奈良を愛する人たちが県内の歴史や文化の魅力をホリ下げる「ならホリ!」。今回は県内にある近代建築の魅力を吉田真人アナウンサーがご紹介します。
一緒に巡るのは、奈良女子大学・工学部の学部長で、日本の建築史が専門の藤田盟児さん。
まず訪ねたのは、現在は奈良国立博物館の「なら仏像館」。1895年、明治28年に開館した旧帝国奈良博物館本館です。
この建物、実は周囲と比べると少し小高い場所に建っています。
奈良女子大学 藤田盟児さん
「小高い丘になっているところで、より大きく見える。低いところではなく高いところに建ててアップで見上げる感じとするのは、ヨーロッパ建築の基本なんです」。
日本が西洋に追いつこうとしていた明治時代。本格的な西洋建築として、この建物は造られました。外観には少し変わった特徴もあるようです。
奈良女子大学 藤田盟児さん
「例えば両方の柱の脇に普通だったら彫刻とかを置く、エディキュラ(建物の壁面に造られた祭壇のようなくぼみ)があります。ただ、この建物の場合は、何も置いていません」。
藤田さんが注目したのは、このくぼみに何も置かれていないこと。中に文字やレリーフが彫られることが多い丸や四角の装飾も、空白になっています。なぜこのようなシンプルなデザインが採用されているのか、聞いてみると。
奈良女子大学 藤田盟児さん
「(奈良は)法隆寺をはじめとするシンプルで力強い古代の建築が中心のところです。奈良にはこちらのデザインの方が似合うのではないかと考えた可能性がありますね」。
新しい建物を、どうやって古代の建築が残る奈良の景観に合わせるか。それは建築家にとって大きなテーマだったのです。
続いて訪れたのは、奈良国立博物館の敷地にある「仏教美術資料研究センター」。明治35年、奈良県物産陳列所として開館した建物です。通常は非公開となっていますが、今回、特別に見せてもらいました。設計者は、奈良時代の都の跡・平城宮跡の研究などでも知られる、古代建築の研究者・関野貞です。実は、この建物、10円硬貨のデザインにも採用されている、あの寺院がモデルだというのです。
「(関野は)宇治の平等院について卒業論文で書いているんです。中央に建物があって両側に廊が伸び、端っこに翼のような楼(高い建物)がついている」。
でも、よく見ると、全てが和風というワケではありません。例えば「窓」。細部に洋風のデザインが隠れています。
中心部の建物に入ってみると、天井が高く、外観の印象と異なり、ヨーロッパ風の空間が広がっています。ただこちらも、全てが洋風かというと・・・
「手すりの下を何で支えているかというと日本建築の肘木と斗なんです」。
景観に気を配りつつ、和と洋のデザインをうまく融合させているんですね。
奈良の街には、他にも景観に合うように建てられた施設があります。今回、最後に訪ねたのは、東大寺転害門のすぐそばにある「奈良市きたまち転害門観光案内所」。外見は町屋のようですが、元々は南都銀行の手貝支店として使われていました。
今回、この建物に縁がある方が、現場に来てくれました。
奈良市で建築事務所を営む岩﨑平さん。この建物を設計した建築家・岩﨑平太郎氏の孫です。神社仏閣の修理に携わっていた平太郎さんは伝統建築の知識を活かし、この建物を手がけました。
観光案内所となったいま「銀行の面影」は薄れてしまいましたが、当時の状況をうかがえるものを、と特別に設計図を見せてくれました。
この図面を見ながら、祖父との思い出を伺うと、いまの仕事に繋がるような「体験」を幼い頃からしていたようです。
建築家・岩﨑平さん
「お寺とか連れて行ってもらって、あれはこうだとかこれは組み物がどうのこうのという風な(ことを教わった)。今は建築やっているから分かりますけど。幼いころは分からなかった」。
建築家のバトンは、古代から近代、そして現代へと、受け継がれているんですね。
吉田真人
近代建築の持つ
和と洋の絶妙なバランスが大好き。