現実の鏡としての「17才の帝国」

NHK
2022年5月27日 午後8:25 公開

幸福度調査と支持率

未来社会考証を監修した齋藤達也です。第3話は、支持率や多数決と、何が本当に正しいのかという判断の間にある葛藤でした。なかなかハラハラする場面もありましたね。特殊個別的な状況に置かれる UAの個々人の判断と全体の幸福度の関係性をどうやって解決できるのか、という大きな問題がドラマで迎えた一つの大きなテーマです。

ドラマ中の一つの映像的な仕掛けとして描かれているものに、幸福度調査、支持率、意見の可視化があります。個々人の意見が可視化されるという仕掛けがあることで、会議室で起きていることが、一気に世の中の出来事として物語に展開を加えていきます。こういった可視化の手段は、現実社会でも手段としては考えられます。一方で、量的な指標に還元される前に、個々人、また集団、あるいは社会のクラスターごとの賛否の偏り、などといったことも考えられます。そういった中で、ドラマ中で、真木亜蘭選んだのは、リアルな個人個人の現実に対して向き合うという選択でした。

今の収入に満足である(ソロンの設問)

現在の自分に満足である(ソロンの設問)

こういった議論は実は何百年も前からありました。ルソーが、個々人の私欲の総和としての「全体意志」と、それと別に、公共にとっての利について多くの人々が正しく合意を作れる意思があるとするならそれを「一般意志」と呼ぶとして定義してるんです。一般意志を実現するための数学的、工学的な手段がなかった時代の議論なので、ある種の思考実験として提示している部分もありますが、AIやネットという現代の技術はそういった新しい道具立てになるのかもしれないと思わせつつ、ドラマで可視化されているのは、今後数年間に起こりうることとして、そういった道具が獲得されたとしても、根本的な部分を本当に解決できるかどうかは、また別の英知が必要になる可能性がある、という問題提起ではないかと思います。

このドラマのドラマとしての新しさは、そういった問いを視聴者に投げかけ、一緒になって考えることを抗えなくさせてしまうというところです。また、見ている側をサスペンド(簡単に答えが出ない状況に置いてしまう)という意味で、広い意味でサスペンスのドラマでもあると思いました。

キャラクター達が背負う概念やポジション

演説に臨む真木

ドラマ中では、真木亜蘭君が施政者の一人として、社会全体の現象とどう対峙するのかというところがポイントなのですが、実は僕自身は、真木亜蘭君が主人公には思えないところもあります。彼が何者なのかっていうところは、実際は現実には実在はしえないけど、そういう存在が社会に一人の人格として存在するとしたら、あるいは首相として選出され否定できないものになってしまったときに、あらゆる物事が良い方向にも困ってしまう状況にも撹乱されてしまう概念的な現代の空白点という感じがしています。ある意味、我々が簡単には理解できない、これから来たるべき「若い人」を概念的に象徴するものなのかなとも思います。

劇中、会話する真木と平

むしろ、翻弄され、また一緒に問題に取り組んでいく周囲のキャラクター達、また街の人たちの方こそ、私たち自身の鏡でもあり、どうしても感情移入してしまう存在かもしれません。私たちが生きる現実の世界での各ポジション、硬直した政治体制、またそれを変えていこうという意思を持つ人たち代弁するのは、真木亜蘭君の周囲にいるキャラクターたちで、各キャラクターがどういった概念やポジションを背負っているのかを読み解いていくということも、このドラマの楽しみ方かもしれません。

齋藤達也

齋藤達也(さいとう たつや)/インタラクティブ・アートディレクター、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任准教授

体験型展示、テレビ番組、プロダクト、教育、書籍など多岐にわたる領域で表現活動を行なっている。