<NHKアカデミア 第10回 <生物学者 福岡伸一>①

NHK
2023年1月24日 午後2:20 公開

皆さん、こんにちは、生物学者の福岡伸一と申します。今日は皆さんとお話しできて大変光栄に存じます。今日は、ずばり「生命とは何か?」ということについて考えていきたいと思います。

ここでちょっと皆さんに見ていただきたいものがあります。私の原点とも言えるものでして、私に非常に大きな影響を与えてくれたものなんです。金属製の“靴べら”のように見えますけれども、いまから350年ぐらい前にオランダで手作りされた「顕微鏡」なんです。

いまの顕微鏡とは似ても似つかない形をしていますけれども、非常に高度な技術で磨き抜かれたレンズがはめ込まれておりまして、サンプルをこの針先にのせて近めで見ますと、300倍くらいの倍率でミクロの世界が見えたというものなんです。

この顕微鏡を作った人はアマチュアの好奇心に満ちたおじさんで、アントニ・レーウェンフックさんという人でした。何かを見たい。知りたい。あるいは一つのことがとても好き。これが科学の原動力になっているわけですね。皆さんも何か一つ好きなことがあって、その好きなことをずっとずっと好きでい続けることができれば、すごい発見ができるはずなんです。

今日は、私のキーワードとして「動的平衡(どうてきへいこう)」ということについてお話ししたいと思います。ちょっと難しく聞こえる四文字熟語ですけれども、生命の見方、生きるということがどういうことかというのを、この動的平衡の視点から語ってみたいと思います。

「動的平衡」というのは、古くて新しい考え方で「動的(Dynamic)」つまりいつも動いていながら「平衡(Equilibrium)」。この平衡はパラレルという意味ではなくて、バランスを取っているという意味の平衡ですけれども、動的平衡は絶えず動きながら絶えずバランスを取り直している、そういう状態を指す言葉です。これが、生きていることのいちばん中心にあるというふうに私は考えています。この動的平衡という視点から見ることは、私たちが生きていることあるいは自然、健康問題や環境問題、そういったことにも発展できるコンセプトだというふうに私は思っております。

<福岡ハカセができるまで>

ではまず私の出発点になった私自身の少年時代の体験からお話ししてみたいと思います。少年時代の私は、虫が大好きな“昆虫少年”でした。当時はまだ“オタク”という言葉はありませんでしたけれども、“虫オタク”で、チョウの卵とか幼虫とか蛹(さなぎ)を捕ってきて、それを一生懸命育てて、チョウになるのを待っていたんです。いつも虫ばかりを追いかけて、どちらかというと内向的な少年だったんです。そんな少年を見て、両親が心配したのか、ある日こんなものを買ってくれました。

「顕微鏡」です。友達がいない少年に、どうして両親が顕微鏡を買ってくれたかと言いますと、「顕微鏡を使って友達を呼んできて、もっとコミュニケーションしなさい。顕微鏡を材料にして自慢したり、いろんなものをみんなで見たりして、もっと友達を増やしなさい」。そういう意味だったと思うんですね。ところが、この顕微鏡でチョウとか虫を見ると、ものすごく微小な世界が見えてきて、チョウの羽は絵の具で色が塗っているのと違って、1枚1枚ミクロなモザイクタイルみたいなものが敷き詰められてできているんです。私はその顕微鏡のレンズの底に「広大なミクロコスモスが広がっている」というのに気がついて、両親の期待とは裏腹にますます友達が要らない孤独な少年になって、レンズの中に吸い込まれてしまっていたんです。

“オタクの心”というのはどういうことかと言うと、すてきなもの、すばらしいもの、好きなことがあると、その源流をたどりたくなってしまう。そういうのが“オタクの心”なんですね。いつ・どこの・誰が・どのようにして、この「顕微鏡」というものを見つけたのか。作ったのか。私はその源流をたどりたくなりました。

その源流が、先ほどお見せしたレーウェンフックという人が作った顕微鏡です。いまから350年も前、日本の歴史でいうと江戸時代が幕を開けて間もないころに、デルフトというオランダの小さな町で生まれたアントニ・レーウェンフックという人が手作りで作ったのが、先ほどの顕微鏡なんです。

