お坊さんの説法には生きる知恵がたくさんつまっている。
ここでは、『過去を忘れられなくて、振り切れないことにモヤモヤしたり、苦しんだりする』・・・
そんなときに聞くと心が楽になるような4人の説法をご紹介します。
【浄土真宗 川村妙慶さんの説法】
私たちは生きていると過去を悔やむということがあります。後悔っていうのはありますよね。「あのときこんなことしておけばよかった。」「いや、あのときもっとあの人に優しくしておけばよかった」と悔やむことは、この私ももちろんあります。しかし、過去があるから今の私があるんです。そしてこれからどういう生き方をしたかで、未来につながっていく1つの糸でつながっているということなんです。
私は、浄土真宗の僧侶なんですが、真宗の教えを歌で表したのが『正信念仏偈』。これを毎日いただいております。『正信』っていうのは、正しく信じるという意味です。実は正しいという文字なんですが、“一をもって止む”と書きます。
私たちは落ち込んだとき、過去を悔いたときは、ぜひ一度立ち止まりましょう。そして、そこで終わりではありません。ここからもう一度スタートラインを与えますよ、ここからあなたはやり直したらいいんですよ。それは年齢、関係ありません。これを教えてくれたのが私の兄でした。
私の兄は住職である父親を早くに失って、次はおまえが住職になるんだと周りから責められたんですね。すると兄は、ああ、お父さんが生きているときに教えを聞いておけばよかったと後悔し、そのまま兄は引きこもりになって、15年間、部屋の中でこもっていました。そのあと私は、兄の部屋に入ってみると、兄はなんと部屋で楽をしていたわけじゃないんです。15年間ずっと小説を書いていた。そのタイトルが「その後のウサギとカメ」でした。
「え、お兄ちゃん、なんで“その後”なの」って聞くと、「僕は部屋の中でお正信偈をいただいているときに、阿弥陀さんはここからもう一度やり直せ、それを後悔しているウサギの気持ちになって書いているんだ」と言いました。ウサギはあのとき昼寝をしなければカメに負けてはなかったのに、と後悔するんですよね。しかし、負けたことでウサギは自分の性格というのが分かったんです。そして、負けたことによって、カメさんと仲良く生きることができたんです。
ですから、負けたことを悔いるのではなくて、負けたことを機縁にここからもう一度やり直そう、生き直そう。その気持ちをぜひ、皆さん持ってください。
【浄土宗 長谷雄蓮華さんの説法】
忘れなきゃいけないこと、たくさんあります。でもどうしても思っちゃうんですよね。忘れなきゃ忘れなきゃ、苦しいな、つらいなって思うときほど心に残る。大切な人が目の前にいなくなった。これも苦しいです。大切な人のことを忘れちゃいけない。でも思いが薄くなってしまう。これも苦しいですよね。人間って生きていることがもう苦しいんですよ。忘れてしまうこと、忘れちゃいけないこと、心にいろんなことが積み重なっていくんです。つらいですよね。
でも、もういいんですよ。もう十分頑張ったしね。十分悩んできたし、もう十分苦しんできました。もういいんです。自分を許しましょうよ。やっぱり幸せになってください。幸せになることが大切。そして何よりも一番最初にまず笑ってみてください。許せないな、そう思ったら笑ってください。苦しいなと思ったら笑ってください。後悔があったら笑ってください。
阿弥陀様という仏様、『和顔愛語』という修行をなさいました。優しい言葉、そして笑顔でこの世の中を救う。「それが成し遂げなかったら私は仏様にならない」とおっしゃられました。
お地蔵様の顔、ご存じですよね。優しい顔してます。私たちにその心の豊かさを与えてくれます。お地蔵様のご真言は『おん かかか びさんまえい そわか』っていいます。高笑いなんです。つらかったら、苦しかったら、笑ってください。
花が咲く。咲くって字があるでしょう。あの「咲」っていう漢字は、実は笑顔の象形文字なんです。一緒に笑って進んでいきませんか。
