<アカデミア Q&A>
そうすけさん(東京)「山極先生の『野生のゴリラと再会する』という本が大好きなんですけれど、ジャングルでゴリラを追ったときに大変だったのはどのようなところですか」
山極さん「それはね、やっぱりなかなか仲良くなってくれないわけですよ。ゴリラって、恐らく何百万年間も、人間に追い詰められてきた。だからゴリラにとって人間というのは、とても怖い敵なんですよ。なるべく近づかれたくないわけで、最初にゴリラに会ったときは、雲をかすみと逃げてしまう。姿すら見えない。『わっ』て、声を出して逃げてしまうわけですよね。徐々に距離を詰めて、私たち人間がゴリラの敵ではないということを分かってもらって、やっと近づくことができるようになる。でも近づきすぎると向こうはイライラして、『もう向こうへ行け』っていうふうに、こちらを攻撃してくるわけだ。そのときにドラミングなんてしないですよ。飛びかかってきますよ。それで僕は足をかまれて頭をかまれて大けがをしたんだけど…」
山極さん「でも、けがをしたあとって面白いんですよ。なんとなく向こうも後ろめたいような感じがしてね。それまで以上に仲良くなれたりするんだよね。彼らの立場に立って『こうしたら彼らは恐怖を感じるんだな。嫌がるんだな』と思いながら、自分の行動を改めて、彼らの行動に合わせていかなくてはならない。その過程はとても重要で、そういうふうに相手に合わすことによって、その動物をよく知ることになるんですよね。このフルーツを食べるときに種をまいていたのは、こういう理由によるみたいなことを、直接観察すると分かるようになる。だからすごく楽しいんですよ。時間をかけて、その動物とつきあうということはとても重要なことです」
虫さん(東京)「人は自然をコントロールする相手だとみて自然と少し距離を置いていると思うんですが、ゴリラは自然の中で暮らしている。ゴリラから見た世界と人間から見た世界で何か違いがあるのではないかと思うんですけれど、その違いは何でしょうか」
山極さん「今日の話の中にも出てきたと思うけど、人間は『言葉』を使うんですね。自分が見た世界を言葉によって表現する。でもゴリラは言葉を持っていないから、今自分が見ている世界しか共有できない。さらに極端に言うと、人間は言葉によって現実ではない世界をも作ってしまう。これを『虚構』と言いますけどね。 例えば、向こうに雪が積もった山々が見えているとしますね。雪山というイメージには、さまざまなものが本当はあるはずで、低い山もあれば、高い山もあれば、岩山もあれば、雪が深く積もった山もあれば…雪山と言ったときに自分が見ている世界とは違うものも想像させるような言葉を作ってしまうわけですね。ゴリラの世界では、ある個体が見たものというのは、他の個体も一緒に見てそれを確認し合うしかないわけです。現実にあるものしか彼らは共有できない。だけど人間は言葉によって、現実にはないものを作り出して、それを共有するようになってしまった。そこに誤解も大げさな解釈も生まれるし、そこにはないものを想像することさえできるようになった。自然とつきあうのは、人間は常に言葉を介してつきあうので、ひょっとしたら自然とまともにつきあっていないかもしれない。それがゴリラとは違うところだと思います。例えば、言葉で通じ合わせることをやめて、友達と一緒に夕焼けを見るということをしてみるとよく分かりますよ、そのことが。感動していても、それを表現する言葉が見つからないときってあるじゃないですか。それがゴリラと僕が経験したことなんですよね。言葉を持っていないから言葉でわざわざ言い表さなくてもいい。だけど、相手が感じていることが自分にも分かるという経験をするんですよね。そうすると相手にすごく近づけるんです。言葉があると、言葉を介在させてお互いつきあってしまうから、全て自分の行動や相手の気持ちを言い訳にしてしまうんですよね。言葉ってそういうものだと思うんです。気持ちというのは、言葉では表現できないというふうに思った方がいいと思います」
かのさん(京都)「今、大学1年生で、学部でちょうど進路を決定する時期に入っているんですが、いろいろと迷っています。研究の道にも少し興味があるんですが、自分の好きなことだけを研究しても将来性がなかなかつかめないというか、将来、自分が何になっているのかが分からなくて、不安になることがあります。山極先生は、大学生のときに将来どうなってしまうのだろうという不安をどういうふうに自分の中で整理して、今まで研究に向かい続けることができたのかを知りたいです」