このレーウェンフックさんというのは非常に面白い人で、学歴もないし、町の普通の毛織物商人の息子として生まれて、多分、毛織物商を継いでいたと思うんです。ただとても好奇心が旺盛で、いろんなことが知りたかった物好き、アマチュアの科学者だったんです。そして手作りで金属を合わせて、その間にガラス・・・これも彼らが手作りしたはずですけれども、ガラスから非常にきれいな結晶を取り出して、それを磨いてレンズにして金属板にはめて近めで観察するという彼独自の顕微鏡を作ったわけですね。

この顕微鏡は、いまの顕微鏡とほぼ同じぐらいの倍率、300倍くらいの倍率を実現していました。300倍の倍率があると、目に見えないものが次々と見えてきます。例えばレーウェンフックは何を見つけたかというと、デルフトの町を流れている運河の水をくんできて、顕微鏡でのぞいてみました。すると、肉眼では透明にしか見えない水の中に、無数の色とりどりの、形も違う、小さな小さな「生命体」が泳いだり、遊んだりしていたわけですね。つまり目に見えないこの世界に、生命体が満ちあふれているということを彼は見て、それを次々とスケッチして記録に残していきました。いまの言葉で言うと「微生物」を発見したわけですね。人類史上初めてミクロの世界の微生物を発見しました。

それから彼は、我々の体が“小部屋”からできているということ、これは「細胞」の発見ということになります。

さらにはオタマジャクシとか魚の透明なヒレのようなものを顕微鏡で拡大して、そこに毛細血管が流れていて、赤いツブツブや白いツブツブが絶えず流れていることに気がついたんですね。これは「赤血球」「白血球」の発見ということです。

さらには、彼はさまざまな動物の「精子」を発見しました。そしてこれが生命の“種”になっているということまで彼は見つけた。生物学史上非常に重大な発見を次々と成したんです。

しかもアマチュアの普通の町のおじさんがこういう発見を成したということで、レーウェンフックはたちまち、私にとって“ヒーロー”になってしまって「自分もこんなふうになりたい。何か新しいことを発見する人になりたい」「生物学を勉強して研究者になりたい」と思ったのが、小学校5年生ぐらいのことでした。

私は生命というのが、一体どうしてこんなに精妙にできているんだろう。「生命とは何か」ということを考えたわけなんです。この生命とは何かという問いは少年の素朴な問いであると同時に、科学の問いでもあるし、哲学の問いでもあるし、文学の問いでもあるし、芸術の問いでもあるわけですね。人間にとって本質的な根源的な問いでもあるわけなんです。

<生命は“流れ”という発見>

虫が大好きな昆虫少年が、そのまま昆虫学者になりたいと思って大学に入ったんですけれども、大学に入ってみるとちょうど世界中で「分子生物学」というミクロな世界を究明する科学が幕を開けた時代で、「もう虫を追いかけている時代じゃないよ」ということになって、細胞の中のミクロな部品、遺伝子であるとか、タンパク質であるとか、そういう世界に入って生命を統一的に理解する。そういう時代が幕を開けたときでした。

私も1も2もなく、その熱気の中にほだされて、ミクロな世界「分子生物学」の世界に入っていきました。私が大学に入ったのは1980年前後のことでして、生命を機械としてみなす「機械論」というのが分子生物学の非常に大きなコンセプトになっていました。ですから、われわれ分子生物学者が細胞を見ると、コンピューターの中の基板のようにミクロの部品が並んでいる。そういうふうに見えるわけですね。

理科系の研究者というのは一人前になるのにすごく時間がかかりまして、まず理系の学部に4年行かなければいけません。それから大学院というのに進学して、大学院は大体5年ぐらいかかります。そこでようやく博士号というのを取るんですけれども、博士号というのは一種の“運転免許証”みたいなもので、それを取るとようやく路上に出られるわけなんです。でも、まだ一人前の研究者になれないので「ポスドク(博士研究員)」という立場で研究修業をしなければなりません。

当時、日本ではポスドクをする制度がほとんどなかったので、私は世界中の大学に「ポスドク修業をさせてください」という手紙を書きました。ポスドクというのはポストドクトラルフェローの略で、博士号を取ったあとの新米研究者をトレーニングしてくれる、そういう場所なんです。私はたくさん手紙を書いて、ほとんどの手紙が却下されてしまったんですけれども、一つだけ「来てもいいよ」と言ってくれたところがありました。ニューヨークにあるロックフェラー大学というところです。私はニューヨークで勉強できるということで、喜び勇んで行ったわけですね。 1980年代の終わりごろのことでした。

