お坊さんの説法には生きる知恵がたくさんつまっている。
ここでは、『自分の見た目が嫌でモヤモヤしている』・・・
そんなときに聞くと心がスッキリするような5人の説法をご紹介します。
【曹洞宗 篠原鋭一さんの説法】
自分のあっちこっち嫌なところがたくさんある。言われてみたら、そうだと思いますよ。でも、それって誰の評価ですか。周りの人があれこれあれこれ言いますね。しかし、もっと自分で自分のことをうんと良く評価したらいいんじゃないですか。だって、自分は自分で他人ではないわけですよ。自分の人生を自分以外の人に代わって、ちょっと冗談めいて言いますけれども、私、高校生たちと話しているときに、ちょっと私、トイレに行きたくなったからあなた行ってきてくれと、高校生が、何をばかなことを言っているんだと、そんなことできるわけないでしょ。そうだって、人生も同じだと。自分の人生は私が主人公。人には絶対代わってもらえない。
で、自分で、ここがどうだ、ああだ。自分で自分を低く評価することはまったく意味がないと私は思っています。それは個性ですもの。そして、自分がこのような形で生きていること自身がとても自分の力だし、それから自分が生き抜こうとしている、深い深い自分を愛する思いだし、他人の評価なんてまったく当てになりませんから。重要なのは、自分で自分をもっと、すてきな人間だと。人と私はこんなところ違うじゃないか。
逆にですよ、みんなが同じ顔してたらどうなんですか。白い花ばっかりだったらつまらないじゃないですか。どの花、見てもきれいだな、赤白黄色きれいだな、だからいいんであって、もっと自分のことに対して自信持ちましょう。そして、自分でこんなすてきなところがあるというふうに自分をうんと評価しませんか。
いいんですよ、自分がそれは個性だと思ってもいいし、自分だけにしか、人にはない自分の宝物だと思ったらいいんで、どんな状況でも、私は駄目だ、人と比べているんじゃないですか、それ。比べる必要はない。自分は自分。わが人生は、自分が、私が主人公。人には代わってもらえない。他は吾にあらずってことは、人は私じゃないでしょ。自分でしょ。どうか自分をうんと高く評価して、うんとかわいがって、そして自分の人生、人には代わってもらえない人生を生きていこうじゃないですか。以上です。
【融通念仏宗 関本和弘さんの説法】
“配られたカードで勝負するしかないのさ”というのは、チャールズ・モンロー・シュルツさんの描かれたスヌーピーでのセリフです。何百万も使って整形に整形を繰り返された方をテレビやネットで見て、それほどきれいとは思えない。むしろ何もしなかった素顔のほうが良かったのではないかと思うことさえあります。
仏教の言葉に『渇愛』という言葉あります。執着の中でも特に激しい、渇きにも似た感情です。刺激に対しての渇愛、快楽への渇愛もありますが、自分の存在を認めさせたいという渇愛もあります。その渇愛を安易に埋める方法が見た目にお金をかける方法です。容姿に対して今、仮に良くなったとしても、必ずもう一段、もう一段と容姿に対して不満が出てきます。その欲はいくら埋めていっても埋まらないのです。
ではその原因は何かと申し上げますと、自分の存在を認められない、自分自身から来る渇愛なのです。自分の存在を自分自身で認めること、それができれば自然とこの渇愛は薄まります。そのために、いま一度自分の持っているカードを再確認してみましょう。ないものはいくら探してもないのです。自分では気付かないけれど、人から見たらうらやましいと思わせるカードを実は気付かず持っていたりするものなのです。人から見てうらやましいと思わせるカード、なかなか見つけられないですよね。
でも人は100人いれば100人のありようがあるもので、きっと自分自身の中、深く深く掘り下げていったところに“きらきらと輝くカード”、“配られたカード”が見つかるものと信じています。
【天台宗 露の団姫さんの説法】
私ね、ちっちゃいころから、口が大きい。これがほんまに嫌やったんですよ。もう小学生のころなんか、私、口裂け女っていうあだ名で呼ばれていたんです。で、なんで私、こんなに口が大きいんやろう。もっと口が小さかったらなって、ずっと思ってたんです。そんな私を救ってくれたのが、落語という世界なんです。
私は18歳のとき、露の五郎一門の露の団四郎という人の弟子になりましたけれども、大師匠、露の五郎(二代目露の五郎兵衛)から「お前の顔は落語をするのをピッタリや」って言ってもらえたんですね。この大きい口が落語を非常にはっきりとお客さまに伝えることができる。そして、お客さまも見ていて気持ちがいいと、言われたんですよ。で、それから、私、この自分の大きい口がすごく好きになりまして、自分らしく生きられるようになったんです。
