<Q&A パート①>
こうきさん「久石さんの曲を、自分はいろんな世界観のメロディーで楽しませてもらっています。メロディーとか音楽を作る上で、また演奏するときに、どのようなことを意識してこれまで音楽をやってこられたのかお聞きしたいです」
久石さん「こうきさん、とても良い質問なんです。というのは・・・このあとやるのが、メロディー・ハーモニー・リズムというもので、音楽の成り立ちを説明します。『ちょっとタイミングがよすぎるよね』っていう感じです(笑)。今の質問に答えると、僕自身も、実は大学時代からミニマルをやっていたんで、全然メロディーメーカーだとは思っていなかった。ところが、映画音楽とかをやり出すと、どうしてもメロディーが必要になりますね。それで書き出したんです。例えば一つの例ね。『ナウシカ』って知っています?」
こうきさん「知っています」
久石さん「『ナウシカ』って、宮崎さんに僕が最初に作った曲なんですけれど、あのメロディーもミニマルの影響がすごくあるんです」
※映像(開始点28分35秒)とあわせてご覧ください。
久石さん「ずっと下の音、これしか、鳴ってないんですよ、和音。1個だけ音が変わるだけ。それから、ずっと同じなんです。つまり『できるだけ和音もあまり変えずに作ろう』と。それでその次もまだ同じです。まだドの音がずっと鳴っています。しつこいですね。ずっと同じです(笑)。
初めてここで変わります。ここで初めて和音の進行が起きます。それまでは全く同じ低音でやっているだけなんですね。自分はこの曲を作る段階でも『ミニマリストである』と強く思っていたんで、あまり普通のメロディーを書きたくなかった。それで一生懸命書いたのがこれです。でも逆に言うと、そういう自分のこだわりがあったから、こういうメロディーが書けた気がします」
こうきさん「ジブリの音楽とか久石さんの特に『Summer』を、自分も弾かせてもらっていて・・・久石さん、同じ左手の伴奏なのにどんどん曲が展開していって、不思議だなと、自分の中ですごく思っています。『Summer』を弾いていく中で、ずっと左手は似たコード進行と言うか、『シソラ・・・』というイメージがあるんですけれど」
久石さん「そうだよね、そうだ、そうだ。(ピアノを弾く)これでしょう?確かに、そうだ。基本的にはここにもミニマルの影響があったのかな。ちょっと自分でも分からないけれど。でも、これを弾けるんだったら、ピアノうまいですね」
Taichiさん「僕はバイオリニストになりたくて、バイオリンとピアノをやっているのですが、練習がいやになる時があります。久石さんは練習が嫌になった時や、作曲がうまくいかない時に、どうやって気持ちを元気にしていますか?それから、久石さんの音楽の原点はどんなことがありますか?」
久石さん「いやになった時にどうするかという話はね、ちゃんとした答えができないかもしれない。なぜかと言うと、毎日いやだから(笑)。僕もどうやって逃げようかと毎日思っていますし、小さい頃、僕はバイオリンをやっていたんですが、やっぱり練習がいやでやめてしまいましたから、全然いいヒントを言うことができないかもしれない。バイオリンを始めてどのぐらいたちますか?」
Taichiさん「2~3年くらいです」
久石さん「長時間練習しないでいいから、例えば、毎日20分、30分、あるいは、ごはんを食べる前のちょっとした時間とか、少しずつやっていく。大変だと思わない自分のいい時間帯を見つけてやっていくといいと思います。それともう一つね、最終的に、Taichiさんがプロの音楽家になりたいのか、それとも趣味で弾いていくのかがあると思うんですけれども、普通に学校に行ってクラブ活動で何かある時に、オーケストラとかありますよね。バイオリンが弾けると、ものすごく楽しいですよ。今は大変かもしれないけれど、将来的にそこで、ベートーヴェンだとか、もっといろんな曲を弾いたりした時に、みんなと一緒に演奏できる。みんなと一緒にやれると、すごく楽しいから。今、大変かもしれないけれど、ちょっと頑張ればいつか楽しいことがあるかもしれないから、僕のようにならないでちゃんと続けてくださいね」