ところがポスドクというのは、言ってみれば“研究のよう兵”というか、ボスのもとでボロ雑巾のようになって働かないといけないわけですね。とにかく研究の大きなプロジェクトに組み込まれて、その“兵隊”となって朝から晩まで働かないといけないわけです。いまの言葉で言うと、“ブラック企業”に入ったようなものなんですね。もちろん給料はもらえるんですけれども最低賃金ぎりぎりで、ニューヨークみたいなところで生活すると、ぼろアパートに住んでいたんですけれども、給料のほとんどは家賃になってしまって、それからデータをとにかく出さなきゃいけないという精神的なプレッシャーもあるし、英語がちゃんと話せないというようなストレスもあって、精神的な余裕も経済的な余裕もないような状況で、一生懸命研究にまい進していたわけです。

いまにして思うと、それはある意味で“人生最良の時間”でした。つまり自分の好きなことを、一切ほかの雑用を考えることなく、研究だけをやっていればいい。そういう時間というのは、その前にもそのあとにも得ることができなかったので、とても苦しい時間を過ごしましたけれども、いまから考えるとある意味で幸福な時代だったわけなんです。

私は分子生物学者として研究修行を積んでようやく一人前の研究者となって、自分の研究をする立場になっていきました。私はそんなに大発見を成したわけではないんですけれども、小発見をいくつかいたしました。その時代の小発見というのは何かと言うと「新しい遺伝子を見つけてくる」というのが発見だったんですね。私が見つけた遺伝子は「GP2」と名付けた遺伝子で、グリコプロテイン2型というものの略なんです。GP2というタンパク質は、細胞の表面にアンテナみたいに生えていて外界とやり取りをしている。そういうパーツ、分子、部品だということが分かりました。

この「GP2が一体何をしているか」。細胞の中の機能を非常に明確に言い当てるというのが、分子生物学にとって次の目標になるわけですね。そこで私は機械論的な立場に立って、このGP2の役割を調べるという研究に乗り出したわけです。

そのときに使ったのが「GP2遺伝子ノックアウトマウス」というものでした。ノックアウトマウスというのはどういうものかと言いますと、細胞の中に「細胞核」というものがあります。その細胞核の中には、細い糸が折りたたまれてしまわれています。それは「DNA」というものですね。GP2遺伝子ノックアウトマウスというのは、全身の細胞からGP2の遺伝子が消去されてしまっているマウスになります。消去されているということを「ノックアウト」と呼んでいるわけなんですけれども、このGP2遺伝子ノックアウトマウスは、GP2という大事な部品を欠損したマウスになるわけです。機械なので、一つ部品がないということは当然何か故障が起きるはずなんです。携帯電話でも、コンピューターでも、ピンセットで何か部品を一つ引き抜いて捨てたら当然壊れますよね。その壊れ方が大事なわけです。進化の途中でずっと保存されてきた遺伝子なので、それは何か重要な役割をしているから保存されているわけです。そんな大事な遺伝子をなくしてしまったマウスは当然壊れるわけですね。その壊れ方を調べることによって「GP2が一体何をしているか」というのを正確に言い当てる、これがノックアウトマウスという実験なわけです。

「ノックアウトマウスを作る」というのは実は非常に大変な作業でして、およそ3年の月日がかかりました。寝食を忘れて1段階1段階、このノックアウトマウスを作るための遺伝子操作を行ったわけですね。それから研究費がたくさんかかりました。こんな小さなマウス1匹を作るのに、このマウスの背中にはざっとポルシェの新車3台分ぐらいの研究費がかかっています。私はそれを東奔西走して集めてきて、何とかこのマウスを作り上げて「一体このマウスにどんな異常が起こるのか」というのを、固唾を飲んで見守っていたわけです。

マウスは生まれてきました。そして成長して元気に飼育箱の中を走り回っていたわけです。どこにも異常が見当たらないんです。そんなはずはない。一見正常に見えるけれども、どこかに異常が潜んでいるに違いない。だって、GP2が無いから。ですので、このGP2遺伝子ノックアウトマウスはどこかに異常が潜んでいるに違いないということで、いろんな測定や診断や検査をしてみました。ところが、どの値も健康の範囲内に入っていたわけですね。細胞の様子を顕微鏡で調べてみても、姿形も正常です。マウスの寿命は2年ぐらいしかないんですけれども、この2年間をずっと観察してみました。マウスの人生後半になっても、異常は現われませんでした。寿命が短くなっていることもありませんでした。それどころかGP2遺伝子ノックアウトマウスはGP2遺伝子ノックアウトマウスと正常に交尾をして、子孫をどんどん作っていきました。多大な研究費と時間をかけてノックアウトマウスを作ったのに、全く異常のデータが出てこない、結果が出てこないわけですね。これは実験上の大変な挫折というか落胆なわけです。私は非常に悩んで途方に暮れて、一体どういうふうに考えたらいいんだろうということを悩み続けたわけなんです。