山極さん「それは不安はいっぱいあったよ。そもそも小学生時代というのは探検家に憧れていたんですよ。でもそこからだんだん中学、高校となるに従って、人間とか社会とかに関心を持ち始めて、探検熱が冷めた。だけど、大学に入って人間とは違うサルやチンパンジーやゴリラを研究することが、人間を知ることになるんだということを知って、探検熱と結びついたんです。アフリカに行けるとかね。これをやってみようと思い出して…でも、なかなかうまくいかなかったですよ。特にゴリラって、別に先輩がやっていたわけではないから、自分一人でフィールドを切り開かなくてはならなかったから、ゴリラに会うにも時間がかかったし…だから僕なんか博士の学位を取ったのは35歳ですよ。普通だったら28歳ぐらいで取れるんだけど、なかなか論文を書けるような材料が見つからなかったから。でも手っとり早い資料で論文を書くのではなくて、自分の好奇心を満たせるまでやろうと思ってやりました。お金が得られる職業に就くには、なかなか時間がかかりました。でも、好きなことを見つけるということが重要であって、そのために回り道もずいぶんしました。でも、その回り道をしたことが、結局は好きなことを追究することにつながっていくということなんですよね。だから自分のやろうとしたこととはちょっと違うことをやったとしても、自分が好きだと思うことを忘れてはいけない。それが長い間かけて自分の好きなことを突き止めるには重要だと思いました」
山極さん「何でもやってみたらいいんですよ。僕は学生時代に屋久島に行ってね、そういう研究する施設がなかったから、学生たちで募金をして小屋を建てて、その小屋に住んで自炊をしたりしながら、本当に貧乏だったんだけど、そこで学生たちと一緒に暮らしました。当時の映像が残っているそうで…」
インタビュアー「まあ小屋ですね、コレ?」
山極「でも一応、五右衛門風呂もあるし、便所もあるし。雨戸を閉めれば、台風も防げるし、しっかりしているんですよ。しかも風に強いんです。これは」
インタビュアー「外から見ると隙間風が入りそうに、明かりがいっぱい漏れていましたけど」
山極「それがいいところなんです。夏は涼しくていいですよ」
山極さん「ははは。こうやって暮らしていました。そのとき何の収入もなかったからね。行ったり来たりする旅費がもったいなくて、屋久島にずっと住み込んで暮らしていました。でもね、全然楽しかったよ。毎日毎日が新しいことばかりだったからね。誰にも経験できないことを、日々体験しているんだっていう思いが、とてもうれしかった。それを忘れてはいけないと思います。それからいつも背中に翼を生やしていなくてはいけないということです。実績を上げられるような研究や職業を身につけて、そこに安住してしまってはいけない。『いつでも飛び出せるような翼を生やしておかなくてはいけない』ということなんですね」
かまいるかさん(愛知)「私は大学院の修士1年生で、イルカの生態の研究をしています。今悩んでいることは、今後自分が研究を続けていく上で、いいテーマに出会えるのか見つけられるのかということです。そこで山極先生が考えるいい研究というのはどのようなものなのかというのを教えていただきたいです」
山極さん「いい研究というのは、いい問いから始まるの。僕は学生と一緒に森を歩くときに『常に問いを頭に浮かべてください』というふうに要求しているんですね。観察するんじゃないんですよ。観察から得られた疑問というものを拡大して、それを自分に問う。そして、その問いに対してどういう答えが導き出せるかということを考えてみる。その修行がフィールドなんですね。フィールドというのは、あらかじめその仮説があって、その仮説を検証して答えを見つけに行くところではないんです。問いを見つけるために行くところなんです。イルカということに興味があるんだとしたら、イルカを見ながらどういう問いが頭に浮かぶのか。自分は人間なんだから、発する問いというのは、自分という人間とイルカの間に横たわっているんです。あるいはイルカを知るためには、イルカに似たイルカとは違う哺乳類を見る必要があるかもしれない。イルカの外に1回出てみることも必要かもしれない。そうやって面白い問いを見つけること。まずい問いを見つけたら答えられません。でも、たやすく答えが見つかってしまうような問いだと面白くない。だから、結構時間をかけて答えが見つかるような問いを、いくつか見つけないといけないんです。それが研究者になるいちばん重要なことだと思います」
くさめさん(大坂)「私は共働きで保育園児が二人いまして、子育てが毎日大変なんですけれども、家族に大人がもっと多いといいなと思うことが多くて…なぜ、一夫多妻制だったり、そういった家族のスタイルが減ってしまっているのかというのと、子育てに適した家族というのはどんな形が理想だと思われますか」
山極さん「一夫多妻というのは、いい面もあれば悪い面もあるんだよね。僕がアフリカでつきあった社会というのは、一夫多妻のところも多かったです。そこで起こっている共通性というのは、女の人たちには土地を耕す権利がないんですね。夫が土地を持っているので、夫を共有することによって、複数の女性たちが協力して畑を耕すことができる。そういう土地では、一夫多妻が多いです。でも男の側からすると、とても大変なんですよ。複数の妻たちと平等につきあわないといけないでしょ。しかも、やっぱり遺産を巡ってとか、子供の教育を巡ってトラブルが絶えないんですよね。だから狩猟採集民の人たちというのは、実は一夫一妻制なんです。基本的に。一夫多妻じゃありません。所有物あるいは土地というようなものの権利を持たない社会というのは、やっぱり男と女が一対一で単位を作って、子供を育てるというのが基本のような気がします。だけど、あなたが苦労しているように、そういう社会では子育てはみんなで協力してやります。自分の子どもだからといって特別にかわいがったりしません。みんなが自分たちの子どもだというので、同じようにつきあい、同じように育てます。