久石さん「それともう一つ、僕の音楽の原点。僕の原点はよく分からないけれども、ずっととにかく音楽が好きだった。だから好きなことを一生懸命やって、それでたまたま自分は作曲家になれた、作曲家になった。というか、中学生の時から作曲家になると決めていて、一回もぶれたことがない。職業として、何も他のことを考えたことはない。小さい時に『音楽をやる』。中学の時に『作曲家になる』。そのまま何も他のことを考えてきていない。そういう意味ですごく幸せなんだけれども、恐らくTaichiさんに言えることは、『自分がいちばん好きなものを一生懸命やる。それが職業になればいちばんいいよね』って、そういう感じかもしれませんね」
もぉりーさん「私は小学校の教師をしているんですが、毎日、子どもたちに“ワクワク”を提供できるようにしたいなと思いながら仕事をしています。久石さんの音楽を聞いた時に、何でこんなにワクワクしたことが作れるんだろうというふうに思ったので、どういうふうにワクワクを広げているのかを教えてほしいなと思います」
久石さん「それが分かったら苦労しないかなみたいなところもあるんですが、ホントかなり苦労しています。例えば『白鳥』っていますよね。すごく優雅に見えますよね。ただ水の中に入ると分かるんだけれど、ものすごく真剣にかいていて、とんでもなく激しいんですよね。優雅に泳いでいるように見えて、実はものすごく水面下では努力している。自分はそういう音楽を書きたいと思いますよね。作ろうという気持ちはあります。どういうことかと言うと、例えば、みんなが聴いて幸せになってくれればうれしい。でも、それはたぶん自分が幸せだから、みんなにその幸せを伝えるのではないんですよね。逆に、到達できなくて、苦しんで、苦しんで、苦しんで書いているんだけれども、書きたいのは、苦しんでいる俺のことを伝えたいっていう意識じゃないですよね。作りたいものに対して自分が努力している。そうすると、結果的にうまくいく時もあるし、いかない時もあるけれども、一生懸命やるということなんじゃないですかね。ちょっと月並みになっちゃうけど、そういうことだと思います」
< Q&A パート②>
麻衣さん「先ほど、『自然』という言葉が出てきたのですが、木が作曲家の久石譲さん、枝がバックグラウンドだとした時に、その中に眠っている原動力は何ですか?」
久石さん「作曲に対する原動力みたいなことですかね?麻衣さん、とてもいい例えをしていただいて。木は、幹があって枝がありますよね。そして葉っぱだとか花が付いたりします。多くの人は、木の幹とか木の枝を見て、ビューティフルとかきれいって言わないんですよ。緑色になった木を見て『ああ、きれいだ』と言うんですよね。それで正しいんです。ただ、自分がやっているミニマル・ミュージックだとか、いわゆるコンテンポラリーな音楽をやっている人たちの基本は、幹や枝を作る作業なんです。将来、音楽ってこう変わるんじゃないか。こういうかたちでも音楽ってできるんじゃないかということにチャレンジしていくのが、枝であり、幹になることです。その音楽を聴いて喜ぶためには、その葉っぱを実らせるための幹とか枝がしっかりしてないとできませんよね。自分はそういう意味での、幹や枝でありたいです。でも、たまにはみんなから受けたいから、葉っぱになりたいかな。そういう感じです」
18さん「映画音楽を作る上で、情報から得たもので感覚的に音に変えるのか、ロジカルに考えて、こういう音の方がこの雰囲気に合うとか分かりやすいんじゃないかと考えて作っているのかということをお聞きしたくて、質問させていただきました」
久石さん「現実の映画の現場がそうだということではないんですけれども、時間に絡むものというのは、基本的に論理的な構造があります。つまり、本ですね。文学なんかも、『あ』という言葉だけでは意味はない。『明日は、〇〇』。時間の経過があるので、小説も論理的な構造がいります。音楽も『ド』だけだったら駄目ですよね。ドレミとかドミソとかに沿って経過するためには、時間の経緯が必要です。映画もそうですし、音楽も文学もすべて、論理的な構造が原点にあります。ただし、絵画はそうじゃないんです。絵画は見た瞬間、これは瞬間で世界が分かる。ですから、絵画に関しては論理的な構造を持たない。
