「日本の科学技術研究の危機」

初回放送日: 2021年10月18日

「日本の科学技術研究の危機」榎木英介(科学・政策と社会研究室代表理事)

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「日本の科学技術研究の危機」(視点・論点)

一般社団法人 科学・政策と社会研究室 代表理事 榎木 英介

 今年も10月4日から11日までノーベル賞受賞者の発表が行われ、自然科学の分野では、物理学賞でアメリカ国籍を持つ眞鍋淑郎さんらが受賞することが決まりました。また化学賞では、北海道大学にも研究室を持つドイツ国籍のベンジャミン・リストさんらが受賞しました。
リストさんはドイツのマックスプランク研究所所属ですが、日本の研究費も取得されており、日本に縁のある研究者だといえます。
日本人もしくは日本出身者のノーベル賞受賞者が出ると、国民が祝賀ムードに包まれ、人々が科学研究に目を向けるという意味で、ノーベル賞が与える影響は大きいのです。

しかし、祝賀ムードに水を差すつもりはありませんが、注意しなければならないことがあります。ノーベル賞受賞対象の研究が賞を受賞するまでにおおむね数十年の時間がかかる、つまりタイムラグがあるということです。

 眞鍋さんの研究も1960年代に行われており、受賞まで半世紀以上もかかりました。しかも眞鍋さんの研究はアメリカで行われています。ノーベル賞受賞の祝賀ムードによって、日本の研究が現在直面している危機的な状況が覆い隠されてしまうのは大きな問題です。

 その問題点とは何でしょうか。
1つは、科学研究の質及び量が世界の中で低下しつつあるということです。

 8月に文部科学省の科学技術・学術政策研究所が発表した「科学研究のベンチマーキング2021」によれば、日本の研究論文数は横ばいであるものの、他の研究者から多く引用される優れた論文であるトップ10パーセント論文においては、1993年までの世界第3位から2018年には第10位と大幅に順位を低下させているのです。

 なぜこのようなことになっているのでしょうか。
その理由の一つは、研究予算が諸外国に比べ増加していないことです。

 中国を筆頭に、主要な先進国は研究予算の政府投資を大幅に増加させています。一方日本では、研究予算は横ばいで諸外国に比べ増加率は低いままに据え置かれています。
 研究費自体にも大きな問題があります。
まず、「選択と集中」が大きな影を落としています。これは、成果が出せる見込みのある特定の研究機関に所属する研究者や分野に研究費を集中して配分することです。

 一方、国立大学や研究機関の運営費交付金に代表されるような、どのような研究室にも配分される研究資金は削減されています。このため、一般の研究者は申請書を書き、他の研究者と競いながら獲得する「競争的資金」を獲得して研究を続けています。

 大学の研究者などに話を聞くと、競争的資金を獲得し続けないと研究が維持できないため、申請書を書くために膨大な時間を費やし、実験に費やせる時間がとても少なくなっているといいます。自転車操業のような状態になっているのです。

 選択と集中はある程度方向性が定まった研究を発展させるのには有効です。
しかし、今回ノーベル賞受賞した眞鍋さんがインタビューでおっしゃっていましたが、研究は偶然や様々な不確定要素から発展することが多くあります。画期的な研究が行えるかは事前に計画することが難しいのです。「選択と集中」はノーベル賞を与えられるような画期的な研究を生み出すのには必ずしも効果的ではないのです。

 日本と研究予算がさほど違わないドイツと日本を比較すると、ドイツでは様々な大学の研究者がトップ10パーセント論文を書いている一方、日本では特定の大学の研究者が多くのトップ10%論文を書いていることが分かります。こうした結果が、日本とドイツのトップ10パーセント論文の差につながっているのではないでしょうか。

奇しくも眞鍋さんの共同受賞者はドイツ人ですし、北海道大学に所属する化学賞受賞予定のリストさんもドイツ人です。

 もう一つの問題点は、若手研究者が安定した職につけないことです。

大学院で博士号を取得したのち、研究者の多くはポストドクターと呼ばれる、1年から5年程度の任期のついた短期雇用の研究者として働きます。また、大学の若手教員の多くも任期があります。文部科学省の調査でも、40歳以下の研究者の半数以上は任期付の職に就いていることが明らかになっています。

 研究者は研究成果を積み上げ、それをもとに大学や研究機関の正規教員の職に応募しますが、この競争が非常に激化しています。公募された一つの常勤研究職に、分野によれば百人を超える応募者が殺到することも珍しくはありません。

 このため、任期付きの職を数年ごとに繰り返し歳を重ねていく人も少なくありません。もはや若手とは言えない40代50代になっても、なかなか常勤研究職が得られず、かといってその年齢では他の職も得ることが難しいという状況に陥っているのです。
 こうした状況では、腰を落ち着けて研究することができません。大きなテーマで取り組むよりは、手っ取り早く結果が出るそれほど重要でない研究を心ならずもせざるをえなくなるのです。

 文部科学省の調査では、ノーベル賞受賞者が受賞対象の研究をするのは、20代後半から40代前半位までが多いとされていますが、日本では、このような最も創造性の高い時期に自分のやりたい研究を行うことができず、不安定な地位にある研究者が多いのです。

 このような厳しい状況をみた学生たちは、研究者という職業に魅力を感じず、より活躍できるかもしれない他の職を選ぶようになっています。
こうした状況が続けば、今後日本国内で研究した研究者がノーベル賞を受賞することは難しくなるでしょう。
改善するためにはどうすればよいでしょうか。1つは腰を落ち着けて研究ができる環境を作っていかなければなりません。

 具体的には、国立大学等の運営費交付金のような競争とは関係なく配分される予算や、任期のない安定した研究職を増やすことが必要です。一部の研究者だけでなく、より多くの研究者に研究を行えるチャンスを与えることが重要です。中でも才能あふれる若い研究者の活躍を支援することが重要です。

 そしてもう一つ重要なのは、研究歴がある人が、社会の様々な場面で活躍する道筋を拡充することです。
研究成果は運不運も大きな影響を与えます。優れた研究成果を出し続けることができなかったとしても、その研究者の能力が低かったとは言えません。こうした能力がある人に、社会の様々な場面で活躍してもらうことは、社会にとっても重要だと思います。

 ノーベル賞受賞対象の研究は、1人でできるものではありません。
研究グループや共同研究者、研究者が所属する大学や研究機関、そして幅広い国民の支持、こうした幅広い裾野があってこそノーベル賞と言う山の頂点が高くなるのです。

 今政府は、「研究力強化・若手研究者支援総合パッケージ」などを策定し、こうした諸問題を解決しようと考えています。こうした方向性をより強化していくことが重要です。

 私たちは今、これからもノーベル賞の授賞が続くことができるよう、日本の研究環境がどうあるべきかをしっかりと見直し、今後の20年30年を視野に入れた対策を作っていくことが必要でしょう。