今後に注目!「軟骨伝導」

NHK
2023年1月12日 午後4:09 公開

「軟骨伝導」という言葉、ご存じですか?奈良県立医科大学の研究者が、およそ20年前に発見した聞こえの仕組みです。まだ耳慣れない言葉ですが、この仕組みを活用した民生品が登場したことで、今後は耳にすることが徐々に増えていくかもしれません。

日常はイヤホンとともに・・・

オンラインの会議や授業、移動中の音楽や動画・・・イヤホンやヘッドホンは生活に不可欠な道具となりつつありますが、ふだん、どのようなタイプのものをお使いですか?

耳の穴を塞ぐタイプ?塞がないタイプ?

音が聞こえるという意味では同じですが、それぞれ活用している仕組みが違います。

耳の穴を塞ぐもので多いのは、外部の音源からの空気の波が鼓膜を通して耳の奥の内耳を震わせる「気伝導」。イヤホンを使わずに音を聞く場合と同じ仕組みです。

一方、耳の穴を塞がないもので一般的なのが、頭蓋骨に振動を与えることで内耳を直接震わせて音を聞く「骨伝導」。家電量販店でも、かなりの売り場面積が設けられているので、商品を見たことがあるかたも多いのではないでしょうか。

新参「軟骨伝導」とは?

そうした中、去年10月、イヤホン・ヘッドホン市場に「軟骨伝導」という新たな聞こえの仕組みを活用した製品が登場しました。この「軟骨伝導」は、奈良県立医科大学の細井裕司学長(74)が2004年に発見した仕組みです。

耳鼻科医として、長年、大学病院で難聴患者の治療にあたってきた細井さん。そのかたわら、聞こえの仕組みそのものも研究を続けてきました。2004年、音を生み出す振動子を頭のいろいろな場所に当てて音の聞こえ方を実験していたときに、ある異変に気づきました。

「耳の軟骨に振動を当ててみたら、ほかの骨に当てた場合と違う。軟骨と骨とでは感覚的に全然違うんだということに気がついた」。

この違いは何なのか。研究の結果、耳の入り口付近にある軟骨に振動を与えると、耳の中に音源を発生させ、そこからの空気の波が鼓膜を通じて内耳を震わせていることがわかりました。

細井さんはこの仕組みを「軟骨伝導(Cartilage conduction)」と名付けます。

掲載されない論文

「骨伝導以来、500年ぶりの発見だ」。

細井さんは発見の勢いそのまま、海外の学術雑誌に研究成果の論文を投稿しました。

しかし、いつまでたっても掲載されませんでした。

「論文を審査する先生は『軟骨伝導?聞いたことないよ』と。私の造語ですから当たり前です。また論文には最後に参考文献を書くのですが、新しい発見なので参考文献がない。そうしますと雑誌の編集者は、本当に書いてある内容が真実なのか判断できません」。

新発見だからこそ、高い壁にぶつかった細井さん。何年たっても雑誌に掲載されず、共同研究者からは「軟骨伝導はやめて骨伝導ということにしたらどうか」とも言われたといいます。しかし、こだわりは捨てませんでした。

「骨伝導ではないものを骨伝導といえば、せっかく全く違うものを発見したのに生かされなくなってしまう。『絶対最後は認められる』という信念と意地でした」。

細井さんは来日した雑誌の編集者に軟骨伝導を体験してもらうため、アポなしで突撃して聞いてもらうなどの活動を粘り強く続けました。その結果、発見から6年後、初めて掲載。それをきっかけにほかの雑誌にも続々と掲載され、ようやく軟骨伝導が認められました。

しかし細井さんはそれで満足しませんでした。

「研究というのは論文執筆で終わってはならない。製品として世界の人々の手元に届けられなければ、実際に人々の役に立たない」。

徐々に広がる活用分野

耳鼻科医である細井さんは、まず軟骨伝導を利用した補聴器の研究に乗り出し、2017年、メーカーと製品を開発。耳の穴がふさがる症状の人や、骨伝導補聴器の長時間の圧迫を嫌がる子どもなどから好評を得ます。

「非常に喜んでもらえてよかったが、これだけでは一部の人しか軟骨伝導を感じてもらえない。病気や難聴とは関係なく、発見の成果をできるだけ多くの人の役に立つようにするためには一般用製品として発売されないといけない」。

2019年には軟骨伝導製品の開発・製造を手がけるベンチャー企業を知人が設立。導入しやすい環境を整えつつ、細井さんみずから国内の企業に導入を働きかけました。

そして去年10月。ついに大手音響機器メーカーが細井さんの仕組みを活用した世界初となる民生用ヘッドホンを発売。細井さんの念願が叶った瞬間でした。

「軟骨伝導」飛躍の年となるか

骨伝導と同様、耳をふさがずに音を聞くことができるうえ、骨を圧迫することなく、音の立体感も損なわない特徴があるという細井さん。

先月、大阪市内で行われた体験会に参加した人に話を聞いてみると、「周りの音もふつうに聞こえながら、いい音が聞こえる」「締めつけもないのに不思議な感覚だ」という答えが返ってきました。ヘッドホンをつけた人にインタビューをしても、相手は私の質問をしっかり聞くことができます。一方、かなり近づいても相手がヘッドホンでどんな音を聞いているのか、私には聞こえず、迷惑行為になりがちな音漏れもありません。

現在、奈良県立医科大学の学長として、研究成果の利活用の旗振り役を務める細井さん。自室を訪れると、独自開発した音源デバイスを見せてくれました。今回の製品化は大きな一歩だけれど、まだ第一歩。もっと多くの場面で活用できるはずだと意気込んでいます。

「スマートフォン、スマートグラス、インカム、水中イヤホン、同時通訳機など、非常に多様な応用範囲がある。いまはまだ気伝導・骨伝導しか多くの人や企業は知らないが、まずは軟骨伝導を知ってもらい、これに変えてみたらどうかという発想を持ってもらえると、もっといい製品ができると思う。奈良・関西発の最新技術として、2023年は世界に大きく広がっていく1年になってほしい」。

(奈良局・寺井康矩記者)2017年入局。

徳島局を経て去年から奈良局で医療・文化取材を担当。好きな発明家はレオナルド・ダ・ヴィンチ。