千手観音トルソー

NHK
2023年5月24日 午前11:16 公開

奈良を愛する人たちが県内の歴史や文化の魅力をホリ下げる「ならホリ!」。

今回は大和郡山の寺に伝わる秘仏の謎に迫ります。

(寺井康矩 記者)

これが仏像?秘仏「千手観音トルソー」

大和郡山市にある古刹、松尾寺です。ここにめったに見られない寺の宝があると聞き、訪ねてみました。

出迎えてくれたのは、松尾寺の住職代行、平野雅裕(ひらの・がゆう)さんです。平野さんは30年以上松尾寺の僧侶として働いていて、寺の歴史に精通しています。早速、寺の宝がある本堂に案内してもらいました。

平野さん

「こちらが千手観音トルソーの仏さまです」。

え?これが仏像!?

像の高さは1メートル90センチほど。木彫りのオブジェのようにも見え、全体が黒くすすけています。くびれのある、なんとも不思議な形をしています。

トルソーとはイタリア語で「木の幹」や「胴体」の意味だそうです。仏さまとはなかなかわからない、この「千手観音トルソー」。なぜ、このような姿をしているのか。そこには、この像をめぐるさまざまなできごとがありました。

発見!失われたはずのご本尊

今回訪ねた松尾寺は、日本書紀の編さん者で、奈良時代に政治の実権を握った舎人(とねり)親王が開いたとされる由緒ある寺です。

寺の本尊は「千手千眼観世音菩薩立像(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつりゅうぞう)」という菩薩像。千本の手と千個の目で命あるものを漏らさず救うとされる仏様で、松尾寺では「厄除け観音」として知られ、年に1回しか見ることができない秘仏です。

この仏像がつくられたのは鎌倉時代で、それより前の時代に別の本尊があったと考えられています。

では、その“先代”の本尊はどうなったんでしょうか?

寺の記録によりますと、鎌倉時代に火災があり、本尊が安置されていた本堂が焼け落ちてしまったということです。

その後本堂が再建され、今の本尊が置かれたということで、かつての本尊は建物とともに失われてしまったと考えられていました。

時は流れて昭和28年。本堂の修理中に、天井裏から、むしろに巻かれた「あるもの」が見つかりました。

いったいなんなのか?覆っていたむしろを取り除くと…。

黒く焦げた木の柱のようなものが出てきました。調査を行った結果、いまの本尊と同じ観音像の一部と判明。鎌倉時代の火災で失われたと思われた本尊の可能性が高いことがわかったんです。

平野さん

「像のくびれてる部分に左右それぞれに42本の腕がささっていて、一番上の部分には頭の部分が乗っていたと推測できます」。

かつての本尊は、大半が焼けて失われた一方、胴体の部分だけが奇跡的に残り、このような姿になったと考えられています。

さらに像が見つかった場所にも驚きの事実がありました。

なんと、いまの本尊が安置されている厨子のちょうど真上にあたる天井裏に、この像が置かれていたというのです。

平野さん

「かなりの広さがある本堂の中でも、端ではなく、いまのご本尊の頭の上に包まれて像が置いておかれていました。この像は間違いなくもとの本尊、前のご本尊さまだからこそ、この場所に安置されたと思います」。

あの作家も絶賛

奇跡的に発見された先代のご本尊。見つかった後、秘仏として保管されたため、こうした話は、当時、あまり知られることはなかったといいます。

その後、しばらくたって、とある女性が松尾寺を訪れます。

随筆家の白洲正子(1910~1998)です。明治43年、東京で生まれ、実業家・白洲次郎の妻としても知られます。生前、日本各地を旅して、数多くの優れた随筆を残しました。

松尾寺を訪れた正子は、この像と対面した時の心情を次のように書き残しています。

「ひときわ目をひく彫刻があった。もはや彫刻とは呼べない、大きな木のかたまりである。頭も、手も失われ、全身真黒焦げに焼けただれているが、すらりと立ったこのトルソーは、いかにも美しい。(中略)地獄の業火に焼かれ、千数百年の風雪に堪えて、朽木と化したその姿は、身をもって仏の慈悲を示しているような感じがする。(中略)腰のあたりには、あざやかな木目が流れ、力強いのみの跡が歴然と遺っている。眺めていると、元の姿がありありと浮ぶのは、よほど原型が優れていたのであろう。」

(白洲正子「十一面観音巡礼 愛蔵版」新潮社刊より)

この随筆が出版されると、松尾寺の秘仏は「千手観音トルソー」として広く知られるようになり、全国から多くの人がやってきたといいます。

平野さん

「『一目でいいから、少しの間でいいから前に立って手を合わせたい』。そういった問い合わせがあった人に対しては、本堂の裏に安置されていた像に案内し、お参りしてもらっていました。中には涙ぐむ方もいらっしゃいました」。

数百年の時を超えて再び姿を現した秘仏“千手観音トルソー”。白洲正子との偶然の出会いが、その存在を一躍世に広めることになりました。元の姿は変わっても、いまも多くの人々の祈りや願いを受け止めています。

平野さん

「これだけ近い形で(もとの本尊の)お参りができる、これはほとんど奇跡と言って過言ではありません。像の限りなく近いところで手を合わせてお願いされることをおすすめします。きっといいことがあると思います」。

この「千手観音トルソー」は、先月から松尾寺で一般に公開されています。本堂の中での公開は今回が初めてということで、ことし12月末まで見ることができるということです。

取材:寺井康矩 記者

大和高田市出身。

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