そんなときに、私のある種の“転機”というか“パラダイムシフト”みたいなことが起きてきたわけです。それは「生命は機械ではない。生命は“流れ”だ」と言った人がいたんですね。これは哲学者の言葉というか、詩人の言葉のように聞こえますけれども、これを言ったのは、いまから100年ぐらい前に研究をしていたルドルフ・シェーンハイマーという研究者でした。

このルドルフ・シェーンハイマーさんというのは、いまではすっかり忘れ去られてしまった科学者なんですね。教科書に出てきませんし、ノーベル賞を取ったわけでもない。彼の業績というか仕事も図書館の隅にほこりをかぶって、誰にも顧みられない人になってしまっているわけなんですけれども、私はこのシェーンハイマーの仕事にもう一度光を当てて、彼を再評価すべきだと思っています。そして彼が行った研究から、機械論的に見る生命観に傾き過ぎた現在の生命の見方というのを、もう一度転換して新しい見方で生命を見てみる。そうすると生命の見方が変わって見えるし、なぜGP2ノックアウトマウスが、GP2がなくてもないなりに生命としてやっていけるのか。一つ部品がなくても何とかそれを乗り越えて、新しい状態を作っていける。そこに生命の本質がある。そう考えられるのではないかというふうに生命を捉え直すきっかけをシェーンハイマーは与えてくれたわけなんです。

私たち動物は、ネズミだろうが、人間だろうが、鳥だろうが、あらゆる動物が毎日食べ物を食べ続けなければいけないわけですね。この「食べ物を食べ続けなければいけないというのは、生命にとって一体どんな意味があるのか」というのが、シェーンハイマーの問いだったわけです。

シェーンハイマーが生きた100年ぐらい前の20世紀初頭の時代は、既に生物学は機械論的な考えが主流になっていて、あらゆる生命現象は機械のアナロジーとして捉え直せるというふうにみんな思っていました。つまり食べ物を食べるというのも、自動車とガソリンの関係に置き換えられると、みんなが思っていたわけですね。

生物もエネルギーを必要とするわけです。動くためには運動エネルギーが要るし、体温を維持するためにも熱エネルギーが要る。それが食べ物という燃料なわけですね。だから、食べ物を体の中に入れると、ガソリンみたいに爆発的には燃えませんけれども、ゆっくり「燃焼」されるわけです。燃焼っていうのは「酸化」されるということですね。酸素が結びつくと、そこから熱エネルギーが出る。その熱エネルギーは体温になったり、運動のエネルギーになったり、代謝のエネルギーになって使われる。使われると消えてしまいますので、燃えかすは「二酸化炭素」や「水」になって体から排出されて、また新たなエネルギーが必要なので、また食べ物を食べる。みんな、食べるということを自動車とガソリンのアナロジーとして捉えていたわけなんです。

シェーンハイマーは食べたものが全部燃やされて、それが燃えかすになるというインプットとアウトプットがきちんと見極められないと、そういうことを言うことができないというふうに考えたわけです。だから食べ物が入ってきて、それが燃やされて出ていく。そのプロセスでINとOUTが合うかどうかを調べたいというふうに考えたわけですね。

ネズミにしろ、人間にしろ、鳥にしろ、生物は究極的には「粒子の塊」だということが、もう既に分かっていました。この粒子は原子の集まりなわけです。食べ物の方はどうかというと、食べ物も植物性のものにせよ動物性のものにせよ、他の生物の体の一部をもらってきたものが食べ物ですから、これまた粒子の集まりなわけですね。

そして彼は標識した食べ物を、ネズミに食べさせてみました。すると非常に不思議なことが起きていることが分かったんです。食べた原子はネズミの体の中に散らばっていって、尻尾の先から頭の中、骨の中、あらゆる臓器の中に散らばって、ネズミの中に溶け込んでいってしまったんですね。つまり、ガソリンと自動車の関係で言うと、ガソリンを自動車に注ぎ込んだら、ガソリンの成分が車の中に散らばっていって、タイヤの一部になったり、ガラスの一部になったり、エンジンのネジの一部になり代わってしまっている。車の中ではそんなことは起きないわけですね。ところが、生物の中では食べた食べ物の原子や分子は散らばって、ネズミの体の中のいろんなところに入り込んで、そのネズミの一部になってしまったわけなんです。

