芸妓や舞子が客をもてなす花街。
京都の祇園や東京の新橋などが有名ですが、奈良にもこうしたお座敷の文化があります。そんな奈良の花街でこの冬から1人の女優が芸妓になろうと修行に励んでいます。女優と芸妓の“二刀流”を目指す女性の奮闘ぶりを取材しました。
奈良市の観光名所、猿沢池の近くにある「ならまち」。古い町並みが残る旧市街の一角に、元林院町(がんりいんちょう)と呼ばれる地区があります。ここには明治時代からの花街があり、ひとりの女性が芸妓を目指して去年11月から修行を続けています。
朝井莉名さん(33)です。
住まいは東京にありますが、月の半分をこの町で過ごしながら、日本舞踊や三味線の練習を続けています。
実は朝井さん、東京を拠点に活動する現役の女優です。
信州がふるさとの朝井さん。
子どものころから人前で踊ることが好きで、クラシックバレエやジャズダンスに親しんできました。22歳で上京し、学校で2年間演劇を学んだあと、女優として活動を始め、舞台を中心に映画やテレビドラマなどにも出演してきました。
「もっといろいろな芸の世界を知りたい」。
そんな思いを抱きながら過ごしていたある日、先輩の俳優からある誘いを受けます。
「女優をしながら奈良で芸妓をしてみないか?」。
朝井さん「単純に面白そうだなと思いました。女優と芸妓というのを両方やっている人というのを聞いたことがなかったので、これは誰もやっていないことにチャレンジできるチャンスだなと」。
すぐに決意を固めた朝井さん。修行をするための事前審査も無事にクリアし、意気揚々と元林院町にやってきましたが、町の実情に衝撃を受けたといいます。
朝井さん「最初はお姉さんとかいっぱいいらっしゃるのかなと思って来たので、お1人なんだというのを知ってすごくびっくりしました」。
朝井さんが修行する元林院町は、明治時代から古都・奈良の花街として栄えました。大正時代には200人を超える芸妓や舞子がいたということで、当時は、関西屈指の花街として知られていました。しかし、世の中の移り変わりとともに、お座敷でのもてなしの文化は、徐々に衰退していきました。さらにコロナ禍が追い打ちをかけ、花街の伝統は、風前のともし火になっています。
そんな元林院町で、伝統のあかりを守るのは、朝井さんの師匠、大野菊乃さん(50)です。中学を卒業した後、おばに誘われて花街に入ったという菊乃さん。芸妓や舞子たちが減っていくなかで、10年あまり、ただ1人の芸妓として奈良の花柳界を支えてきました。このままではいけないと、菊乃さんは、新人の育成にも力を入れてきましたが、たびたびのコロナ禍が菊乃さんの思いを打ち砕きます。
菊乃さん「コロナでお客さんは減ってお座敷もなくなり、仕事もない状態になってしまいました。育てた舞子さんたちもみんなやめてしまって、もうさすがに芸妓をやめようと思いました」。
自分がやめたら元林院町のあかりは完全に消えてしまう。これまで応援してくれた人たちの声に励まされ、菊乃さんは、新人を育てる取り組みをもう少し続けようと決めました。新人育成の取り組みを続けるにあたって、菊乃さんはそれまでの考えを大きく変えました。コロナ禍のような事態に見舞われると、芸妓や舞子の仕事だけで生活するのは相当困難だと思われました。こうした状況では新人が定着しないと考えた菊乃さんは、ほかの仕事との両立を認め、門戸を広げることにしたのです。そうした動きがあることを、先輩の俳優から聞いた朝井さん。女優の仕事をしつつ、芸妓になることを目指そうと、募集に応じたのでした。
元林院町にやってきた朝井さん。女優として、東京での仕事のスケジュールを調整しながら、奈良では芸妓見習いの「仕込みさん」として修行に励んでいます。芸妓になるために欠かせないのが、日本舞踊や三味線の演奏、礼儀作法や言葉づかい。同じ人前に立つ仕事とはいえ、女優とは世界が大きく異なります。踊りの足さばきや扇子の持ち方、三味線の調律や弦の巻き方など、日々、菊乃さんから指導を受けています。空き時間や休日もひたすら練習です。
東京に戻った時も、空き時間を見つけては、正座や踊りなど、芸妓としての振る舞いを身につけるための練習を欠かしません。
朝井さん「ジャズダンスとかをやっていたので洋楽はすごく聞いたんですけど、日本の三味線の音に耳がまだ慣れなくて。菊乃さんに指摘されたところがやっぱりなかなか直らない。_自分ではやってるつもりでも、撮影した動画とかを見るとできてないなと」_。
初めての経験ばかりで、悪戦苦闘する朝井さんですが、菊乃さんは大きな期待をかけています。
菊乃さん「熱心に稽古してますね。注意されたことができなかったと言うんですけど、きのうよりは良くなっている。とても努力家で真面目なので、私自身もうれしい気持ちになりますし、張り合いが出ますね」。
客をもてなすのも芸妓の重要な仕事ということで、朝井さんは夜、菊乃さんが経営する店で、客の応対をすることもあります。食事や飲み物の提供、客との会話を通じて芸妓としての立ち振る舞いを学びます。とはいえ、お酒の注ぎ方など、まだまだ慣れないことが多いといいます。
取材で訪ねた日は、客の前で踊りを披露する機会にも恵まれました。日々練習してきた成果に、客から拍手が送られていました。
男性客「コロナで花街のあかりが消えるかもわからないというところでね、なんとかこの元林院町のともし火を消さないように応援したいですね」。
女性客「朝井さんに憧れて、同じように芸妓を目指す方が増えたらもっといいなと思います。奈良のスーパースターになってもらいたい」。
朝井さんの修行が始まって3か月余り。芸の上達しだいでは、早ければこの春にも芸妓としてデビューできるかもしれないということです。
朝井さん「奈良の人だけじゃなく全国から『あの芸妓さんの踊りは一度見たほうがいい』と思っていただけるような芸妓になりたい。元林院を引っ張っていくようなスターになれるように頑張っていきます」。
芸妓と女優の“二刀流”は、古都の花街を救う切り札となるのか。朝井さんの修行は続きます。
寺井康矩 記者
奈良・大和高田市出身。2017年に入局後、徳島局を経て去年から地元・奈良局で勤務。取材担当は「歴史・文化」と「警察」の“二刀流”。