある障害者支援団体を訪れました。この団体では、ウクライナに残る車いす利用者の避難を支援していて、中村さんは、避難に役立ててもらいたいと“ある器具”を寄付したのです。

その器具とは、中村さんが開発した車いすの前方に取りつけ、人力車のように引っ張れる、その名も「JINRIKI(ジンリキ)」です。後ろから押すのと比べて、段差や階段を簡単に乗り越えられるようになるというものです。

車いす利用者を助けたい

開発の裏にあったのは、中村さん自身の経験です。中村さんは、障害があり車いすを使う弟といつも一緒に過ごしていました。このため車いすが、わずかな段差にも弱いことを身をもって知っていたのです。東日本大震災で、車いす利用者の多くが津波から逃げきれずに命を落としたという記事を目にしたことがきっかけとなり、仕事を辞めて起業し器具の開発を始めました。

中村正善さん

「わずか1センチの段差やぬかるみを乗り越えられなくて、諦める命があります。私がお手伝いできることは、絶対にやるべきだと考えています」

車いす利用者を1人でも多く助けたい。ウクライナから避難したくてもできない車いす利用者が大勢いると知人から聞いた中村さんは、冒頭のポーランドにある障害者団体などに器具を寄付することに決め、渡航や滞在などにかかる費用はクラウドファンディングで集めました。

ウクライナ人の支援のために

障害者支援団体 エワ代表

「便利な器具だと思いますし、障害者の可能性が広がると期待しています」

こう話すのは、中村さんが器具を寄付したポーランドの障害者支援団体の代表です。団体では今後、ウクライナで開かれる高齢者や障害者の避難に関する会議の場に器具を持参して、具体的な利用方法について話し合うことにしています。

中村正善さん

「避難をするかしないかという判断の前に、避難を諦めるという判断をしなければならない人たちがいます。障害がある人が避難を諦めた場合、生活を支援する家族など複数の人も避難できなくなります。この現状に何か出来るのは、世界ではジンリキしかないと思います」

器具は楽しみをもたらす存在にも

中村さんの器具は今、車いすを使う人たちの避難支援だけではなく、楽しみをもたらす存在にもなっています。ウクライナから障害がある16歳の息子とポーランドに避難してきたオレーナ・コシュリコさんです。避難当時の状況をこう振り返りました。

オレーナ・コシュリコさん

「障害がある子どもと一緒に避難するのは、とても難しいことです。列車に乗ることすら簡単ではありません。ウクライナには、障害児やその母親といった避難できない人たちがたくさんいます」

避難後、オレーナさんの息子サーシャさんは、ポーランドの障害者支援学校に通っています。脳に障害があり生活に車いすが欠かせませんが、ことし5月からは中村さんが寄付した器具を使っていて、それまでは行けなかった学校の遠足にも行けるようになりました。オレーナさんは、サーシャさんに少しずつ笑顔が戻ってきていると感じています。

オレーナ・コシュリコさん

「息子は器具を本当に気に入ったようです。いろいろな物を見たい遠くへ行きたいと思っていて、それができるようになったんですから」

中村正善さん

「この支援学校で彼は生きているわけですが、残念ながら散歩もおいてけぼりでした。今までは教室で1人さみしい思いをしていましたが、この器具で行けるとなって、あんなに笑顔になっています。あの笑顔を増やすために今後も活動していきたいです」 

取材後記

「たった1センチの段差で命を諦める人がいる」。中村さんのこの言葉に大きな衝撃を受け、頭から離れません。中村さんは、これまでに2回のポーランドの訪問で、およそ200個の器具を寄付していて、今後は、ウクライナやポーランドにある日本大使館と連携して態勢作りを進めて、さらに多くの器具を現地に寄付していくことにしています。支援の輪は着実に広がっていくことで、サーシャさんが見せてくれたような笑顔が、1日も早くウクライナに戻ることを祈っています。

(長野放送局 篠田祐樹)

2020年入局。警察・司法担当を経て現在は飯田支局。