<NHKアカデミア 第10回 <生物学者 福岡伸一>②

NHK
2023年1月24日 午後2:18 公開

ということで、私たちが生きているというのを、ちょっとしたグラフィックで表現した絵がありますので、それを見てください。

※グラフィック映像(開始点34分54秒)とあわせてご覧ください。

環境から粒子が流れ込んできます。そして一瞬、よどみとなって集まったものが、私たちの体。でも私たちの体は「エントロピー増大の法則」に逆らって進むために、絶えず自分自身を壊しながらエントロピーを捨てていく。最後は寿命が来てエントロピー増大の法則に負けてしまうんですけれども、また子孫を作るとか、他の生物に動的平衡を手渡すという形で、私たちはまた自分の中に秩序を作り直して、このエントロピーの流れの中を進んでいくわけです。ですから環境は絶えず私たちの体の中に入ってきて、またここから流れ出ている。これが動的平衡という考え方で、この考え方から非常に動的なものとして生命を捉え直してみると、生命のいろんな見方がよりビビットにダイナミックに見えてくる。そういうふうに考えています。

<「壊しながら長く保つ」とは>

ではどうして、絶え間なく我々は作り替えられているのにもかかわらず、同一性がとれるのか。ここには一つ大事なポイントがありまして、これは「相補性(そうほせい)」という概念から説明することができます。

相補性というのは、ジグソーパズルのピースは互いに他を支えながらも、互いに他を律し合っている。そういうバランスによって作られていますよね。真ん中のピース(上図)が捨てられても、周りにある8つのピースが残っていると、真ん中の形と場所が記憶されるので、新しく作られたピースをそこにはめることができる。我々の体というのは、大きな1枚のジグソーパズルの壁画みたいなもので、絶えず同時多発的に「相補性」という関係性を保ちながら入れ替わることによって、全体として更新されながらも、全体の絵柄、ある種の同一性、あるいは記憶というものが保たれている。これは細胞と細胞の関係性、あるいは細胞の中のタンパク質とタンパク質の関係が、相補性によって絶えず入れ替わっても保たれるからというふうに説明できます。

もう一つは、「どうして私たちが生きるために、自分自身を絶えず壊しながら絶えず作り替えているのか」という疑問があります。それはできるだけ「長生き」するためです。これは非常に逆説的に聞こえるかもしれません。人間の発想だと、長くもたせるためには頑丈に作っておけば長もちすると思いますよね。ところがどんな壮麗な建築物も、長い年月の間には駄目になってしまうわけです。壮麗なピラミッドも何千年かたつと砂粒に変わってしまいますよね。タワーマンションのようなぴかぴかの建物も、1000年2000年という単位になると当然廃虚になってしまうわけです。

生物は、人間の場合だったら80年ぐらい、女性だったら90年ぐらいの寿命を持っているわけですね。それぐらい長くもつためには「エントロピー」というものを捨て続けなければいけないわけなんです。これはちょっと難しい概念なんですけれども、宇宙の大原則として「エントロピー増大の法則(あらゆるものは秩序から無秩序へと変化する)」というのがあります。形あるものは必ず形がない方向にしか動かない。ピラミッドは風化するし、タワーマンションは崩れていくし、整理整頓しておいた机の上もちょっと油断すると書類が散らばったり、本が倒れてきたり、消しゴムのかすが散らばったりしますよね。

生命現象は最も秩序が高い状態ということが言えます。その秩序は、エントロピー増大の法則という宇宙の大原則によって、絶えず壊されよう壊されようとしているわけです。細胞膜だったら酸化されようとしているし、細胞の中のタンパク質だったら、分解されたり切断されたりしようとしているわけですね。

これに対してどう対抗していけばいいかというのが、生命が長もちするための非常に大事な課題だったわけです。頑丈にしっかり作っておいても、必ずエントロピー増大の法則に押し倒されてしまうわけですね。そこで生物は最初から非常に“ゆるゆる”“ヤワヤワ”に作っておいて、自ら率先して分解することによって、エントロピー増大の法則に先回りするように自分を分解することによって、エントロピー増大の法則に何とかあらがって、頑張って形を作り直して生きているというふうに生命を捉え直すことができる。「動的平衡」の意味がここにあるというふうに考えています。

<GP2はどんな働きをしている?>

恐竜さん(福島)「『GP2』は、どんな役割をしてきたんですか?」

福岡さん「『GP2』というのは、我々の消化管の中でアンテナみたいに外界の様子を探っているんですが、何を探っているかというと、我々が腐りかけた食べ物を食べたりすると、その腐りかけた食べ物の中にサルモネラ菌という悪いばい菌が潜んでいることがあります。GP2は、そのサルモネラ菌の尻尾を捕まえることができるということが分かってきました。尻尾を捕まえてどうするかと言うと、消化管の内側からサルモネラ菌をキャッチして、本当の意味の体の中にGP2がサルモネラ菌を連れて入ります。そうすると『こんな悪者が外をウロウロしているから戦うための抗体を作りなさい』というふうに、我々の免疫細胞に情報を与えてくれる。そういう警察官みたいな役割をしているということが分かってきたんです」

