お坊さんの説法には生きる知恵がたくさんつまっている。
ここでは、『他人の些細なことに対して、ついイライラして平常心を保てなくなる』・・・
そんなときに聞くと心がスッキリするような3人の説法をご紹介します。
【真言宗 小池陽人さんの説法】
イライラする怒りの悩みというのは、もう昔から人間の持つ根源的な苦しみなんです。
といいますのも、お釈迦様は、百八煩悩という、たくさんの煩悩が人間にはあるといわれ、その根源的な煩悩には3つの悪玉があるといっているんです。これを仏教では『三毒』、『貪・瞋・痴』というふうにいわれます。貪というのはむさぼり、瞋というのは怒り、痴というのは愚かな心。この瞋という怒り、これがわれわれのものすごい根源的な煩悩なんです。
ある尊敬するお坊さまが、こんなことをおっしゃられました。”苦しみの方程式。苦しみ=痛み×抵抗”と。
例えば蚊に刺されたとします。刺された、かゆいなと思ってかいちゃうんですね。これが抵抗です。でも、かけばかくほどもっとかゆくなって、今度、痛くなったりしますね。この苦しみという意味でいえば、その刺されたかゆみより、抵抗することによって、もっとこの苦しみや悩みを大きくしてしまっているんです。
では、抵抗しないためにどうすればいいのか、というのが仏教の説く教えなんです。私の尊敬する鎌倉の円覚寺の横田南嶺猊下が、「大事なことは、知ることと、愛すること」だとおっしゃっておられました。
相手のことを知る。なぜそうやってイライラするのか、イライラせざるを得ないのは何がそうしてしまうのか、せざるを得ない背景がその人にあるのかもしれないという、その人の背景まで知ろうとする心を起こすということなんです。
そして、何を知ろうとするかで大事なのは、自分と相手との共通点ではないかと私は思うんです。例えば、われわれは誰かと居合わせたときに何か話題として天気の話とかします。今日はいい天気ですねって。これはなぜかというと、人というのは相手と自分との共通点を見いだすことができたとき、相手に優しくなることができるんです。
つまり、相手に対してのイライラの対処法として一番大事なことは、相手のことを知ろうとする。「自分とあなたは違いますよ」、そう思った瞬間に、相手のことを理解することはできませんし、愛することもできない。
相手の背景に目を向け、知ろうとすること。この知ろうとすることが仏教でいう『智慧』。そして相手との共通点を知った結果、相手に優しくなれることが仏教の『慈悲』の心。イライラを収めるために智慧と慈悲の実践、これが大事ではないかと思っております。
【曹洞宗 篠原鋭一さんの説法】
いや、はっきり申しましてね、こういうことでモヤモヤ、モヤモヤして人生を生きているっていうのはもったいないと思いますよ。私、よく質問するんですけれども、あなたは何歳まで生きていたいと思いますかって。もう高校生だろうが大人の方々であろうが、どういうわけか、80歳っておっしゃるんですよ。
仮に80歳まで生きましても、だいたい3分の1の24年間は眠ってるんですよ。そして10年間は食事をいただいてるんですね。そして食事をいただいたわけですから、トイレに行く時間ができますね。トイレの行く時間、どのぐらいだと思いますか。80年生きて、平均してみるとだいたい5年から6年だそうですよ。そうすると、眠ること、食事をいただくこと、それからトイレに行くこと、これらは健康を保つためにもとても重要なことなので、私たちは80年のうちのほぼ半分を使うわけですよね。
そこで、わが人生、この二度とない人生をいただいた、この人生をどう生き抜くかと考えたときに、どう生きるかということですよね。しかし、残りのわずか30年か40年ぐらいのわが人生を考えた場合、モヤモヤすることに時間を使うのは非常にもったいないと思ってるんですよ。わが人生は、それだけの人生、故に常にどう生きるか、どう人と関わって生きるか。それはもう、人生というのは1人で生きていくことはできませんから。
だから私は皆さんにこういうモヤモヤが生まれたときにお願いしたいことは、「このモヤモヤ無駄だ」と。もうこんなん捨てたほうがいい。そして、人のことが気になる、気にならない。それは自分の問題ですよ。ひょっとしたら、自分がそういうふうに見られてないか、見られてるかという自分自身の問い掛けかもしれない。
とにかく私が申し上げたいことは、人生は一度きりなんですよ。そして、自分の充実した生き方ができる時間というのは、先ほど申し上げたぐらいに短い。じゃあこれからの人生をもう少し、自分で生きてて良かった、あるいは命をいただいて良かったというふうな満足ができる幸福感を、自分で満足ができるような生き方に変換していただきたい。こういうモヤモヤは私は、もしかしたら、お叱りを受けるかもしれませんけれども、無駄です。要らない。変化します。変化させましょう。以上です。
【天台宗 露の団姫さんの説法】
毎日毎日、いろんな人と接していると、どうしてもイライラしてしまうことってありますよね。私も人さんとしゃべっていて、何かマイナス思考なこと、「いや」「でも」「だって」「私なんか」って、こういう言葉ばっかり言う人といると、ついイライラしてしまうんですよ。で、そんなときに、私が思い出すお釈迦様の教えというのが、『愚か者を道連れにするな』という教えです。これ意外と厳しい教えなんですけれども、お釈迦様は「自分の尊敬できる人、または自分と同等の志を持つ人と共に歩みなさい」と、おっしゃっているんです。そうしないと自分の歩みがどんどんと遅れてしまうということなんですね。ですから、自分がいらいらするような相手とはなるべく距離を置く、離れるということがまず大切だと思います。
そして、いらいらというのは、やはりこの人間関係の中で起こることだと思うんですけれども、私たちってそもそも、人間関係がこの苦しみの原因であるにも関わらず人と関わろうとするんですよね。
で、そんなときに仏教では、『犀(サイ)の角のごとくただ独り歩め』という、こういう教えがあります。サイという動物は群れを作りません。基本的に1人で生きていくんですね。で、そのように1人で真っすぐに生きていくと。孤独を恐れるなと、こういうふうにお釈迦様はおっしゃっているんです。ですから、本当にもう自分の気の合う人と、自分と同じ志のある人と一緒に前へ向かって歩いていく。そうしていたら、周りのささいなことも気にならないでしょうし、イライラすることが減るのではないでしょうか。
そもそも、このイライラの原因というのは、人さんと比べてしまうというところにも原因があるんですよね。実は落語の登場人物というのは、この落語の主役になっている人、完璧な人、賢い人って少ないんですよ。みんな、なんかそれぞれ、なんかあほらしい、なんかかわいらしい、愛すべき、そういう人間たちでして、で、そういう人たちが全て「OKですよ。」という、肯定しているのがこの落語であり、そして仏教なんです。ですから、まずは自分自身に自信を持つ。仏様から自分はOKをいただいているんだという気持ちになっていただいたら、自分自身も仏様から肯定していただいているんだから、この人もこれでいいんちゃうか、あの人はあれでいいんちゃうか、というふうにね、人さんに対して厳しい目を向けなくても済むという、そういう心境になれるんじゃないでしょうか。
(※露の団姫さんは落語家でもあります)