映画音楽はエンターティメントだと言われているんですが、大体2時間という尺の中で、出だしがあって、構成します。だから、映画監督も一生懸命構成していますよね。多くの場合、台本を書く。基本ですけれど、起承転結という方法をとって書きます。映画音楽には、そのシーンの中で鳴っている音楽と、いわゆる映像音楽という、本来そこで鳴っていない音楽を付ける作業の両方があります。それから今言ったような、その構造でテーマ主義もあります。最近とてもよくない方向に走っているのは、デジタル機械、機材が発展しすぎたために、そのシーンに付ける音楽が多いんですよ。つまり、走ったら速い音楽、泣いたら悲しい音楽、ものすごく単純になっている。
映画音楽は、監督が何を言いたいかということに焦点を絞りながら、ある程度距離をとって作っていくのが、僕は正しいと思っています。映画2時間の間に、やっぱりかなりの曲数がいりますよね。例えば10曲だったり、20曲だったり。特にアニメーションや何かになると、30曲を超えたりします。そうするとそれぞれの曲が、そのシーンとどう結びついて、2時間を構成していくかということに注意を払いながら作っていくのが、いちばんいいかもしれないね。だから論理的なことと感覚的なもの、両方を総動員してやっていくしかない。『これ』という方法論はないですから、頑張ってやってみてください」
みゆきさん「私は今大学2年生で、部活動とかアルバイトとかこれから就職活動とかで評価されると思うんですけれど、それがすごく怖いです。久石さんは人からの評価をどういう気持ちで受け止めているのか、うかがいたいです」
久石さん「やっぱりそれは気になる。コンサートの前半が終わって舞台袖に引っ込んだとき、僕は悪態をついてるんですよ。『なんだ、こいつら全然反応ねぇじゃねえかよ。帰りたい。もう帰るぞ』とか。むちゃくちゃなことを平気で言っています。人の評価をあなたは気にしていると言ったけれど、自分がもし満足した仕事をしたときに、周りが評価しなかったら、『周りがバカなんでしょう』というぐらいな気持ちで、要は自分が精いっぱいやったというところまでやればいいんじゃないでしょうか。例えば、何か課題を与えられますよね。伝票整理でも何でもいいんですけれど、何か課題があった。そこでやらなくてはいけないことを忠実にやっていると思うところまで仕事をすれば、何を言われても平気なんじゃないですかね。僕がさっき言いたかったのもそういうことで、『こんなにいい演奏しているのに、何だこの反応は』と思うから、ああいう言い方になるわけです。それは逆に言ったら、やっぱり自分の最大値まで振って、精いっぱいまずやること。評価されていないのは、周りが悪いんだよって思っちゃえばいいんじゃないでしょうか。そのぐらいのつもりでやった方がいいと思います」
壮一朗さん「仕事として音楽をしていくには、大衆を引き付ける音楽というかたちに収束しなければいけないなと思っています。そうした中で久石さんは、自分がしている制限だったりルールだったりといった手法はありますか」
久石さん「あまり『受けよう』と思って作曲したことはないんですよ。一般の人に『受けよう』と思って作曲するのは、やめた方がいいかもしれないね。あなたが自分で曲を書いたとします。そうすると、世界でいちばん最初にそれを聴く人はあなたなんです。最初の聴衆は自分なんですね。まず自分が喜ばなかったら、あるいは自分が喜べる音楽でなかったら意味がないわけですよ。まず自分が『うわ、すごくいい曲を書いちゃった』と思えるものができていれば、家族とか周りの人に聴かせますよね。『どうだ、こんないい曲できちゃった。ちょっと聞いて、聞いて、聞いて』と聴かせます。その延長に観客がいると思うと、聴衆のいちばんフロントにいるのは自分自身なんですよね。どうやったら受けるかと思って書いている音楽は、永久に受けないですよ。まず自分が喜べる、自分が納得できる。自分はこれでいいんだ。これでも足りないと思うけれど、ここまでやった。それでできなかった部分を、多分自分でも自覚するから、それはその次にチャレンジする。またそれでもできなかったことは、その次にチャレンジするということだと思うんですね。いずれにせよ、第一の聴衆は自分である。だから、まず自分がいいと思う音楽を書くこと。それが原点になるんじゃないかと思います」
皆さん見ていただいてありがとうございます。ちゃんと話せたかどうかは分からないですけれども、また何かコンサートで会うなり、僕のCDを聴くなり、あるいはみんなが大きくなったときに「実はあのとき出ていたんですよ」というようなことを、僕に言えるようになってくれるとうれしいと思います。皆さん頑張ってください。またいつか会いましょう。