<単細胞生物も動的平衡をしている?>

がわらさん(茨城)「大学4年生で、生物学を研究しています。単細胞の生物でも、動的平衡を感じられるような要素があるのか。福岡先生の感じられている単細胞の生物で動的平衡を感じるような要素があれば教えていただきたいです」

福岡さん「単細胞の生物も、生きていくために必死に動的平衡しているはずなんです。何か栄養素を与えたら、その栄養素を単細胞生物は取り込みますけれども、単細胞生物の中のタンパク質やDNAというのは常に作り替えられていて、食べ物の原子・分子と交換されて、古い分子や原子は排出されているはずなので、シェーンハイマーと同じように何か標識のついたアミノ酸とか糖とかを与えたら、それが一瞬細胞の中で細胞の要素になって、やがてまたそれが抜け出ていくという“流れ”が見えるはずなんです。単細胞生物の一生というのは、ある細胞ができてからその細胞が分裂するまでのわずかな時間ですけれども、細胞分裂をすることによってある意味で永遠に生きることができるというふうに考えることができます」

福岡さん「どんな単細胞生物を見ているんですか?」

がわらさん「私は葉緑体を持つ植物に近い単細胞の生物をふだんは見ています」

福岡さん「葉緑体を持っている単細胞生物っていうのは、『ゾウリムシ』の中にその葉緑体を持った単細胞生物が入り込んで共生関係を作って、ミドリゾウリムシというのを作って、光がなくなるとまた葉緑体の生物が抜け出して元のゾウリムシになるみたいな、そういう面白い現象があって、それもまた生物の動的平衡の一種ですから、ぜひぜひ研究を続けていってください」

<人間社会にも「動的平衡」が必要?>

ぬまちゃん(大阪)「生命の話の中で、動的平衡ということが出てきたかと思うんですが、これは我々の人間社会にも同じようなことが考えられたりするのでしょうか。人間社会も壊していかないといずれエントロピーが増大してしまうというふうなことになるのかなという気もしたので、その場合、うまくいっているものをわざわざ壊さないといけないっていうことに対して、どういう意識を持ってふだん行動したり生活したりしたらいいのかなというようなところを、先生のお考えをお聞きできたらというふうに思いました」

福岡さん「“私”を構成していた分子や原子は流れていて、同じ時代の人が互いに、分子や原子を交換しているだけではなくて、歴史的にも絶えず炭素や窒素や水素や酸素は循環しています。昔の豊臣秀吉を構成していた原子や分子も、一部は我々のどこかに成り代わってまた抜け出ていくというのはいくらでもありえるわけですね。

それから、動的平衡の考え方が『人間の組織』にも適用できるんじゃないかということなんですけれども、それは非常に面白い考え方でそのとおりだと思います。例えば、大阪の方なんで・・・阪神タイガースのファンかどうか分かりませんけれども、大阪の人は阪神タイガースを応援していますよね。阪神タイガースを応援しているんですけれども、実はタイガースの中のメンバーというのは絶えず入れ替わっていて、昔掛布選手やバース選手がいたころの阪神タイガースのことをいまだに語る人がいますけれども、そういう人たちはもういないのに、みんな阪神タイガースを応援しているわけですよね。つまり、阪神タイガースという動的平衡をいつも応援していて、そこには新しい選手が入って古い選手が抜け出ていくけれども、ある種の同一性相補性が保たれて、いまも阪神タイガースというものがあるわけですよね。

あらゆる組織が絶えず人間が入っていって、そこから人間が出ていくので、動的平衡を持った組織体ということができます。しかも、エントロピー増大の法則に抵抗するためには、絶えず代謝が起きている方が、より柔軟で強じんな組織だということが言えます。ただ、これを人間の組織に丸ごと当てはめることがなかなかできないのは、どんどん入れ替わらなければならないんじゃないかということになって、そんなに早く入れ替わる組織というのはなかなか作れませんよね。でも組織の中の役割分担があまりにも硬直的に限定されて、『この人の仕事はこれ』というように機能と要素があまりにも限定されている組織は、やっぱり動的平衡の観点からいうと柔軟性が低いので、そういう組織はさまざまな環境の変化に弱いというか、ぜい弱な組織だと言うことができます。できるだけ組織のメンバーの役割分担が可変的で、できれば少しずつ代謝していく組織が、より長生きできる組織になるというふうに言えるんじゃないかなと思います」