福岡は短歌王国!?その背景は 2022年1月31日

NHK
2022年4月4日 午前11:03 公開

ことし1月18日に皇居で行われた新春恒例の「歌会始」で、あることが気になりました。

天皇皇后両陛下や皇族方の前で披露された10の短歌のうち、2つが福岡県在住の人が詠んだものだったのです。

久留米市在住の高木さんが詠んだ歌がこちらです。

そして、こちらが、春日市在住の田久保さんが詠んだ歌です。

全国から寄せられた1万4000近くの和歌から選ばれての晴れの舞台。歌会始のあとのインタービューでは、お二人とも「夢のようでした」などと非常にうれしそうに答えていました。

ほかの年も福岡県在住者が多く選ばれているのだろうか。そう思って調べてみると、過去5年間では、東京に次いで全国で2番目に多いことがわかったのです。

また、全国の高校生が参加する「短歌甲子園」でも優勝や入賞する個人や団体が相次いでいることもわかりました。

「五・七・五・七・七」。この31音に心情を込めて歌い上げる短歌が、なぜ福岡で盛んなのか。福岡が「短歌王国」たるゆえんに迫りました。

まず、自身も歌人であり、短歌の歴史に詳しい専門家に話しを聞いてみました。

福岡女学院大学 桜川冴子准教授
「万葉集の時代に非常に有力な歌人たちが『大宰府』にいたんですね。
そこで筑紫歌壇というのを形成して短歌を詠んでいたわけですね。
神様に和歌(短歌)や連歌を披露することによって神様が神威、
神様の威力を増すというふうに信じられていたわけです」。  

専門家は神の崇拝と短歌が密接に関係してきたことを指摘しました。

ということで、いにしえから神に歌が奉納されてきた太宰府天満宮を訪ねてみました。

すると、福岡の礎を築いた戦国時代の軍師・黒田官兵衛が1602年に詠んだ歌が保管されていました。その資料がこちらの「夢想之連歌」。

「松むめや 末なかかれと みとりたつ 山よりつゝく さとはふく岡」

担当者によると、この「ふく岡」が、いまの福岡県の地名の初見とも言われているということでした。福岡と短歌のつながりは強く、長いことがわかりました。

でも、公家や武将など一部の人に親しまれていた歌が、どうやって一般の人たちに広まったんでしょうか。

桜川准教授は、もう一か所、重要な場所を紹介してくれました。それが、北原白秋のふるさと・柳川市です。

詩人として有名で多くの童謡を世に残した北原白秋ですが、実は57年の生涯でおよそ8000首の短歌を詠んでいます。

白秋が愛した柳川市には、川沿いなどを中心に多くの歌碑が建てられています。その歌碑には白秋の柳川に対する思いを詠んだ歌が刻まれています。

白秋の功績は、多くの短歌を残しただけにとどまりません。「北原白秋生家・記念館」によると、読み書きなど教育の普及が図られた明治時代、全国に「多磨」という歌会のグループ(短歌結社)を作るなど、正岡子規や与謝野鉄幹などとともに短歌の大衆化を進めたというのです。この短歌結社はその後、途絶えてしまいますが、愛弟子である宮柊二が作った「コスモス」という短歌結社は現在も全国に広がっています。

白秋のような人物がなぜ、柳川で育ったのか。専門家は、短歌を詠むうえで大切な条件がそろっていたと指摘しています。

北原白秋生家・記念館 髙田杏子館長
「長崎からの行き来もあったり、また、こちらが漁師町であったり、また城下町でもあったり、多様な文化がいっぱいあったところに(白秋は)育ちになりました。そして、そこが彼の感性というか文学に出会って自分のことばで、それを伝えたいということやその感受性を育てていったのが柳川だと思います」。  

多様な人が集まり、異なる文化や考え方が混じり合う環境。白秋自身も、そうした環境で育ったことが自らの創作活動の原点になっているということばを残しています。

「水郷柳河こそは、我が生れの里である。この柳河こそは、我が詩歌の母體である」。

先人たちが育んできた短歌の文化。取材を進めると、今の福岡にも確かに受け継がれていることがわかりました。

福岡市の大学2年生、山下拓真さんは県内の学生が大学の垣根なく参加する短歌サークルで副会長を務めています。

このサークルのメンバーはおよそ20人で、月に2回、自作の短歌を披露する歌会を開催しています。その成果は、歌集「九大短歌」にまとめ、年に2回、出版しています。

「九大短歌」をみると、中には現代らしい表現も見られました。
「弟とその友達と女の子ぎりWi-Fiが届く踊り場」。  

そして、取材をした1月26日には新年1回目の歌会が開かれていました。
コロナ禍であるため、オンラインでつないで行われました。  

お題はことしの干支でもある「とら」。
参加した3人の学生は、考えてきた歌を披露。
その歌に対して、自由に意見を出しあっていました。

副会長の山下さんは、ひとりではよい短歌をつくることはできず、歌会を開くことに大きな意義を感じているといいます。

九大短歌会副会長 山下拓真さん
「短歌会のいいところっていうのは、ひとつオンラインでもできるっていうところが
強みだと思っていて、自分のお家であったり、遠くにいる人だったりと、実際にオンラインで顔を合わせながら歌を詠む歌会をやる形で、自分が満足のいくような、そんな歌をそれぞれが作っていければいいです」。  

今回のバリサーチでは、このサークルの創始者でOBの歌人・山下翔さんにも話をきくこともできました。

山下さんは3年前、「短歌会の芥川賞」とも言われる「現代歌人協会賞」を受賞しました。このほか、福岡市文学賞も受賞しています。

県外出身者の山下さんは、大学進学をきっかけに福岡市に移り、卒業後の現在も市内にとどまって短歌を作り続けています。

どうして、福岡で歌を作り続けるのか。その理由について、異なるものを受け入れてくれる寛容性をあげています。

  歌人 福岡市在住の山下翔さん
「いろんなものを受け入れるっていうか、それを変に何か福岡色に染めようとか地元に溶け込ませようとかそういうのはそんなにない。短歌だけに集中できるというか、短歌さえやっていればいいんだみたいところもやっぱり居心地がいいところですね」。

また、町を歩きながら歌を作るという山下さんは、福岡の豊かな自然も楽しみながら今後も短歌を作り続けていきたいといいます。  

歌人 福岡市在住の山下翔さん
「(福岡は)こっちをむけば海でこっちを向けば山みたいなところなんで、
そういう意味では何かまだまだ探求しがいがある。
短歌をやっていく上での、この状況が快適なのでしばらくはこの快適の中で
できることをいっぱいやっていきたいなという感じですね」。   

今回のバリサーチでは、人が集まりやすい土地柄や異なるものを受け入れる寛容性、そして豊かな自然があってこその「短歌王国・福岡」なんだということがわかってきました。

福岡などで育まれてきた短歌の文化はいま、「ツイッター短歌」などとしてSNSでも広がりを見せています。有名な歌人もSNSで作品を発信し始めていて、専門家のひとりは、短歌の文化がSNSという新しいメディアによって進化・深化する可能性を指摘しています。

SNSやインターネットによって、日本の伝統や文化はどう変わっていくのか。この現代らしい変化についても、短歌に限らず、さまざまなジャンルで取材していきたいと思います。