だからもともと日本でも、子どもは共同体が育てるということだったと思いますね。それがだんだん人と人とが助け合うという社会ではなくなって、人が制度に頼るようになった。お金に頼るようになった。助け合うということを忘れ始めたんですよ。いちばんそこで被害を被ったのが子どもたち。子供たちには、頼れる大人は近くにいっぱいいたはずなんですよ。ところがいまやマンションがいい例だけれども、隣に住んでいる人の名前も性質も全然分からないという社会で暮らしているわけでしょう。家族を超えて、人々が子どもたちを育てるために協力し合うということができにくくなってしまっているのが現代です。だからおっしゃるように、大人たちが家族という単位を超えて協力し合えるような社会を作って、共同で子育てをするというような方向を作らなければならないと思います。子どもは、自分たちが死んだあとも社会を作る未来の財産ですから。それをみんなの財産と考えないと。今は、自分の時間は自分で使おうという、自己実現、自己責任ということばかりが強調されるんですよ。でも、子どもと一緒にいる時間というのは、共有された、自分だけの時間ではない楽しさにあふれているはずなんです。それをもう一度見直していかなければならないと思いますね」
山極さん「東京のスーサさん。どうぞ」
susaさん(東京)「今日は、スーザと一緒に先生のお話を聞かせていただきました」
山極さん「おー。スーザですか!」
susaさん「アフリカ好きの夫婦でございます。2001年から5回、ルワンダに行かせていただきまして、それらの山に実際に登ってまいりました」
山極さん「そう。素晴らしい」
susaさん「先生は、社会人類学者とかいろんなお役職を踏まえながらやっていらっしゃると思うんですけれど、今後先生はどのようなお仕事、どのような研究をされていきたいのか、お聞きしたいと思いまして」
山極さん「やっぱりフィールドにこだわりたいことはこだわりたいんだけれども、歳をとってきましたからね…フィールドに長い間、没入することは難しくなってきた。だからゴリラとは違う動物、生物じゃなくてもいいんですが、いろんな研究者と対話を交わしながら、地球がどうできているのか、どうあるべきなのか、そういった壮大なことを議論していきたいなと思っています。そのためにはやっぱり自分がしっかり論拠を持たなくてはいけないので、これまでの自分の研究をもう一度見つめ直しながら、人間の祖先とは何か、その議論をするもとになったゴリラの行動とは何か。手元にいっぱいビデオも残っているし、フィールドノートもあるので、それをもう一度整理したいと思っています。
自然界ってすごく不思議でできているんですよ。ウイルスや細菌といった目に見えないものとも、意識せずにつきあっているわけでしょ。例えば腸の中に10兆個を超える細菌類がいて、重さは1.5kg。人間の遺伝子の100倍もあるような遺伝子を使って、人間の身体を制御してくれているわけで…それは人間の身体がウイルスや細菌との共生体になっているからということもあるんだけれども、我々が自分の身体や心を意識せずにさまざまな生命とつきあっているわけですよね。ゴリラは本当に指先のちょこっとしか乗らないタマムシと遊ぶことができるんです。そういう繊細な心を持っているからこそ、生物が多様に暮らしているアフリカのジャングルで気持ちよく生きることができているわけですよね。それを知りたい。それが僕の夢でもあるんだけれど、それは人間にも跳ね返ってくると思うんですね。我々はその身体の中にさまざまな生命の営みを呼び込んでいて、他の生命の流れの中に乗っていくことによって、幸福な気分を味わっているわけだよね。それはなかなか言葉にできない他の生命との共生体なんだと思うんですけれど、それをだんだん我々は押しやって人間だけが生きる空間を作りつつある。でも、それは大事なことを置き残してしまう結果になっているのではないかと思うんですよね。
今、夏でもほとんど虫がいませんよね。虫の声すら聞こえない。蚊帳もつらなくていい。密閉した空間で我々は暮らしているんだけど、でもそれで人間の大事なところはおかしくなっていないのかという気がするんですよ。その辺りのことは、まだ分かっていないですよね。要するに、全く生きざまの違う生命同士がなぜ同じ場所で共存していけるのか、その実態を知りたい。
いい例が、植物は何百年も何千年も同じ個体が生き延びることができる。でも虫は、植物のために受粉したり、蜜を吸ったり、いろんなことをやっているわけでしょう。お互いが侵害しあわないように共進化ができているわけだよね。いったいどういうメカニズムで、そんなに寿命の違う生命同士がコミュニケーションがとれたのか。これもまだ解明されていないところなんですよね。だから今までは我々がやってきた社会学というのは、同じ種の仲間同士がつきあうことだけをやってきた。でもこの地球というものを考えてみれば、全然、生き様の違ういろんな生命たちが、場所を共有して共存してるわけですね。その実態が分からないままに、どんどんいろんな生物種が絶滅していくわけですよ。だから、それをやっぱりちゃんと部分的にも明らかにしていかなくてはいけないのではないかと思っていてね…そこを知りたいなあと思っています」
山極さん「ありがとうございました」