「セーフティーネット格差の是正に向けて」

初回放送日: 2021年1月27日

「セーフティーネット格差の是正に向けて」酒井正(法政大学教授)

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「セーフティーネット格差の是正に向けて」(視点・論点)

法政大学 教授 酒井 正

新型コロナ・ウィルスの感染拡大によって、雇用情勢の悪化が懸念されています。当面の雇用を守るために雇用調整助成金が大きく活用されていますが、今後は求職者への支援も重要になってくることが予想されます。そこで今回は、雇用の問題を中心にわが国のセーフティーネットのあり方について考えてみたいと思います。

 人びとが失業した際の「第一のセーフティーネット」は雇用保険です。

このグラフは、失業者のうち、雇用保険の失業給付を受給している人がどれくらいいるかを示したものです。このグラフを見ると、失業給付の受給者の割合は、1980年代から一貫して下がって来ており、現在では3割を切っていることがわかります。逆に言えば、失業者のうち7割以上は、雇用保険を受給していないことになります。

それでは、なぜ失業給付を受給している人たちの割合はこれほど低いのでしょうか?

雇用保険の失業給付は、一定の労働時間以上、雇われて働く者が、一定の期間、勤めた後に失業した場合に、給付されるものです。雇われることなく失業した学卒未就業者などは、失業給付の対象にはなりません。また、専業主婦だった人が仕事を探し始め、失業状態にある場合にも、失業給付は支給されません。
それに加えて、失業してはいても失業給付を受給していない人の中には、再就職できないまま失業給付の受給期間が終了してしまっている人も含まれます。
しかし、受給者割合が低い理由としては、雇用されていた状態から失業しても、そもそも失業給付を受給する資格のない人がいることも大きいでしょう。そのような雇用された状態から失業しても失業給付を受給できないケースの典型は、非正規雇用からの失業者です。
非正規雇用と呼ばれる雇用形態で働く人びとは増え続けており、現在、働いている人びとの4割に達しています。非正規雇用が増えて来たことに伴い、今では失業者の5割以上が非正規雇用からの失業者となっています。非正規雇用が一般的な働き方になるのに連れて、正社員のような働き方を前提としていた従来の雇用のセーフティーネットに綻びが出来ているのです。

それでは、雇用保険の適用を拡大し、非正規雇用の人たちも雇用保険に加入できるようになればよいのでしょうか。実は、それだけでは非正規雇用から失業した人たちのセーフティーネットとしては十分ではありません。というのも、雇用保険では、比較的早い時期から非正規雇用へ適用を拡大して来たため、被保険者の数は減っていないからです。雇用保険の被保険者は減っていないにもかかわらず、受給者で見ればその数が減って来ているのは、非正規雇用から失業した人たちは、雇用保険に加入してはいても、受給に必要な被保険者期間を満たせていないことが多いのが理由であると考えられます。つまり、非正規雇用に適用を拡大しても、受給要件が厳しいままでは、セーフティーネットとしては機能しないのです。
 正規雇用のような失業するリスクの少ない雇用形態の人たちが雇用保険を受給できる一方で、雇用が不安定で本来はセーフティーネットが最も必要とされる非正規雇用がそれを利用できないという皮肉な状況が生じてしまっています。

しかし、その解決は単純ではありません。保険料の拠出、すなわち就業した実績に基づいて給付を行う社会保険では、雇用が断続的になりがちな非正規雇用に充分な給付を行いにくいのは構造的に仕方ない面もあるからです。
そこで、保険料の拠出とは関係なく給付を行えるような仕組みが必要になります。その究極的な形は生活保護ですが、生活保護と従来の雇用保険の中間的な仕組みとして「第二のセーフティーネット」という考え方もあります。2011年に導入された求職者支援制度は、この「第二のセーフティーネット」の一つとされます。
その具体的な内容は、雇用保険の加入期間が足りずに失業給付を受給できない人や学卒未就業者といった、従来の雇用保険から漏れ落ちた人たちを対象として職業訓練を行うものです。そして、収入や資産が少ない場合には、訓練の期間中に現金給付も受けることができます。

ただ、一般論として、「第二のセーフティーネット」は、保険料に基づかない給付を行うため、公費などを投入せざるを得ず、財源が悩みの種です。
また、求職者支援制度について言えば、基本的には、職業訓練期間という条件付きの所得保障になっており、緊急時のセーフティーネットとして有効かどうかは議論の余地があると言えるでしょう。求職者支援制度の利用実績は、コロナ禍の前までは決して多くありませんでした。コロナ禍において、求職者支援制度がセーフティーネットとしての役割を果たしているかどうかを検証したうえで、場合によっては、所得保障をメインに据えた制度に改めることも検討すべきかもしれません。

 先ほど、雇用保険制度に見たような雇用形態の違いによるセーフティーネットの格差は、年金制度や医療保険制度にも見られます。国民年金や国民健康保険では、非正規雇用といった人びとが増えて来たことで、保険料の未納が増えて来たという実態があります。
 近年、政府も、このような事態に対応して、厚生年金や健康保険組合といった被用者保険の適用を非正規雇用へも拡大して来ました。厚生年金や健康保険組合では、保険料が給与から天引きされるため、保険料の未納がなくなると考えられるからです。その結果、以前よりも非正規雇用の人たちは厚生年金などの被用者保険に加入しやすくなっています。ただ、それでも、断続的な就業をしがちな非正規雇用や、無職の人たちは制度から漏れ落ちがちです。特に年金においては、保険料の未納が続けばそれが年金給付額に反映されるため、老後の格差につながりかねません。

ところで、そもそもなぜ非正規雇用という雇用形態で働く人たちが増えて来たのでしょうか。その背景には、経済に占めるサービス業の比率が高まる中で、企業が、業務の繁閑に柔軟に対応するために非正規雇用を増やして来たことがあります。また、グローバル競争の中で、市場の不確実性に対応するために、雇用調整を比較的行いやすい非正規雇用を求めて来たこともあります。
近年のわが国では、人口の少子高齢化に伴う労働力人口の減少に対応するため、女性や高齢者、外国人といった人たちに労働参加を促す政策を打ち出して来ました。
それらの従来はあまり働いていなかった人たちが新たに労働参加する場合には、先に述べたような事情もあり、非正規雇用として働くことが多いのが現状です。その流れは今後も変わらないことでしょう。

 リーマン・ショックの際にも非正規雇用におけるセーフティーネットの脆弱さは指摘されていましたが、その後、十分に是正されないまま、今またコロナ禍において、その深刻さが浮き彫りになっていると言えます。
今回のコロナ禍で大きな打撃を受けているとされる飲食店などでは、今後、客足が戻ったとしても、更に非正規雇用への依存を高める可能性もあります。その一方で、今年の4月から始まる70歳までの雇用確保措置のように高齢者などに労働参加を促す政策は次々に実施されています。
 新たな人たちの労働参加が今後も続くことが予想されるなかで、雇用形態の違いによるセーフティーネットの格差を埋めることが必要です。財源の問題を始めとして容易ではない課題が山積しているとはいえ、国民の間で広く問題を共有して、議論すべき時が来ているのではないでしょうか。