見た目を気にするということは、ある意味では全ての人に好かれようとしているということでもあると思うんですね。太っているよりは痩せてるほうがいいとか、もう年いってるよりは若いほうがいいとか、いろんな考え方がありますけれども、それは一般的に言われていること。私たち人間の物差しでしかないんです。でも、私たちって、一緒に生きていく人間っていうのは、例えばパートナーでしたら、一人ですから、その一人の相手に好かれたらそれでいいんじゃないでしょうか。その自分の容姿、自分の中身を好きになってくれる相手、そういう人を見つけるほうが大切やと思うんです。見た目をいくら世間に合わせていっても、そのときに誰からも好いてもらえなかったら、それこそむなしい気持ちになると思うんですね。
私は、お坊さんになってから今年で10年になりますけれど、このつるつるの頭、これが、「そんな、結婚しているのに、旦那かわいそうやんか。旦那は嫌やと思うで、髪の毛伸ばせ」ってよう言われたんですよ。でも、私の夫は、「私のこの髪型が私自身なんだからそれでいいやんって、なんにも嫌なことないで」って言うてくれるんです。ですから、私は自分の愛する夫がそうやって言ってくれますし、私自身も、これが私のスタイルなので、これで本当に自分らしく生きることができているんです。見た目なんか気にする必要はありません。あなたがあなたらしく生きるために、今の姿の自分を愛してください。
(※露の団姫さんは落語家でもあります)
【曹洞宗 安達瑞樹さんの説法】
見た目のコンプレックスっていうのは誰しもありますよね。私も小さいころからずっと背が低いので、今も低いですけども…、本当にそれがコンプレックスかなというふうに思うんです。
そもそもその前に、私たちの判断する基準っていうのはなんなのかなと思うんです。例えば暑いとか寒いとかっていうのは人それぞれやと思いますし、幸せとか不幸せっていうのも人それぞれだと思うんですよね。
このコンプレックス、見た目、例えば背が高いとか低いとか、鼻が高いとか低いとかって、私たちって果たして何を基準に決めてるんでしょうか。きっと自分が思い描く有名人だったり、俳優さんだったりっていうところがあると思うんですよね。
つまりは私たちって結局、自分自身の判断でそれぞれの基準を作ってて、そしてその判断に私たちが踊らされているということがあると思うわけでございます。
『信心銘』というお経ございますが、これの冒頭に”至道無難、唯嫌揀擇”という言葉が出てまいります。この仏道を極める困難なきことは、ただ揀擇を嫌う。選ぶ(=揀擇)ですね。選ぶことを嫌うという言葉で始まるわけでございます。好きとか嫌いとか、太ってるとか痩せてるとか、そういう選択を嫌うということでしょうか。
そしてこの『信心銘』という題名ですが、信心と聞いたら信仰のことかなというふうに思うんですけれども、そうではなくて、信心、自分自身の心を信じるということでございます。あらためて、自分自身のその気持ちにしっかりと向き合って、もうちょっと自分に自信を持つ。自分の心を信じるということができれば、このコンプレックスも少し軽くなるのではないでしょうか。
【浄土真宗 川村妙慶さんの説法】
私の知り合いにマルセ太郎さんという方がおられました。マルセさんは、私にこういう言葉を残してくれたんです。「妙慶さん、映画を見なさい。そして、最後の最後まで、エンドロールが終わるまで映画を見なさい」と教えてくれました。マルセさんも見た目ですごく苦労していたんです。周りからゴリラみたいだっていじめられて生きてきたそうです。そして映画に出合ったときに、映画は主役だけでは成り立たないということを教えてくれたな。いろんな人がいてこその映画なんだ。だから、主役を盛り上げられるんだ。見た目で悩むという方は、もしかしたら主役になりたいと思っているのかもしれません。しかし、それぞれの配役にも、また映画の中に出ていなくても、一人一人の存在ってあるんですよね。
それを教えてくれるのが、仏教では『無財の七施』、“7つの施しを1つだけでもしていきませんか”と教えてくれます。
1つ目が『眼施』、目のお布施です。アイトークという言葉があるように、今、特にマスクをしますから、目でしっかりと相手を見つめましょう。目のお布施。
2つ目が『和顔施』。やはり笑顔というのは人を和ませますよ。
3つ目が『言辞施』。言葉のお布施です。優しい言葉を使いましょう。パワハラという言葉が社会問題になっていますけど、人の心を乱してしまいますよ。
4つ目が身のお布施、『身施』といいます。自分ができることは率先して動きましょう。働くという字は人に動くと書くように、動くことでいろんなことが発見できます。
5つ目が心のお布施、『心施』。言葉というのは、心の使いといいます。日頃、考えていることが必ず言葉に出ます。失言だというのがありますけれども、やはり日頃、何を考えているかで言葉に出るので、気を付けたいですよね。
そして、『房舎施』。宿房の房と書きます。ひさしを貸すということです。想像してください。相合い傘。二人いるけど一人しか傘が持っていない場合には、半分ぬれるけど、半分はぬれずに済んだね、お互いさまという気持ちです。
最後に『床座施』。座席を譲る。電車の中でも席を譲る。もう一つは自分の座を譲るということです。
1つだけでもやってみてください。人間は見た目だけではありません。どれほどの施しができるかでその人の存在、温かみが出てくるんです。温かい人になりましょう。