こんにちは、久石譲です。僕はあまり人前で話すのが得意ではないので、今日はちゃんとできるかどうか分からないんですけれども、できる限り音楽とかいろんなものをみんなに伝えられるように頑張りますので、よろしくお願いします。
それからたくさんの人たち聞こえますか?できるだけ分かりやすいように、あまり気取らず、自然体でやっていきたいと思います。
<ベートーヴェンはロックだ!>
まずは「ベートーヴェンはロックだ!」というテーマから入りたいと思います。もちろん、「ベートーヴェンがロック」なわけないですよ。それは全然関係ないです。単純に言えば、ベートーヴェンは“リズム”に対して非常に鋭い感覚を持っていた。特に交響曲第7番、これはもう本当にリズムが中心になって作られている曲になります。そういう意味で言うと、リズムに対する独特な感性、シンコペーションとかいろいろあるんですけれど、そういうのも踏まえたリズムを、作曲の核に据えておしてきた。もちろん、5番の「運命」なんかもその傾向は十分にあります。そういうようなベートーヴェンの“姿勢”です。
長野の芸術館の音楽監督を僕がやっていたときに、ベートーヴェンの全曲演奏をすることになりました。あまりクラシックになじみでない人にどうやって伝えようかというときに、「ベートーヴェンはロックだ」と言ってしまおうということで、キャッチフレーズで作ったタイトルです。ですから、さっき言ったようにベートーヴェンがロックだとは全然思っていません。ですが同じように、ロックの基本はやっぱりリズムにあります。ベートーヴェンもリズムを中心に置いている。そういうわけで、分かりやすくキャッチーなフレーズとして、「ベートーヴェンはロックだ」と言い切っちゃいました。
<クラシック音楽とリズム>
※映像(開始点4分05秒)とあわせてご覧ください。
これはベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章です。聴いていると、めちゃくちゃリズムを強調して演奏しています。来ていた人とか、評論家の人からも、「ロックだね」と言われました。つまり、リズムを置いているという共通の意味での“ロック”です。それは、実は我々がクラシックをやっているときに、ちょっと忘れてしまうことなんですね。
それを具体的に説明しますと、ロックのバンドの人たちは、例えばベースにしてもドラムにしても、すぐそばに“転がし”、モニターとして小さなスピーカーで、離れた人の音を全部聞いて演奏しています。ですから、みんなぴったり合う。ところが、オーケストラの場合というのは、基本的に100人とか、とても大勢の人数になります。そうすると、指揮をしている僕からティンパニの奏者まで10メートル以上あります。そして、サイドの弦の後ろの人たちになると、14~15メートルとか結構遠く離れてしまいます。もうお分かりだと思いますけれど、やっぱり離れている分だけ音が届くのが遅いんですね。ここでジャストだと思っているのが、後ろの方では遅くなる。「オーケストラというものはそういうものだ」ということにしてしまって、ドイツ流の重い演奏の解釈ということで、演奏しやすいやり方をとります。
ですが、近代オーケストラ、現代オーケストラとしては、感覚で、その距離のズレを調整します。足元に転がし(モニター)を一人一人に置くわけにいきませんからね。そうすることによって、オーケストラは現代オーケストラに切り替わっていく。そういうことが必要になっていきます。ですからクラシックは、あまりリズムは得意ではなかった、正直に言うと。ところが、今はそれに脱皮していく。僕がやっているようなリズム主体の演奏というのは、特にそういうリズムに気を付けて演奏しています。
(2管編成・3管編成・・・オーケストラ編成の種類。木管楽器の数を基準に決められる)
ベートーヴェンのそれぞれのシンフォニー、あるいはブラームスでもそうなんですが、最初に演奏したときというのはあまり大きい編成じゃないんですね。通常、我々がオーケストラと言うのは、2管編成で60数人。3管編成、“3管”というのは、フルートとか木管が3本ずつ、オーボエ、クラリネット、ファゴットなんかが3本ずつある。そうすると、弦の人数もすごく増やします。いわゆる“2管”というベートーヴェン時代のもので、大体62~63人。それが20世紀に入って、“3管”というちょっと大きめな編成になって90人前後。それからストラヴィンスキーの「春の祭典」とかになると、これは“5管”という言い方をしますが、これはもう百何十人というかたちになります。編成が大きくなればなるほど、やはりちょっと距離が遠くなりますし、合いづらくなります。
