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小澤征爾さん死去 各地に根づいた音楽文化

初回放送日: 2024年2月21日

「世界のオザワ」と評された指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。世界的に活躍しただけでなく、日本各地での音楽活動にも力を注いだ小澤さんの取り組みを振り返ります。

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    高橋 俊雄
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目次

  • 小澤征爾さん死去 松本や水戸など各地に根づいた音楽文化

小澤征爾さん死去 松本や水戸など各地に根づいた音楽文化

「世界のオザワ」と評された指揮者の小澤征爾さんが2月6日、心不全のため88歳で亡くなりました。
小澤さんは国内でどんな活動を続け、それが地域の音楽文化の発展にどのようにつながっていったのでしょうか。

■世界最高峰の舞台で活躍

小澤さんは1935年に生まれ、多くの指揮者を育てた齋藤秀雄さんから指揮を学びました。
1959年、23歳のときに単身、貨物船に乗ってフランスに渡りました。スクーターで各地を回る中で「ブザンソン国際指揮者コンクール」に参加していきなり優勝。その後、世界的な指揮者、カラヤンやバーンスタインに師事しました。
29年にわたってボストン交響楽団の音楽監督を務めたほか、ウィーン国立歌劇場で東洋人初の音楽監督になりました。
さらには、ベルリンフィルやウィーンフィル、パリ・オペラ座やミラノ・スカラ座など、世界一流のオーケストラや歌劇場でも指揮者を務めてきました。
小澤さんは、まだ日本人が海外に出ることが一般化していない時期からクラシック音楽の本場で活躍の場を広げてきた、日本人指揮者のパイオニアです。高い技術と情熱的な指揮で知られ、2008年には文化勲章を受章しています。その理由は、「多年にわたり、国際的指揮者として、世界の聴衆を魅了するとともに、情熱あふれる芸術活動で日本の音楽界の発展に大きく貢献した」というものでした。

■日本国内各地に足跡

「日本の音楽界の発展に大きく貢献」について、具体的に見てみましょう。
1972年には「新日本フィルハーモニー交響楽団」の創設に関わりました。
水戸市の水戸芸術館では、1990年の開館時に室内管弦楽団の音楽顧問になり、2013年には館長と管弦楽団の総監督に就任しました。
長野県松本市では1992年から「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」を開催。総監督を務めてきました。「サイトウ」は恩師の齋藤秀雄さんにちなんでいますが、小澤さんが80歳を迎えた2015年から「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」と名前を変えています。
長野県山ノ内町では「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」を開催。バイオリンやチェロなど弦楽器を演奏する若い音楽家のための教育プログラムです。
そして京都市は、2016年から小澤征爾音楽塾の拠点になっています。こちらも若い音楽家がオペラを作り上げる教育プロジェクトです。

■地域に根づいた音楽祭

オーケストラの創設に音楽祭、若手の育成と、多彩な活動を続けてきた小澤さん。中でも深い関係を築いてきたのが、毎年夏に開催される松本市の音楽祭です。
オーケストラとオペラの公演を軸に、室内楽の公演や子ども向けのプログラムなどが用意され、去年は8つの有料公演におよそ9500人が集まりました。
演奏の主体は「サイトウ・キネン・オーケストラ」。世界各地で活躍する音楽家がこの音楽祭のために集まり、一流の演奏を披露しています。
その一方で、小中学生の吹奏楽部などによる演奏会など、市民が参加する機会も設けられています。
松本市は「楽都」という言い方もされています。その中心にこの音楽祭があり、小澤さんがいたわけです。

■地域の音楽活動にも波及
多くの市民が参加して小澤さんの指揮に触れるという経験は、音楽祭以外の活動のレベルアップにもつながっています。

その一例が「まつもと市民オペラ」です。2007年から市民が参加してオペラ公演を続けています。
合唱団の中心メンバー、佐々木文宣さんは、「当初から『小澤さんに対して恥ずかしくない、日本一のオペラを作ろう』という意識を持っていた」と言います。
佐々木さん自身も2006年に「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」のオペラ公演に参加し、小澤さんの指揮を目の当たりにしました。
佐々木さんは「伝えようという熱量や1ミリでも高いところに向かう姿勢を小澤さんから教わった。今までよりもっとよくしていくことが、小澤さんへのレクイエムだと思っている」と話していました。

■「音楽を身近なものに」
小澤さんは多くの人が音楽に触れる機会を増やそうと、ほかの地域でも工夫を重ねてきました。
水戸市にある水戸芸術館でも「子どものための音楽会」を2004年から続け、室内管弦楽団の恒例行事として定着させました。
2005年には楽団の演奏を野外の大型スクリーンに映し出すという催しを開催。およそ4000人が参加しました。演奏が終わると小澤さんたちがサプライズで登場し、その場で演奏を披露しました。
小澤さんは館長就任の会見で、「芸術という言葉は日本語で書くと難しく聞こえてしまう。そうならないように身近な音楽や芝居にしてほしい」と述べ、その理由について「音楽は人が生きるうえで絶対に必要なものだとは思わないが、何らかの力を持っていると思います」と話しました。

■中学生と交流続ける
小澤さんの活動で印象に残るのは、音楽を通じた人々との交流を大切にしてきたことです。そのことが分かる場所が、長野県山ノ内町にあります。

山ノ内町では毎年夏に、「室内楽アカデミー」のメンバーなどが、地元の中学校でコンサートを続けてきました。中学生たちはお礼に合唱を披露し、小澤さんの指揮で校歌を歌うこともあったということです。
学校によりますと、コンサートが始まったのは1986年。「中学生に生のオーケストラに親しんでもらいたい」と小澤さんから声をかけてきたそうです。
30回目となった2015年には校内に「OZAWA ROOM」が開設されました。写真や色紙など、小澤さんとの交流を示す品々が展示され、生徒は自由に見ることができます。
コンサートは小澤さんが体調を崩して来られない年も行われ、小澤さんもメッセージカードを贈るなど、交流を続けてきました。

例えば2019年のメッセージカードには「今回行けなくて本当にごめんなさい とても残念です またかならず皆さんに会いに行きます」と書かれています。

■「スピリット引き継ぐ」「想い忘れず」

ゆかりの地では、今後小澤さんの思いをどのように受け継いでいくかが問われることになります。
セイジ・オザワ 松本フェスティバルの実行委員会は、「総監督のスピリットを引き継ぎ、フェスティバルを未来永劫続けていく所存です」とコメント。
水戸芸術館は「「音楽、演劇、美術を身近なものに」という小澤館長の想いを忘れずに、多くの皆さんに楽しんでいただけるような事業を開催してまいります」とコメントしています。
山ノ内町のコンサートは、小学校と合同で行う形にしていく予定だということです。

小澤さんは指揮者として世界的に活躍する一方で、「音楽・芸術を身近なものに」という思いをみずからの手で実践し、そのすばらしさを分け隔てなく伝えてきました。
小澤さんゆかりの活動がその遺志を「原点」として持ち続け、さらなる充実を目指すことで、各地の音楽文化の発展につながってほしいと思います。