「なぜ不平等を語るのか」

初回放送日: 2021年4月27日

「なぜ不平等を語るのか」白波瀬佐和子(東京大学大学院 教授)

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  • 「なぜ不平等を語るのか」(視点・論点)

「なぜ不平等を語るのか」(視点・論点)

東京大学大学院 教授 白波瀬 佐和子

 日本はだれもが中流意識をもつ平等な国、一億総中流社会といわれた時代がありました。
それがいま、コロナ禍のもと、社会の分断という言葉を耳にします。社会が分断される背景には、不平等があります。社会は一様ではないのです。
 そこで本日は、なぜいま不平等を語り、不平等問題に対して敏感でなければならないのかお話したいと思います。

 今の社会の不平等はわれわれの選択の結果であると言えます。例えば、社会全体の所得がどれくらい平等に配分されているかをみる一つの指標として、ジニ係数があります。

数値が高いほど不平等を表していますが、OECD加盟国の中でも、所得格差の程度は違います。不平等と一言でいっても、子どもや女性、高齢者、障害を抱える者にとって、その実態は様々です。
 今、新型コロナの感染拡大は地球全体を巻き込んでいますが、感染者数は国によって異なり、また国の中でも、女性か男性か、若者か高齢者かによって実態が違います。
どのような生活や仕事をしているかによって感染リスクは異なり、そのリスクをどう受け止め、対処できるかも、一人一人違ってきます。

 今、コロナ禍での深刻な影響を受けている者として女性、女の子がいます。
昨年9月、内閣府男女共同参画局に「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会」が設置されました。同会は、コロナの感染拡大が女性の雇用や生活などに与えている影響について、状況改善するため、速やかな対策を提言することを目的としています。そこで研究会の座長として、ジェンダー格差から、不平等について考えてみたいと思います。

 ジェンダーとは男女だけではなく、LGBTも含めますが、ここでは女性に着目します。
コロナ禍における女性の問題は、国際的にも指摘されています。

国連のグテーレス事務総長は、去年4月「女性に対する暴力の防止と救済をCOVID19に向けた国家規模の応急対応のための計画の重要項目とする」とする声明を出しました。また、ムランボヌクカ国連女性機関事務局長も、「女性と女児に対する暴力:陰のパンデミック」と題する声明を発信しました。

 国境を越え、地域を超えて、ヒトが動くことを前提としたグローバル社会が一変して、動きが止まってしまいました。都市封鎖や隔離要請を国々が発令しています。
そこで懸念されるのは、家庭から逃げ場のない状況が生まれることです。逃げ場を失った女性や女の子たちが悲鳴を上げています。
 日本でも家庭内暴力、性的暴力への相談件数は、コロナ禍に入り後を絶たず、自らの命を絶つ女の子たち、女性たちが増えました。この背景には、子どもの世話をし、年老いた親の介護を担い、家(うち)を切り盛りするといった無償労働の多くを、女性たちが担ってきた事実があります。
 この事実は、たとえ女性たちが家庭の外で有償労働に就こうが、高学歴の女性が増えようが、女性に大きく偏った家庭内の役割の形が変わることはありませんでした。誰もが一定の年齢になると結婚をして、子どもをもち、年を取れば子ども家族に面倒をみてもらう。
そのような人生を当たり前とするのは、もう過去のことです。

 一方で、女性とは、男性とは、高齢者とは、外国人とは、といった期待や価値観、規範
は過去のままです。変化したことと変化しないことの狭間で、女性たち、女の子たちが被害者となっている実態が明らかになりました。

 次に教育や組織運営への参画という観点から考えてみましょう。女性の大学学部進学率は、2019年段階で50.1%、男性は56.3%で、その差は縮小傾向にあります。
ただ、専攻分野となると、大きく男女差があります。人文学、教育、薬学・看護の分野では、女子学生比率が過半数である一方で、工学、理学となると、それぞれ15%と28%、女子学生は少数派となります。
 また、国の政策はじめ、意思決定の場に参画する女性はいまだ極めて少ない状況です。
そもそも女性と男性に能力の違いがあり、異なる好みや傾向といったことがあるのでしょうか。実のところ、女性は男性に比べて能力的に劣っているとか、理系に弱いとか、管理職に向いていないとか、権力に対して無欲であるとか、そのような知見を実証するような研究成果はほとんどありません。

 ではなぜこのような差が生じるのでしょう?不平等には結果の不平等と機会の不平等があります。機会の不平等は結果の不平等に少なからぬ影響を及ぼします。ジェンダーや年齢、国籍、出自によって、機会の不平等、つまり限られた選択肢しか選べないということがなければ、結果もおのずと変わってくるでしょう。女性だから、もう若くないから、障害があるからということで、人生のさまざまな選択が限定されてきた事は否定できません。

 性別や年齢、国籍によって機会の平等が保障されないことは、人が人として自由に選択する機会が保障されないことです。日本国憲法の基本的人権の考え方に則れば、さまざまな属性にかかわらず、平等に扱われる平等権、さまざまな選択肢を自由に選ぶことができる自由権は、保障されるべきと記されています。

 コロナ下の問題に話を戻すと、その影響は男女で異なります。女性は男性よりも非正規雇用者割合が全体的に高く、その就労分野も対面サービスや医療・福祉分野に偏っています。つまりコロナの影響が直撃した分野に女性就労者の多くがおり、その影響を女性たちが直接的に受けたということになります。したがって、これは女性独自の好みというよりも、雇用機会が男女で大きく異なってきたということと、無関係ではありません。

 これまで男女同等の機会が提供されてこなかった故に、機会の不平等を優先的に解消していく必要があります。女性だからというだけで、素晴らしい潜在能力を開花させる機会が奪われていたとすれば、社会にとってそれはとても大きな損失だといわなければなりません。アジアで最初に産業化を達成し、経済大国として発展を遂げた日本が、これほどまでにジェンダー格差が大きいままであるという残念な事実を直視し、早急に是正すべき時に来ています。

 日本は自然の資源が限られている分、人的資源が豊かで、そこに投資せずして将来の成長はありません。たとえば、IT分野の技術者や金融アナリスト、建築技師や企業経営者といった、あまり女性たちが就いてこなかった職業が、決して特別で例外的な選択肢ではないことを、学校やさまざまな機会の中で紹介・提供していくなど、潜在能力を意識的に開花させるきっかけを、積極的に作っていくべきだと思います。ですから今、不平等問題に敏感になるべきなのです。

 物事はやってみなければわかりません。結果からだけみて、物事を判断するのはとても危険です。物事はやってみて、やり続けていけば器になっていきます。女性たちからすると、積極的是正策のお陰で下駄をはかせてもらったという負い目を感じる人もいるかもしれませんが、そんなことを思い悩むなら、今あるチャンスに集中すべきだと思います。大切なのは、それから先なのです。
 何を成し遂げたか。その業績を正当に評価する準備を社会が整備することで、超高齢社会の発展的成長を実現できる可能性が広がります。