【臨済宗 桂紹寿さんの説法】
昔、盤珪和尚さんという立派な和尚さんがおられたんですけれども、あるとき村人の方から嫁・姑問題について相談を受けたそうなんですよ。そこで和尚さんがおっしゃったのが、「あのとき嫁がこんなこと言いよった」「あのとき姑があんなことしよった」って思うさかいに腹が立って憎くなるけれど、それは記憶が憎いだけであって、記憶さえなくしてしまえば嫁も姑も憎いもんではないんだぞ、ということをおっしゃったそうです。さすが盤珪和尚さま、立派なことをおっしゃるなと思ってたんですけれども、ただ、記憶を自由に操ることができればそれはいいんですけれども、なかなか実践するのっていうのは難しいです。
だから、どうでしょうね。過去の思いとか記憶というのは無理に忘れようとしないことです。そして無理に思い出そうともしないことですね。忘れようとすればするほど、忘れようという気持ちに支配されていきますよね。逆にせっかく忘れかけてる思いというのを思い出そう、思い出そうとしますと、結局またその記憶を無理に引っ張り出してきて、それに苦しむことになってしまうわけですよね。
ふーっと心の中にそういういろんな過去の思いというものが浮かんできたときがあれば、そのときはほっとくのが一番なんですよ。心というのはおそらく”水面”と同じようなもんで、水面に石をぽーんと投げますよね。そうすると波紋がどんどん広がっていきます。それを無理におさめようとして、棒っきれかなんかを持ってきて水に刺してしまうと、余計に水面が揺れて波紋がどんどん立っていくわけですよ。
だから水面を穏やかにするための一番の早道は、何もしないことです。放っておいたら水面というのは穏やかになるんですよ。今いくら悔やんで、いろんなことに腹を立てたとしても、過去は変えられないんですよ。変えられないことをああだこうだといくら考えたとしても解決しません。
その当時はきっと自分なりの精いっぱいのこと、自分が一番良かろうと思ったことをやったんでしょう。それはそれでいいんじゃないですか。だから過去の思いに苦しんでる方がおられれば、無理に忘れようとしないこと。また、無理に思い出そうとしないこと。放っておくのが一番です。
【日蓮宗 三木大雲さんの説法】
私のことで恐縮なんですけれども、実は私、昔にあることがありまして、それがいまだにちょっとこう、心に引っ掛かってるんですね。これ、忘れたいなと思うんですけれども、もうなかなか忘れられなくて。いろんな方に私、相談するんですよ。そうしますと、いや、もう寝たら忘れるでしょとか、もう楽しいことを考えるといいよ、なんてことをアドバイスいただくんですけれども、やっぱり忘れられないんですね。
そこで、お経をひもときますとね、お経の中にはこんなことが出てたんです。『常懐悲感心遂醒悟』、少し長い言葉なんですけれども、どういう意味かというと、“常に悲観を抱いて、心遂に醒悟す”、そんなふうに書かれてるんです。
もっと分かりやすく説明しますと、常に悲観、悲しい思いですね。常に悲しさを抱きながら生きていると、心遂に醒悟す、やがて悟りに近づきますよ、ということが書かれてるんです。これを見た瞬間、私、過去のつらい思いをもう抱いていこうと、そう決心したんですね。
どういうことかって言いますと、“常に悲観を抱いている”=“自分がつらい思いをした過去の経験を持っている“と、やがて同じような経験した方が出られたときに、その人の気持ちになってあげられるんです。共感を抱けるんですね。「ああ、私その経験、一緒のような経験をしたから私も分かるよ」と言って、お互いがそれを乗り越えていく。そのためには、『常懐悲感心遂醒悟』もう過去の嫌な思いも一緒に抱きつつ、共に生活をしていくことで、もしかすると一緒の経験された方と出会ったときに、その方を救う一つのきっかけになるかもしれませんので、もし過去にいまだ何か持っておられる方は、それを抱いて共に生きていっていただけたらなというふうに思います。