先ほど聴いてもらったベートーヴェンの交響曲第7番、実はあれは室内オーケストラです。ですから、実際は50人前後、もっと少ないかな、そのぐらい小さい編成になります。普通のオーケストラがダンプカーを運転している感じ。だから急に曲がれないんですね。ところが室内オーケストラになると、スポーツカーです。ですから、すぱっとやった段階で、すっと曲がります。これが、僕が結構気に入っている理由。もちろん大きい編成もいっぱいやりますけれども、チェンバー・オーケストラ、室内オーケストラというのがすごく好きな理由が、ものすごくコンテンポラリー、今日的なリズムを作るのに最適なんですね。それで僕としては、この室内オーケストラを大切にしています。
それで大きい編成でも、例えば作曲の方でいいますと、20世紀に入ってすごくリズムを中心にした楽曲があります。
<20世紀の音楽とリズムの関係>
※映像(開始点12分00秒)とあわせてご覧ください。
聞いたとおり非常にリズミックな、20世紀初頭の方の最大の衝撃的な音楽ですね。恐らく「これは“ロック”」と思っても全然差し支えがないくらい、衝撃的なリズムです。音楽というのは、20世紀に入る前までは生の演奏ですから、コンサートホールに行かないと聴けなかった。それから、パブとかの飲み屋さんで演奏している人の音楽を聴く、辻芸人の音楽を聴く。あとは自分でピアノを弾くか、仲間で集まって譜面を演奏するぐらいです。ところが20世紀に入って、ラジオというのが放送され、それからLP、レコードというメディアができた。我々はもうそれが当然だと思っているんですが、これはまだ100年たってないんですよ。家で音楽を聴けるというのは、ごく最近なんです。そうすると、いろんな人が家で楽しむためにLPを買う。これがビジネスになってしまうわけですね。ビジネスになった瞬間、音楽を“商売”にする。パッケージされた商品を売るようになる。そのときに起きた音楽が、「ポップス」というジャンルです。ポップスというのは辞書を引いてもらえば分かりますけれど、定義が「みんなが望む音楽を提供する」です。それがポップスです。ですから、ポップス自体に哲学はないです。
ところが、ちょっと前にアメリカで、アフリカから黒人の労働者をたくさん入れました。その黒人の音楽と白人の音楽がもみ合いながらできたのが「ディキシーランドジャズ」。「ジャズ」になっていきます。これは基本的に言うとリズムがベースです。アフリカの人たちのリズム感とメロディーコードが進行していく音楽が合体することで、とても力強いシンプルな形態ができるようになりました。それができたときに、一般の大衆も含めて、当然その音楽に親しんでいきます。
ところが、クラシックはどうなったかと言うと、先ほどの「春の祭典」はいいんですが、そのあとというのは、より音楽が複雑になっていき不協和音の世界になり、リズムも明快には出さない、メロディーも失ってしまう。そういういろいろなことが起きたときに、20世紀に入り、クラシックの音楽の力というのは少しずつ失われていったわけです。
<「ミニマリスト」として クラシック音楽に挑む>
僕自身は「ミニマリスト」です。「ミニマル・ミュージック」というのは・・・ちょっとピアノを使おうかな。
※映像(開始点16分57秒)とあわせてご覧ください。
今弾いているのは、同じ音型をずらしただけです。同じ音型が1個ズレますね。
両手をぴったり合わせると、5本の指に見えますが、こうなると(合わせた手を指1本分ずらすと)6本に見えます。さらにずらすと7本になりますよね。これを繰り返して、ぐるっと回って戻って、また5本の元に戻る。そのズレを聴かせていく音楽が「ミニマル・ミュージック」です。このミニマル・ミュージックというのは、基本的にズレを聴かせていくわけですから、リズムがベースになります。最小限の音型を繰り返していく。ずれていって、戻る。あるいは、ずれていってほかに行く。そういう作曲のスタイルなんです。僕は、そのミニマル・ミュージックを、大学を出たときからずっとやっています。多くの人に、映画音楽の作曲家として知られているかもしれませんけれど、ずっとその前から、今のスタイルをとった現代音楽の作曲家としてやっていました。
<ミニマル・ミュージックとクラシック音楽>
※映像(開始点18分31秒)とあわせてご覧ください。
これも一つのパターンを、繰り返しているんですね。これはミニマル・ミュージックと言っても、いちばん初期のミニマルではなくて、いろいろ発展したミニマル・ミュージックに影響を受けた最新バージョンのかたちだと思ってください。これをやっているのは僕だけではなくて、世界中にいろんな方たちがいます。そういう世界中の人がミニマル・ミュージックから影響を受けて、それぞれ自分のスタイルでやっているうちの一つです。
先ほどベートーヴェンの交響曲第7番のところで、「ベートーヴェンをロックだ」という言い方をしました。それは「リズムを強調することで、新しい世界ができないか?」ということで始めたということです。その原点の一つというのは、僕自身がミニマリストである。そうすると、自分が作曲家として挑戦してきたものの一つで、ミニマルのベースにはリズムがあります。
