「性暴力のない社会を目指して 〜絵本からはじめる予防教育〜」

初回放送日: 2021年5月4日

「性暴力のない社会を目指して ~絵本からはじめる予防教育~」小笠原 和美(慶應義塾大学 教授)

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  • 「性暴力のない社会を目指して~絵本からはじめる予防教育~」(視点・論点)

「性暴力のない社会を目指して~絵本からはじめる予防教育~」(視点・論点)

慶應義塾大学 教授 小笠原 和美

 近年、ニュース報道などでも性暴力を取り上げることが増えてきましたが、皆さんは、一体どのくらいの人が性暴力の被害に遭っていると思われますか? 多くの方が、「性暴力に遭うのは一部の特別な人で、自分の身近にはいない」と思われているかもしれません。
 しかし、内閣府の調査結果によると、女性の14人に1人が「無理やりの性交等」の被害経験があると答えています。痴漢や盗撮など性暴力の全体像を考えると、この数字は、氷山の一角に過ぎません。社会を脅かす性暴力の根絶に向けて、私たちは何をすべきでしょうか?

 被害を訴えることのできない被害者、自分の行為を正当化し続ける加害者、加害の場面を見ても止めることができない傍観者。性暴力をなくすには、このような被害者、加害者、傍観者をつくらないための「予防教育」が重要です。
 では、「予防教育」は何歳から行うべきでしょうか?
警察庁の統計によると、2020年に認知された強制わいせつ事件のうち、被害者の17%が12歳以下で、そのうちの13%は男の子でした。想像し難いことですが小学校入学前の被害や、男の子の被害も発生しています。つまり、予防教育は、小学校に入る前の子供たちに、男女の性別を問わず、行う必要があるのです。

 ちなみに子供の性被害には、2つの特徴があります。一つ目は、自分のされていることの意味が分からず、被害を被害として認識できないこと。もう一つは、身近な人が加害者であることが多く、事件が発覚しづらいことです。そのため、家族や親戚などからの犯行が長期間続いてしまうケースや、教え子へのわいせつ行為など、本来であれば子供をケアする立場の人からの性的な犯行も起きています。そして、被害を受けてから10年以上も経った思春期になって、初めて被害を認識して深く傷付き、その後の人生が生きづらいものになってしまう、ということも少なくありません。

このような、幼い子供に対する性暴力の実態も踏まえ、性被害を予防するための教育ツールとして、こちらの絵本「おしえて!くもくん〜プライベートゾーンってなあに?〜」を作りました。
 性暴力対策に必要なエッセンスを盛り込みつつ、家庭や学校で肩ひじを張らずに、幼い子供に読み聞かせをするだけで大事なことが伝えられるものにしました。
少し内容をご紹介します。

いつもお空の上から、子供たちを見守っているくもくん。
仲良し3人組が、鬼ごっこで遊んでいる最中に、ふざけて友達のズボンを下ろしてしまうところを目撃します。くもくんは、慌てて3人のところへ飛んで行き、お空の教室に連れていくと、予防教育で最も重要なプライベートゾーンの知識を教えます。
「プライベートゾーンっていうのは、水着を着ると隠れる部分のことで、自分だけの大事な場所だよ。簡単に人に見せたり、触らせたりしてはいけないんだ」
 すると、ふざけて友達のズボンを下ろしてしまった加害者の男の子は、「そうか、プライベートゾーンは自分だけの大事な場所なんだね。僕も見られたら嫌だよ。けんくんごめんね」と被害者の気持ちに共感することで、自分の行為を反省し、謝ります。
 被害に遭ってしまった男の子には、「自分のプライベートゾーンを触られそうになったら、『いや!』って大きな声で言おうね」と教えます。

 実際、被害に遭いそうになった時に、声を上げたり、抵抗することができると、目の前の危険を回避できるだけではなく、加害者に「この子を襲うのは容易ではない」と認識され、その後の加害行為への抑止にもつながります。