シェーンハイマーはこの実験をもちろん非常に厳密に行っていまして、まず実験前のネズミの体重を正確に測っていました。それから、このネズミはもう大人になったネズミなので成長期ではないんですけれども、食べ物を食べると「標識した粒子」が体の中に増えていきますよね。標識した粒子が増えていくと、当然その分が体重として増えるはずですけれども、この実験をずっとやっても体重は1グラムも変化しなかったんですね。

またシェーンハイマーは、このネズミを完全に閉鎖した空間に入れて、ネズミから出てくる全てのものを収集して「どこに標識が行くか」を調べていきました。ふんや尿はもちろん、体から落ちてくる毛なども集めたし、それから呼吸ですね、息の中にどれぐらい二酸化炭素が排出されるかということも全部調べて、食べた食べ物の原子がどうなるかを調べたんです。でも体重は全く変わってなかったわけです。

この結果をシェーンハンマーはどういうふうに解釈したか。ここが彼のすばらしいところだったんですけれども、体重が増えないのは「目に見えない形で、もう一つ別のプロセスが動いている」と。それは何かと言うと、「ネズミを形づくっていた分子や原子が分解されたり、燃焼されたりして、体の外へ捨てられた」ということです。つまり生物にとって食べ物を食べるというのは、ガソリンを補給するということとは全く違っていて、「自分自身の体を入れ替えている。食べ物の原子や分子と入れ替えている」。我々の体の中というのは、絶えず「分解」と「合成」がぐるぐる回っていて、その“流れ”を止めないために食べ物を食べ続けているんだ。そういう非常にダイナミックな状態であるということを、アイソトープ(同位体)を使って初めて見せてくれたのがシェーンハイマーの実験なわけです。

皆さん自分の体の中で、例えば爪が生え変わるとか、髪の毛が伸びてカットすればまた伸びるとか、お風呂に入ると皮膚が落ちるとか・・・そういう感じで自分の体が交換されているというのは実感できる部分がありますけれども、実は全身のあらゆるところがものすごい速度で入れ替わっているんです。自分の体の中でいちばん早く入れ替わっているのはどこだと思いますか?それは「消化管の細胞」なんですね。消化管の細胞は大体2~3日で全部入れ替わっています。どんどん捨てられているんですけれども、どんどん作り直されているんですね。食べ物の原子や分子から作り直されています。他の臓器も早い遅いはあっても、すごい速度で作り替えられていて、数日から数週間、数か月のうちに入れ替わってしまっています。ですから、「昨日の私」と「今日の私」は、その間に食べたものと入れ替わっているわけです。1年前の私と今日の私を比べてみると、物質レベルではほとんど全てが入れ替わっていると言っても過言ではないぐらい入れ替わっているんです。骨とか歯みたいにカチっとして見えるところも、内部は入れ替わっています。決まって交わす会話で「大変お久しぶりですね。〇〇さん全然お変わりありませんね」と言いますけれども、実はそれは生物学的には間違っているんですね。1年も会ってないと、その人は物質レベルではすっかり入れ替わっているんで「〇〇さん、お変わりありまくりですね」と言わないといけないぐらい、我々の体というのは絶えず入れ替わっているわけなんです。

シェーンハイマーはこのことを明らかにしてくれて、彼は英語で論文を書いているので、我々の体は動的な状態にある「ダイナミックステート(dynamic state)にある」というふうに書いています。

私はこの考え方をさらに発展させて、我々の体は動的な状態にある。絶えず入れ替わって絶えず作り替えられているんですが、同時に絶えず“バランス”を取り直しているわけですね。二度と同じバランスはないんですけれど、あるバランスを取り直していて、環境が変わればそれに適応したようにバランスを取り直し、何か部品が欠損すればその部品がないなりに新しい「平衡状態」を作り出すことができる。ですから動的な状態というよりも「動的な平衡」というふうに言い直した方が、より正確に生命のあり方を表現できるというふうに考えました。「生命とは『動的平衡』である」。そういう日本語を当てはめるのがいいのではないかということで、動的平衡というキーワードで生命を捉え直そうと、ここから出発し直したわけです。