日本のオーケストラも現代音楽として作品を演奏したりはしています。ですが、大抵の場合はそれはそれとして演奏して、ベートーヴェン、チャイコフスキーは、クラシックの伝統的な演奏方法に戻ってしまいます。ですが、僕は逆に作曲家がベースですから、今のようなミニマルの方法をとった作曲をベースにして、そのアプローチのままクラシックを演奏したらどうなるのかという観点で演奏します。そういう意味でも、「ベートーヴェンはロックだ!」という言い方にしたわけです。
<変わるクラシック音楽>
久石が主宰するFuture Orchestra Classicsでは、演奏者が立って演奏することで、新しい音の響きを追究している。※映像(開始点22分47秒)とあわせてご覧ください。
フューチャー・オーケストラ・クラシックというのは、今、自分が主催しているオーケストラで、日本の各オーケストラの首席奏者ばかりが集まったスーパーオーケストラなんですけれども、やっぱりチェンバー・オーケストラ、要するに室内オーケストラというのは、今、自分にとってはいちばんフィットするし、逆に世界的な傾向でもそうなっているようです。
なぜかと言うと、最近出た音楽雑誌の中で、古今東西のすごく有名な指揮者、それこそカラヤンやバーンスタイン、全部入れた中でのクラシック500プラス100だから、600曲あります。その中のベートーヴェンの7番、今日いちばん初めに聴いてもらったやつですね、あの僕のCDが一等賞になっているんです。今までそんなことはなかった。ですから、クラシックって、変わっていないようなんだけれど、やっぱり変わってきているわけです。
僕がこうした方がいいよと思ったことは、僕だけが思っているわけではなくて、世界中でそういうことにアンテナを張っている人たちはそういうふうになっていて、お客さんもそういうふうに移っている。そうすると、動いてないようなクラシックですら、変化している。だから、自分の生活のパターン・・・パレットといいますか、より色彩豊かな生活をするためには、こういうクラシックも自分の生活に入れた方が、楽しいんじゃないかと思います。
<音楽とは>
「音楽とは」というのはちょっと大げさですね。「音楽の進化」というか・・・まあ、音楽ってこういうものかなということの概要を、ちょっと説明しますね。
小学校で習います。「メロディー」「ハーモニー」「リズム」。音楽の三要素ということで教わっているはずです。ちょっと難しい言い方をすると、「時間軸」というものを考えてみてください。縦が“空間”ですね。横が“時間の流れ”ですね。この時間軸で考えますと、ハーモニーは空間(軸)の方です。なぜなら、ハーモニー自体に時間の経過が必要ないですから、これは空間です。ですが、リズムというのは、タンタカタンタカ・・・、必ず「タカ」の間に時間がたっていますから、リズムは時間(軸)の表現になります。そして、ハーモニーという空間軸とリズムという時間軸の間、そこで起こっていることを象徴するかたちでの記憶回路、それがメロディーです。ですから我々はメロディーを覚えることで、「その音楽ってこういうもんだよね」と。そこにある音楽の顔がメロディーにあたります。
メロディーはシンプルであればあった方がいいんです。他の人は違うかもしれませんが、僕の考え方です。ただ、シンプルであるということは、他の人が書いているものに似通ってしまう傾向もあるわけです。それが独特であるためにはどうするか。ほんのちょっとしたリズムの変化、ハーモニーの変化。そういうことが、シンプルなメロディーラインに微妙な陰影を与えます。実はメロディーというのはメロディーだけで成立しているのではなくて、メロディー、ハーモニー、リズム、そういうものが三位一体になってできた空間で、初めて良いということになるわけですね。
では、音楽の歴史というのはどういうふうになるのか、音楽がどうやって成立したのか。音楽とは、人間にとって何なのかという基本的な問題が絶えずあります。
以前、この番組に出られた方もおっしゃっていました。音楽というものが“コミュニケーション”として、とても原始的な生活をしている中でも出ると。僕の意見も全くそれと同じです。20人、30人の集団というものができたら、必ずそこには宗教、つまり神様がいて、みんなの気持ちを一つにするために宗教的なものが要る。そうすると、儀礼が要る。儀礼のための音楽。それと一人一人のコミュニケーションとして一緒にリズムをとる、一緒に歌う。そういうところから音楽が多分スタートしたんだろうと思います。言葉が生まれる、あるいは生まれる前から、音楽の原型はあったと思います。西洋音楽ではほぼ宗教と結びついて、グレゴリオ聖歌(ローマ・カトリック教会で典礼に用いられる伝統的な単旋律による聖歌)、神様に対する祈りを捧げる歌ができます。単音のメロディーの世界になります。単音のメロディーをやっていると、だんだんそれでは飽き足らなくなって、誰かがそれに対して合いの手を入れようというような話になってくる。そうすると、2つのメロディーが出てきたりとかする。でも、何となく伝承されていくかたちでの継続でしかなかった。