 絵本の中の男の子は、「僕、本当は嫌だと思ったんだけど、言えなかったんだ。これからは嫌って言うよ!」と答えます。実際の性被害の場面では、体が凍り付いたように動かなくなってしまい、声も出せないことがあります。しかし、そのことを知らずに、被害者に対して、「どうして抵抗しなかったのか」と責めてしまうと、更に被害者を傷つける二次被害に繋がってしまいます。

 絵本の中では、くもくんが、「そうだね。嫌って言えない時もあるよね。勇気を出せるといいね。」と被害者の気持ちに寄り添い、いやと言えなかったあなたが悪いのではない、というメッセージを伝えてくれます。三人目の横で見ていた女の子に対しては、「もしも、お友達が嫌なことをされていたら、助けてあげてね。」「自分で助けるのが難しければ、大人に話せば良いよ。」と教えます。女の子は、「それならできそう!」と、自分にもできる選択肢を示され、勇気付けられます。

 このように、絵本では何気ない日常の出来事を通じて、被害を被害として認識し、イヤと言ったり、大人に相談するという知識を与え、幼い子供に性被害から守る力をつけます。
これらの知識は、子供の頃に限らず、一生涯、自分を守るための大切な知識となっていきます。年齢や性別を問わず、全ての人がプライベートゾーンの知識を自分のこととして身に付けることが、性暴力のない社会への第一歩となるのです。
 では、この知識は、誰が教えるべきでしょうか?一番は、親です。絵本を読み聞かせながら、「もしいやなことをされたら、必ずお話ししてね」と伝えることで、被害にあった時、すぐに相談してもらえる関係が作れるからです。
 しかし、万が一のことが起こった場合にどう対応したら良いか、戸惑われる方も多いと思います。「事前に知っていれば良かった」と後悔することのないよう、必要な情報を絵本でご案内しています。一方で、残念ながら、親が加害者になっている場合もあり、全ての家庭でこのような教育を期待することは困難です。

 「全ての子供たちにプライベートゾーンの知識を教える」と考えた場合、義務教育である小学校が最後の砦となります。日本では、自分の身体をどう守るかということは、学習指導要領に盛り込まれておらず、通常の学校教育で学ぶ機会はありませんでした。
 しかし、昨年6月に政府から出された「性犯罪・性暴力対策の強化の方針」により、子供たちが性暴力の加害者、被害者、傍観者にならないよう、

全国の学校で「生命(いのち)の安全教育」を推進することになりました。
文部科学省の指導案によると、体のどこが大切かということを幼児期から小学校高学年まで繰り返し伝えることになっています。この絵本の内容は、政府の方針に沿ったものとなっていますので、教育現場でも、ぜひ活用して頂きたいと思います。

学校関係者向けに、すぐに指導に使えるよう、指導案付きの活用の手引き、パワーポイント版絵本、保護者へのお手紙、ポスターなどがダウンロードできる特典をつけています。
また、被害を打ち明ける子供が出てくる可能性もありますので、その対応についても、活用の手引きに盛り込みました。さらに、ポスターを学校に掲示し、学校全体でプライベートゾーンに対する意識を高めることで、子供同士はもちろん、教師による児童へのわいせつ行為の抑止につながることが、期待できます。

最近、同意のない性的な接触やハラスメントが目の前で起きた時に、見て見ぬふりをしない”Active Bystander”(アクティブ・バイスタンダー)という概念が注目されています。性暴力を、加害者・被害者だけの問題として他人事にするのではなく、社会の安全を一人ひとりが自分事としてとらえ、行動しようという非常に重要な考え方です。

この絵本も、保育園で卒園記念のプレゼントとしたり、子供と接する活動をするNPO法人が、職員への教育に活用しようと考えるなど、様々な動きが出てきています。
このように、日本中の全ての子供たちに性暴力から身を守る知識と勇気を与える輪が広がり、この絵本が、「性暴力のない安心して過ごせる未来」への架け橋となることを願っています。