15世紀になった段階で、線のようなものが書いてあって、「こういうふうに歌うんだよな」という感じで、伝統音楽と同じように耳で覚えて、同じように歌っていました。高低を、今度は音符のような形で、ぽんぽんぽんと、棒線が2本3本ひかれて、「低い、中くらい、高い音みたいな感じで、音って進行するよね」というようなことを書いたものがだんだん出てきます。それで、「五線」というかたちの線が現われて、そこに音符を書いていって、音符の間が離れていればいっぱい伸ばす。音符の間が詰まってくると、タタタタタ、それに高い、低いの点を打つと、タタタタタに高低をつけて表現できるようになる。だんだんそれが、我々が使っている五線譜に近いかたちになります。そこで何が起きるかと言うと、ほとんど多くのケースは「輪唱」ですね。同じ音を繰り返す。これは重要だから覚えておいてください。今、僕がやっているミニマルの原点と全部一緒です。出だしはみんなそうやって同じことを繰り返していました。誰かが何かを言った。それを繰り返す。それが微妙に違う。譜面で書いてみる。そうすると「もしかしたら、その前にもう少し“ド”の音があった方が良くないか?」というような吟味をしてくるようになります。だんだん構成してくるんですね。
構成してくると、何が起こるか。基本的に言うと、“作曲家”がそこで生まれます。つまり、構成する人間が出てくるわけです。そして、それを見てみんなが演奏する。読めるように勉強して、歌うようになる。そうすると「もう少し他の楽器、今、町中で弾いているあの太鼓も入れちゃおうよ」みたいなかたちで、太鼓も入ります。それを全部また音符で書いて、「ここは休んで、ここは入れよう」というようなことをやっていくことで、譜面ができていく。つまり、作曲家の誕生になるわけですね。
※映像(開始点45分05秒)とあわせてご覧ください。
バロック時代ぐらいまでというのは、基本的には「ポリフォニー」という言い方をします。ポリフォニーというのは、いわゆる線の音楽です。
(ピアノを弾く)
具体的に言うと例えばこういう感じで、横の音楽で、決して和音ではない。全部横のラインで動く音楽。これがポリフォニーです。
バロック時代に実はもうオペラができています。オペラになると「レチタティーヴォ(歌唱様式の一種。話すような独唱のこと)」といって、ストーリーを伝えなくてはならない時がある。そこで何が起こるかというと、「私は〇〇で、あなたが好きよ~♪」みたいなことを言うわけですね。この辺りからだんだんと「和音(2つ以上の音が同時に響き合う状態の音。コードともいう)」が出てくるわけです。それ以降、20世紀、現代に至るまでと言ってもいいでしょう。和音が音楽の大半を占めるようになります。
※映像(開始点46分10秒)とあわせてご覧ください。
例えば単純言うと、
今、下の“ド”の音を弾いているんですけれど、上のドの音の鍵盤を押さえておくと・・・音が伸びていますよね?
次に“ソ”の音です。ソの音、音が出ないようにして鍵盤を押さえておいて、ドの音を弾きます。すると、「ソ」って、鳴っているでしょう?
実は、下のドの音を聞いている段階で、第1倍音、第2倍音、第3、第4、第5、第6、こういう音を同時に聞いているわけです。人類はこれを長い間かけて発見して、「三和音」というのを作ります。
<ハーモニーと感情表現>
この三和音ですごく重要なのは「ドミソ」。普通のドミソいきます。
(ピアノ弾く)
これは明るいですか、暗いですか。どっち?
次にこの和音は?暗いよね。
この和音は、ドとソは同じ音なんです。ミの音が、ナチュラルか、フラットか。これだけの差です。でも、これを聞く人は、「明るい」「暗い」という感情を抱きます。つまりこの差で、音楽が人の感情を表現するようになります。これが古典派以降の音楽の基本です。
今度は例えば、こういう弾き方をすると、「あっ、穏やかな何かだな」というのが伝わりますよね。でも、逆にこんな弾き方をすると、「何かちょっと複雑になる」。これがポリフォニー以降の「機能和声」、ハーモニーの時代に入るわけです。
ところがみんな同じことをやっているから、もう飽和状態というか、「何をやっても変わんねぇな」みたいなことになります。それで、だんだん不協和音を使うようになっていく。そうすると、自分独自の音を出そうとしすぎて、結果的に不協和音、20世紀のいわゆる「十二音技法」だとか、そういうふうになってきます。ハーモニーの流れやなんかで、不協和音の現代音楽のようになりました。お客さんも離れた。リズムも失った。
困った時にポップスというのが流れて、さっき言ったジャズや何かをベースにしたリズムで世界を設計した。ところが、そのあとで僕がやっているミニマル・ミュージック、さっき話した“ズレ”なんですけれども、ハーモニーやリズムを取り戻した。これは想像以上に世界の作曲家に影響を与えました。自分もその中の一人です。これが今、世界のあるいは現在置かれている音楽と人との関わりの状態だということです。